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第64話 溢れる悲しみ

 森を抜け、近道を駆け抜けた先には――想像を絶する光景が広がっていた。


 いつも穏やかな笑い声が聞こえていた村が、今は焦土と化している。家屋が焼け落ち、柱だけが黒く煤けて立ち尽くす。あたりには煙が立ちこめ、鼻を刺す焼け焦げの臭いが辺り一面に漂っていた。


「……嘘だろ……?」


 思わず、声にならない声を漏らしながら、俺は足を止めた。地面は灰と血で汚れ、民兵が数名倒れ込んでいる。近づいてみると、意識を失った者もいれば、(うめ)き声を上げている者もいる。煙の先には、焼け跡の中で動かなくなった領民の姿が見えた。見慣れた村人が、冷たく横たわっている。


「レオン……」


 セシリアの震える声が背後から聞こえてくる。彼女もこの惨状に足を(すく)ませている。普段はどんな状況でも毅然としているはずの彼女が、こんなにも動揺を隠せないなんて。これが戦争なのだと、冷徹な現実が胸をえぐる。


「くっ……王太子軍が、ここを焼き払ったのか……」


 うわさに聞いていた通り、王太子はためらいなく民家を焼き、徹底的に領地を蹂躙してくるらしい。自分たちがゲリラ戦で奇襲を仕掛けた報復なのか、それとも根こそぎ“反逆の芽”を摘むためにあえて恐怖を与えているのか。いずれにせよ、あまりに理不尽な行為だ。


 燃え盛る炎は既に鎮火しつつあるが、瓦礫の下から断続的に煙が上がっている。泣き崩れる声が聞こえ、足元には小さな子どもの人形が転がっていた。


「私たち……守るって言ったのに……こんなの……」


 セシリアが膝をつき、震える拳を地面に叩きつける。いつも冷静な彼女の瞳に、涙が滲んでいた。俺も胸が締め付けられる。


 事前に避難計画を立て、村人には移動を促していたはず。だが、逃げ遅れた人々がいたのだろう。あるいは家族を守るために戻った者、隠しきれなかった家畜や荷物を取りに来た者たちが、この惨劇に巻き込まれた。


「俺は……俺は守るって、約束したのに……!」


 拳を強く握りしめ、悔しさで体が震える。ゲリラ戦で敵をかく乱したところで、村をひとつでもこうして焼かれてしまえば被害は甚大だ。自分たちが正面から王太子軍を止められない以上、こんな悲劇を完全には防げない現実が突きつけられる。


「レオン様……こちらに……」


 近くの兵が震える声で呼びかける。視線を向けると、倒れた民兵が息絶えている姿があった。昨夜まで笑顔で会話を交わしていた青年だ。周囲には血の跡が生々しく広がり、その手は何かをつかもうとしていたかのように硬直している。


 涙が込み上げて、口から呆然とした言葉が漏れた。何と言えばいいのか、自分でもわからない。そんな無力感に苛まれる中、わずかに立ち尽くす村人たちの姿が目に入る。辛うじて助かった人々だが、その顔には恐怖と絶望の色が濃い。


「せ、セシリア様……これ……どうすればいいんですか……」


 崩れかけた家の前で、ある女性が泣き崩れていた。家族がまだ行方不明だという。セシリアは彼女のもとに駆け寄り、必死に宥めるように肩を抱く。


 だが、セシリア自身も涙を止められず、頑張って言葉を紡ぐ。


「落ち着いて……わたしたちが捜します。絶対に、あなたを一人にはしないわ……」


 柔らかい声なのに、どこか震えている。その姿に、俺はさらに心が締め付けられる。セシリアだって強いわけではなく、必死に自分を支えているだけなのだ。


「こんなこと……絶対許せない。王太子が、こんな非道な手を……。わたし、もう黙っていられないわ」


 セシリアの瞳には怒りが宿る。いつもの高貴な雰囲気とは別の、激しい憤りをにじませている。それが俺の胸にも火を灯す。


 やはり、こんな理不尽な破壊を見過ごすことなどできない。王太子の暴政に対して、俺たちはまだ抵抗の道を捨てるわけにはいかないのだ。


「王太子は……王太子はここまで容赦なく領地を焼くのか……」


 歯ぎしりするように言葉を吐き出す。いくらゲリラ戦を仕掛けたとしても、だからといって民家を焼き払う正当性など何もない。これは明らかに“見せしめ”だろう。自分に従わない領地はこうなるという、強烈な恐怖を植え付ける狙い。


 それでも俺たちは引けない。もし屈服すれば、王太子はさらに横暴を拡大して、領民たちが苦しむだけだ。今は悲しみと怒りを胸に収め、やるべきことをやらなきゃならない。


「デニスは……デニスはどこだ? 生きている兵を集めて、まずは負傷者の救護を頼みたい。村の生存者も近くの拠点へ運ぼう。危険だけど、こんな場所に放っておけない」


 兵士の一人が「はい!」と返事をして駆け出す。俺も瓦礫の山を跨ぎ、倒れた家の中を覗く。火の勢いは弱まっているが、熱気が残っており、踏み込むには危険すぎる部分も多い。


 セシリアやグレイス、その他の者たちが必死に呼びかけをして、隠れている人がいないか探し回る。炭化した柱や崩れた梁をどかし、どうにか生存者を救えないかと目を凝らす。


「これが……これが王太子のやり方なのか。命なんて何とも思ってない……」


 つぶやく声が震え、涙が頬を伝っていくのを感じた。一瞬でも目を閉じれば、自分の不甲斐なさを嘆いてしまいそうだ。俺は必死に踏ん張り、歯を食いしばる。


「レオン……」


 そっと腕をつかむのはセシリアだ。彼女も髪や服に灰が付いているが、涙を拭って顔を上げる。その瞳に宿った怒りは、今にも弾けそうなほど強い。


「こんな理不尽……絶対に許せない。わたしたちが必ず止めなくちゃ。もう、後には引けないわよ……」

「ああ、わかってる。……もうこんな悲劇を繰り返させたくない。絶対に諦めない……」


 彼女の手を強く握りしめる。周囲からは悲鳴と嗚咽が絶えず、どこから手を付けていいかわからない混乱状態だが、俺たちは立ち尽くす暇はない。少しでも生存者を救い、次の一手を考えなければならない。


 戦いは始まったばかりだ。大軍を前に、こんな惨劇がまた起こるかもしれない。けれども、だからこそ歯を食いしばるのだ。自分たちが動かなければ、この悲しみはいつまでも終わらない。


「セシリア、グレイスと一緒に負傷者を手当てしてくれ。俺は兵を集めて、安全な隠れ場所へ誘導する。焼け跡にまだ人がいるかもしれないし、周囲を警戒してくれ」

「わかったわ。わたしも頑張るから……レオンも気をつけて。王太子軍がまだ近くにいるかもしれない」

「うん。絶対に気を抜かない」


 こんな無残な光景を目にして、俺の心は確固たる決意に揺らぎないものが加わる。命を奪われた者たちの無念を、焼かれた家屋の残骸を、ぜったいに無駄にしない。


 王太子の非道な仕打ちを食い止めるには、まだ多くの険しい道が待ち構えている。だけど、セシリアや皆と一緒に進むしかない。泣いているだけではもう守れないのだ。


(もう一歩進むんだ。絶望に押し潰されるわけにはいかない。これが戦争だと言うなら、俺たちが立ち向かうしかない)


 そんな強い思いを胸に、俺は部下たちと共に焼け跡の村へ突入し、瓦礫をどかして生存者の捜索を続ける。焦げた木材を払いのけるたびに、くすぶる炎が小さな閃光を放ち、漂う煙が目を刺す。


 泣き叫ぶ声、恐怖に震える声、すすり泣く声――戦の無情を突きつけられながら、それでも一歩ずつ足を動かす。これは決して終わらない悲しみにはしないと心に誓い、俺は歯を食いしばり、戦いの最中へ戻っていく。

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