第7話 路地裏の屋台
宿の部屋で軽く休んだあと、腹の虫がグーッと自己主張を始めた。王都の夜、せっかくだしおいしいものを食べたいところだ。
「よし、じゃあ夕飯を探しに行くか。グレイス、王都初日の晩餐だぞ。浮かれすぎるなよ?」
「えへへ、浮かれるなと言われても、都会の夜ってだけでワクワクするじゃないですか! でも、お店選びは慎重にしないとですよね。予算も厳しいし……」
「たしかにそうだな。高級レストランなんかに入ろうものなら、あっという間に財布が軽くなる。まずは安くておいしい店を探してみよう」
表通りには、きらびやかな看板を掲げるレストランやカフェが軒を連ねていた。ところがメニューに目をやると、びっくりするような金額が並んでいる。
領地の人々が聞いたら気絶するかもしれない金額だ。クリフォード領の経済力では、こんなところで豪遊するわけにはいかない。
「す、すごいですね……あの店、一体どういう料理を出すとこんな値段になるんでしょう」
「俺もわからん。まあ貴族向けってことだろう。さすが王都……恐るべし」
「うう、私たちにはまだハードルが高そう……。しょんぼりです」
しかし、腹は減っているし、レストランに入れないなら屋台があるじゃないか。王都といえば、露店や屋台が充実していると聞いたことがある。
裏通りを少し入ると、通り全体が庶民的な雰囲気に変わった。さっきまでの高級感とは打って変わって、活気はあるけど地に足のついた感じがする。こういうところの方が安くてうまい料理があるかもしれない。
「レオン様、見て見て! あっちの屋台、串焼きとか売ってますよ。おいしそうな匂いが漂ってきてる……」
「うん、ここなら手が届きそうだ。とりあえず突撃してみようか」
「わーい!」
グレイスのテンションが一気に上がる。俺も期待に胸を膨らませながら、屋台の前まで行ってみる。すると、香ばしい煙が鼻を刺激して、思わず腹がグゥッと音を立てた。
しかし、そういうタイミングでこそ何かが起きるのがグレイスという侍女だ。
「すみませーん! えっと、飲み物は……きゃあっ!?」
彼女が注文しようとした瞬間、隣に置いてあった調味料入れに腕をぶつけてしまった。てんこ盛りの調味料が床へばらまかれ、店主が慌てて飛んできた。
「おいおい、お嬢ちゃん、危ないじゃないか!」
「す、すみません! ごめんなさい!」
「大丈夫か、グレイス?」
「だ、大丈夫です……あああ、わたしのせいで……うう、すみませぇん!」
店の客たちからも「何やってんだ……」みたいな視線を浴びる。俺は急いでしゃがみこみ、散らばった調味料や容器を回収し、店主に平謝りした。多少の賠償を申し出ると、店主は半ばあきれ顔で「気をつけてくれよ」と言ってくれたので助かった。
だが、それだけでは終わらないのがグレイスの恐ろしいところ。次の屋台でスープを頼もうとしたら、また何かに引っかかったらしく、今度はイスごと倒れかけるという大惨事。
「はうっ、わたし、王都初日からやらかしすぎです……」
「気にすんな、でももう少し注意しろよ。さすがに二連続はキツい」
「ど、どうしたらこういうドジを直せるんでしょう……わたし、ほんとにすみません……」
「店主に余計な負担かけちまったが、まぁ大事に至らなかっただけマシか」
とはいえ、この調子では屋台の食事すら気が抜けない。俺は深い溜め息をつきながら、結局落ち着いて食べられる場所を探すことにした。
ようやく人の少ない通りで、焼き串とパンを売っている屋台を見つけ、注文をすることにする。
値段を見ると、端っこに小さく数字が書いてあるのだが……けっこう高い。これでパンと焼き串セット? 地方なら半額以下で買えるだろうに。
「すみません、この焼き串とパンを二人分。それとスープをひとつもらえますか」
「へい、毎度。金額はこれくらいだよ」
店主が告げた額を聞いて、俺は思わず目を丸くする。それでも、ひどく法外というわけではないのだが、感覚的にはかなり厳しい。グレイスも「あうっ……」と小さくのけぞった。
それでも夕食を抜くわけにはいかない。コインを支払い、料理を受け取る。焼き串は肉がしっかり刺さっていて匂いもいい。それにスープは具だくさんでおいしそうだ。
「ありがとう、これでやっと落ち着いて食事できる」
「ほんとですね……はあ、わたしドジりすぎて気疲れしてます……でも、うわ、いい匂い! おいしそう!」
二人してかぶりつくと、確かに味は素晴らしい。肉の旨みがぎゅっと詰まっていてスパイスの風味も最高だ。ただ、素材がいいのだろうか。そりゃあこの値段にも納得かな……と思いつつ、複雑な気分だ。
「店主さん、食材とかどこから仕入れてるんです?」
何気なく聞いてみると、店主はスープを混ぜながら答えてくれた。
「そりゃあ、中央の大市場からだよ。あそこでは貴族様向けの上等な肉や野菜がまず優先されるんだ。俺たち庶民用の安い食材を手に入れるだけでもひと苦労さ。しかも最近、フィリップ殿下が軍備や宮廷の祭典に金をかけてるとかで、物価が跳ね上がってるんだよね」
なるほど、王都には王太子フィリップの影響がこんなところまで及んでいるのか。俺は一瞬、セシリアやフィリップという言葉を思い出し、胸に変なざわつきを感じた。
グレイスが焼き串をぺろりと平らげ、口元をハンカチで拭いている。
「うう、これはおいしかったけど、お財布には厳しいですね。数日間、こんな調子じゃ……」
「夜会までに金が底をつくかもしれん。上手くやり繰りしないとな……」
「……わたし、やっぱりレオン様に迷惑ばかりかけないように気をつけなきゃ。ドジしてお金が飛んでいったら、本末転倒ですもんね」
「そこを自覚してくれただけでも大進歩だよ。いや、マジで頼むわ」
苦笑しながら、俺は空を見上げる。夕方だった空が徐々に夜の深い紺色を帯びている。王都での初日、なんだか一気に疲れた気がするが、いい経験にもなった。
実際、都会のスピードは尋常じゃない。おまけに豪華さと貧困のギャップ、そして貴族社会の存在感。俺たちが王太子殿下の夜会に出たとき、果たしてどんな扱いを受けることになるのか、まったく想像もつかない。
「……まあ、ひとまず初日の食事は無事ゲットできた。ドタバタしたけど……大丈夫か、グレイス?」
「はい、いろいろ謝り倒しましたけど、レオン様と一緒に食べられてよかったです。王都の屋台ってすごいなあ……でも、値段もすごい……」
「同感。俺たち、こんな調子で本当に何日か乗り切れるんだろうか」
「うう……。でも、わたし、がんばります! 明日はもっといい屋台を探して、損しないように……!」
この段階で、わずかに胸をよぎる不安。これから夜会まであと数日。多くの苦難と出費が待ち構えているに違いない。
それでも、前に進むしかない。俺は意を決して、グレイスとともに宿へ戻るために歩き出した。
王都での初日の夜を、何とか無事(?)に終えられそうだが、果たして本番はここからなのだろう。
「よし、今日はもう休もう。明日からは夜会の準備やら情報集めやら、やること山積みだ。体力を温存しないとな」
「はい! わたし、今度こそドジを減らすように努力します……!」
「頼んだぞ、相棒」
そんな軽口を交わしながら、俺たちは宿の方へと戻っていく。暗くなり始めた王都の路地で、まだいくつもの屋台や露店が賑やかに営業を続けていた。
ざわめく光の街並みに背を向けながら、俺は心の中で夜会への焦りと期待を噛みしめる。果たして、どんな未来が待っているのか――。