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第70話 ライナスの動向、イザベル姫の協力

 ライナス・ブラックバーンは、馬上から広がる光景を見下ろしながら、心の奥底に染みついた違和感をまた意識していた。王太子フィリップに雇われ、金をもらっている以上、こちらは命令に従う立場だ。しかし、先日焼き払われた村の惨状を目撃してからというもの、配下の傭兵たちの間でも沈鬱な空気が漂っているのを感じる。


「隊長……最近、殿下の命令があまりに酷いって声がちらほら出ています。俺たち、民間人を攻撃するなんて契約にはなかったはずだろう、と」


 そう切り出したのは、ライナスの右腕ともいえる副官だった。鎧の継ぎ目から覗く瞳が、微妙な戸惑いを映し出している。ライナスは彼に目を向けると、一度深いため息をついてから口を開いた。


「傭兵は金で動く。それが俺たちの生き方だ。だが……確かに、殿下のやり方は筋が通らないことが多い。“王太子に逆らう者は皆殺し”とばかりに焼き払うのは、ただの虐殺に近いからな」


 副官は気まずそうに視線をそらす。


「しかも、いま各地で小さな反乱が起き始めてるとか。民衆をいたぶるばかりじゃ、どこかでしっぺ返しを食らう気がするんですよ。これ以上手を汚したくない、って言ってる兵もいて……」

「わかってる。だが、今は契約の最中だ。そう簡単に離脱すれば、こちらも裏切りとみなされる。それに金をもらわなきゃ、兵たちの生活もある」


 ライナスは低くつぶやきつつ、野営地の奥で休む兵たちを見渡す。金に困り、行き場がなくて傭兵稼業に身を投じた者も多い。そうした人々を養っている立場として、ライナスも軽々に契約を破棄できるわけではない。


 しかし、重苦しい沈黙の末に、ライナスは静かに言い足した。


「――まあ、殿下がやることに筋が通らなければ、俺だっていつまでも従う気はない。兵たちを無意味な虐殺に巻き込みたくない、というのも本音だ。契約がある以上、簡単には動けないが……いずれ判断を下すときが来るかもしれないな」


 副官はホッとしたようにうなずき、口元にかすかな笑みを浮かべる。


「隊長がそう言ってくれれば、みんな安心します。ありがとうございます」


 ライナスはその背中を見送りながら、遠くの空を仰いだ。金で動く傭兵にとって、理不尽な戦だろうと契約を果たすのが筋だが、心のどこかで「もう限界だ」という声が募る。いまだにはっきりとした寝返りの決意は固まっていない。だが、王太子の非道に加担してよいのか――葛藤は日に日に大きくなっている。



 同じ頃、王都の宮廷では一人の姫が書斎で筆を走らせていた。イザベル・ラグランジュ。王太子フィリップの妹でありながら、その政策や暴走に疑念を抱いている貴重な存在だ。


 机上には何通もの書簡が積まれている。おそらくは周辺貴族への命令書や王都内の法令に関するものだが、イザベルは深いため息を吐きながら、目の前の手紙にだけ集中していた。


「兄上のやり方に賛同できない……。けれど、わたしにはどこまで動ける余地があるのかしら」


 侍女が気遣わしげに一歩近づき、「イザベル様、今夜の舞踏会にはお出ましになりますか?」と尋ねるが、イザベルは首を振って筆を置く。


「いいえ。今はそんな気分じゃないわ。……それよりも、これを確実に、例の“反王太子連合”と呼ばれる勢力に届けてほしい。噂によれば、クリフォード領を中心に革命を起こそうとしているというじゃない」


 侍女は驚いたように目を見開いた。王太子に公然と反旗を翻す勢力に書簡を送るのは、極めて危険な行為だ。もしフィリップに知られれば、王女であるイザベルですら処罰を免れない。


 しかしイザベルの眼差しは揺るがない。彼女もまた、兄の圧政が国中を荒廃させている事実を知っており、密かに何とかしなければと思い続けていたのだ。


「わたしは王族として、国民の苦しみを見過ごすわけにはいかない。兄上が国を私物化している今、もう黙っているだけでは取り返しがつかなくなる。……だから、物資や情報くらいは渡したいの」

「お、お気持ちはわかりますが……そんなことが兄上様に露見したら、イザベル様の身が危険に……」

「危険なのは承知のうえよ。けれど放っておけば兄上が好き放題し、国全体が炎に包まれるわ。わたしも何とか手を尽くしたいの」


 イザベルは優雅に立ち上がり、窓の外を見やる。王宮の華美な庭園が広がっているが、心は晴れない。兄フィリップが傭兵を雇い、地方を焼き討ちしているという現状を考えれば、どれだけこの庭園が美しくても虚しいだけだ。


 やがて、彼女は小さな包みを侍女に手渡す。その中には金と、重要な情報が書かれた手紙。これが革命軍に届けば、支援になるのは間違いない。


「必ず無事に届けてちょうだい。わたしの名前は伏せてもいい。むしろ、公には出さないでほしいわ。少しでも彼らの力になれれば……それでいい」


 侍女は緊張の面持ちで深く一礼し、「かしこまりました」と震える声で答える。イザベルはそんな彼女の肩に手を置き、励ますように微笑む。


「ありがとう。あなたには危険を負わせるけど……国を取り戻すために、わたしもできることをするしかない」


 その想いと共に、イザベルは窓の外を見つめ続ける。彼女にできるのはこの程度かもしれないが、それでも国民を想う心は真摯だ。もしフィリップに逆らえば、自分の地位も危うい。しかし、兄の暴走を止める手がかりがあるなら、それに賭けたい。



 一方、ライナス・ブラックバーンは夜営のテントに戻り、副官からの報告を受けていた。小さな戦闘が各地で起きており、王太子が焦って大軍を動かし始めているらしい。ライナスの胸にはまたかすかな違和感が芽を出す。


「隊長、どうするんです? これ以上、無抵抗の村を燃やす場面に立ち会うのかって、みんな心を痛めてます」

「……わかってる。俺もさっき殿下の側近から“次はもっと厳しく取り締まれ”なんて指示を受けた。正直、やってられない話だ」


 ライナスは短く吐き捨てて、地図を睨む。契約金は驚くほど高額だが、理不尽な虐殺に兵たちまで嫌気が差してきている。これ以上、民衆を虐げるような行為に加担するなら、自分たちの誇りはどこへ行くのか――


 まだ決定的な寝返りの判断を下すには状況が読めていない。革命軍とやらが本当に力をつければ、金以外の魅力を感じるかもしれない。ライナスは苦く笑い、副官に告げる。


「もし殿下の命令があまりに理不尽なら、隊の安全を確保しつつ、状況に応じて動く。……いつでも準備をしておけ。俺たちは金のためにここにいるが、人間としての筋を通せないなら考え直すまでだ」


 副官は「了解です、隊長」とうなずき、足早にテントを出る。


 こうしてイザベル姫が密かに革命軍への内通を試み、ライナスの傭兵隊は王太子に疑問を募らせ始める。まだ直接の行動には至らないが、国のあちこちでほころびが生じ、王太子の独裁は揺らぎつつあった。


 この動向がやがて“革命軍”へ大きな助けとなるのは、もう時間の問題かもしれない。王太子は数万の兵を動員できるが、その一枚岩が崩れ始めている。それぞれの思惑が交差し、国全体が激動の渦へ飲み込まれようとしているのだ。

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