第63話 ゲリラ戦での一時的抵抗
森の中はまだ薄暗く、木々が夜明け前の名残を纏っていた。俺たちは静かに身を潜め、地面に伏せるようにして待機している。周囲には民兵や兵士が十数名。みな緊張で固くなっているように見えたが、こうでもしないと数で勝る王太子軍に対抗できない。
「……先頭の敵騎兵を確認。おそらくこれが先遣隊だな」
隣でデニスが小声で報告してくる。見張りの兵士が手で合図を送っており、木々の間から馬の姿がうっすら確認できる。数は二十~三十騎といったところか。後方にはさらに大勢の歩兵が続くかもしれない。
俺は軽くうなずいて弓兵たちを見渡す。彼らも緊張のあまり息を詰めているが、慣れない手つきではない。これまでの訓練で、奇襲の要領はそれなりに心得ているはずだ。
「焦るなよ。先に飛び出すと囲まれる。俺が合図を出したら一斉に射撃だ。そのあとはすぐ森の奥へ散らばって、次の拠点に移る。くれぐれも深入りしないでくれ」
兵士たちは短く「了解!」と答え、再び弓に手をかける。俺は心臓の鼓動を抑えようと深呼吸する。王太子軍の先遣隊は、街道沿いの草むらを警戒しながら進んでいるようだが、まだこちらの位置には気づいていないらしい。
「レオン様、そろそろですね。今のうちに叩いておきましょう。数が少ないうちに襲撃して混乱を起こせれば、後続の進軍速度を落とせるかも」
デニスが耳打ちしてくる。俺もそれに同意だ。先頭の騎兵を崩せば後方の歩兵は警戒して慎重になるだろうし、結果的に大軍の展開を遅らせられる――それが狙いだ。
「よし、いくぞ。……合図は――今だ!」
俺が手で合図を送ると同時に、兵士たちが低い声で「うおおっ……」と息を呑みながら弓を引き絞り、一斉射撃を行う。闇に溶け込んでいた矢が次々と宙を裂き、騎兵の鎧に突き刺さる音が聞こえる。馬が悲鳴を上げ、騎士たちが慌てて盾を構えようとするが、突然の攻撃に混乱してまともに反応できない。
「くそっ、弓兵の伏兵か! 散開しろ!」
敵の隊長らしき人物が声を張り上げるが、すでに何騎かは矢を受けて地面に倒れ込んでいる。俺はさらにもう一度手を振って、第二射を命じた。
再び大量の矢が空を描き、騎兵たちは必死に防御姿勢を取る。しかし馬が暴れて制御できず、隊列が崩れ始めた。距離はさほど遠くないが、森の中から狙っているこちらは有利だ。
「いい感じだ! 相手が混乱しているうちに、弓兵は次の拠点へ移動しろ。デニス、頼む!」
俺は声を張り、すでに弓を放った兵士たちを追撃リスクが低い裏道へ誘導する。ゲリラ戦の基本は、深追いせず一撃離脱を繰り返すこと。相手が多数で正面から来るなら、こちらは木々の間を使って常に姿を隠しながら戦うしかない。
しかし、敵の先遣隊も指揮官が機敏に対応し始める。多少被害は出ているとはいえ、騎兵の数はまだ十数騎残っており、一部が森の奥を覗こうと馬を進めてくる。
「追ってくるぞ。第二陣の連中もいるかもしれない。無理はするな、撤退用のルートに散れ!」
デニスが大きく腕を振って合図すると、兵士たちは素早く木陰に隠れ、事前に決めていた別ルートへ走り出す。俺も一緒になって森の奥へ移動しようとしたが、そのとき、敵の一部がこちらに向かってきたのが見えた。
「やつらを逃がすな! 森の中に伏兵がいるぞ!」
騎士が馬を鞭打ち、こちらへ一直線に駆け込む。馬蹄の音が地響きのように近づいてくるのを感じて、俺は片手剣を握りしめた。短時間での白兵戦は避けたいが、ここで立ち止まって味方を危険に晒すわけにもいかない。
「デニス、先に行け! 俺がこいつらを引きつけておく。そっちの兵を頼む!」
「ですが、レオン様! ここで遅れたら……」
「大丈夫、すぐに戻る! 民兵を危険に巻き込むな。早く行け!」
デニスは苦い表情で一瞬逡巡したが、「わかりました!」と答えて民兵を率いて森の奥へ散っていった。俺はなるべく騎兵の注目を引くように、あえて姿を出し、道の真ん中で剣を構える。
「お前が指揮官か……おとなしく捕まれば命は助かるやもしれんぞ!」
騎士の一人が馬上から俺を見下ろし、槍を突きつけてくる。その後方には騎兵数騎が控えているが、人数としてはそこまで多くない。俺は苦笑し、腹の底に渦巻く恐怖を押し殺すように剣を構える。
「そういう余計な言葉はいらない。俺たちは守るものがあって戦っているだけだ……!」
騎士が勢いよく槍を突き出し、馬が迫ってくる。俺は間一髪で身を捻り、槍先を避けながら馬の腹部に剣を当てる――が、鎧や頑丈な馬具で弾かれ、浅い傷しか入らない。しかし馬が驚いてバランスを崩し、騎士も態勢を乱した。
「くっ……この、小僧が!」
すかさず騎士が槍を振り回そうとするが、俺は反撃せず後方へ跳んで距離を取る。深追いすれば後ろの騎兵に囲まれてしまう。今は単に足止めしているだけで充分だ。
(時間稼ぎはもういい。これ以上は危険が大きい。撤退しなきゃ)
騎兵が立て直して再度突撃してくるのを見て、俺は素早く森の奥へ向かってダッシュし、木の幹を盾に使いながら走る。騎兵には追いにくい地形だ。さらに部下がいないのを見て「あいつは一人か?」などと声が聞こえるが、ここからは追いつかれないように移動するのみ。
森の小道を抜け、別のルートで合流を図る。木陰をくぐるたびに、背後で敵兵の叫び声が遠のいていく。俺は息を切らしながら、何とかデニスたちがいるはずの拠点へ向かった。
「はぁ、はぁ……。よし、どうやら負けずに済んだな……」
ようやく開けた場所に出ると、そこにはデニスや民兵が揃っていた。皆、いくつかの戦果を収めたらしく、弓矢を放った痕跡や手傷を負った兵の姿も見えるが、大きな死傷は出ていなさそうだ。
デニスがほっとしたように俺に駆け寄る。
「レオン様、無事で何よりです。どうでしたか、敵の状況は?」
「先遣隊を少し混乱させた程度だが、あまり深追いはしてこなかった。たぶん騎兵がこちらの地形を警戒して、逆に俺たちを追いきれなかったんだろう。被害は……?」
「こちらは軽傷者が二名出ただけです。すぐに退いたので大事には至りませんでした」
ゲリラ戦としては上出来だ。先遣隊を混乱させ、進軍を遅らせたなら一旦は成功と言える。しかし森の向こうでは、王太子軍の本隊がすぐに合流してくる可能性がある。
俺は周囲を見回し、皆の疲弊した顔を確認する。戦闘はまだ始まったばかりだ。局地的な勝利にとどまり、次の攻撃が来るまで一息つく時間もわずかだろう。
「とりあえず、ここでしばらく休もう。再度敵が来る前に補給と体勢の立て直しだ。各自、傷の手当をしてくれ。俺はセシリアやほかの拠点とも連絡を取らないと」
兵たちが安堵の息を吐きつつ、木陰に腰を下ろして水を飲み始める。誰もが戦いの緊張感を拭いきれず、まだ震えが残るようだ。デニスが小声で俺に尋ねる。
「今回の奇襲はうまくいきましたが、敵の総数を考えると、じわじわ追い詰められるかもしれませんね。次はもう少し手強い対応が来るでしょう」
「ああ、そう思う。……でも、これで相手が簡単に勝てないと思えば、慎重に動かざるを得ない。そこに希望を見出すしかないよ。ゲリラ戦で嫌がらせを繰り返せば、後続の進軍速度も落ちる。戦線が長引けば、殿下に不満を抱える勢力が動きやすくなるかもしれない」
自分自身に言い聞かせるように話す。実際、恐怖を感じないわけがない。それでも、ここで諦めるわけにはいかない。俺たちは領地を守るため、こうして抵抗を始めたのだから。
「レオン様、セシリア様から伝令が届きました!」
遠方から駆け寄ってきた兵士が声を上げる。封筒を受け取って急いで読むと、そこには「村人の避難が概ね完了、次なる拠点で状況を把握中。合流可能なら急いで来てほしい」と書かれている。
デニスと目を合わせ、すぐに行動を決める。
「よし、じゃあデニス、民兵の一部を率いて次の拠点に移動してくれ。俺はこのまま全体の状況を確認しながら、セシリアと合流する」
「わかりました。気をつけてください、レオン様。まだ敵の追っ手が来るかもしれませんし」
「大丈夫だ。そっちも無理するな。今は粘り強く時間を稼ぐのが最善だ」
短い言葉を交わして、俺は再度森の奥へ足を踏み出す。さっきまでの戦闘で、血や汗がまとわりつくような感覚があったが、そんなことを気にしている余裕はない。
今日の戦いはほんの始まりにすぎない。王太子軍の圧倒的な数に対して、俺たちのゲリラ戦術がどこまで通用するか――それはまだ未知数だ。けれども、こうやって一時的な成功を積み上げることで、わずかな希望をつないでいくしかない。
(戦いはこれからが本番だ。絶対に諦めない。セシリアやみんながいるからこそ、俺は戦えるんだ)
自分を鼓舞するように剣の柄を握り直す。混乱を誘う程度の勝利では、苦難を乗り越えられないだろう。だが、こうして一瞬でも敵を押し返せるなら、勝機はあるはず――そんな決意を燃やして、俺は次の地点を目指して駆け出した。




