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第62話 大挙する王太子軍の到来

 夜が明けきらないうちに、慌ただしい足音が廊下を駆け抜けた。どこかで警鐘が鳴り響いたような気がして、俺は飛び起きるように椅子から立ち上がった。机の上には地図や書類が散乱したまま。どうやら、うたた寝のつもりが深い眠りに落ちていたらしい。


「――レオン様、大変です!」


 ドアを叩く声音に驚いて、慌てて扉を開けると、息を切らせた偵察兵がそこに立っていた。その目には明らかな焦燥が宿っている。


「落ち着いて報告しろ。何があった?」

「はい、王太子軍が……大軍がこちらに迫っています! 夜明け前から街道を進軍しているのを視認しました。数は……ざっと数千規模と見られ、傭兵部隊らしき集団も確認できました!」


 やはり来たか――頭の中でざわめきが広がる。ここ数日の噂や警戒が、ついに現実になったのだ。夜明け前から動き始めるとは、まさに奇襲に近い。


「数千……。傭兵も一緒となると、かなりの戦力だな。わかった。すぐにみんなを集めて作戦を確認する。ご苦労だったな、少し休め」

「いえ、まだ別方面の偵察も続けます! それでは、失礼します!」


 兵士が再び走り去る後ろ姿を見送ってから、俺は書類を抱え込み廊下へ飛び出した。すでに領主館のあちこちで騒ぎが起こり、走り回る足音や叫び声が混じっている。討伐軍が本格的に動く――そう知れば、誰だって怯えるだろう。


 食堂や玄関ホールで騎士や民兵が慌ただしく行き交う様子を横目に、俺は一番奥の部屋に急ぐ。そこが臨時の作戦会議室として使われているのだ。


「デニス、いるか!」

「レオン様、ここです!」


 大きなテーブルの前には、甲冑を着けたデニスが地図を広げて待ち構えていた。すでに何人もの兵士や隊長格が集まり、二人の偵察兵が指で地図上の街道を指し示している。


「夜明け前から侵攻開始という話だが、まだ最前線は遠い。完全にこちらへ到達するまで半日はかかるかもしれません。ただ、足の速い先遣部隊が森を越えて先に来る可能性もあります」

「うん。大軍の本体はともかく、傭兵隊が前に出てくるかもしれないから油断できない。まずは村の避難を急がせよう。老人や子どもを安全な隠れ場所へ移動だ。グレイスの手は空いてるか?」


 俺が周囲を見渡すと、ちょうど廊下の向こうからグレイスが飛んでくるのが見えた。転ばないように必死に腕を振っているが、やはり危なっかしい。


「レオン様、村の方々への避難指示は一応お伝えしました! ただ、突然すぎて皆さん相当動揺してます……どこへ行けばいいのかと混乱していて……」

「落ち着かせて。セシリアが作った避難ルートの地図は配ってあるだろう? 民兵を何人か添えて、整然と誘導できるよう指示を出してくれ。俺も後で確認に回る」


 グレイスが「はいっ」と力強くうなずき、また走り去ろうとしたところで、奥の扉が開いてセシリアが姿を見せる。彼女は腕に何冊もの書類を抱えながら、静かながら緊張を帯びた面持ちだ。


「レオン、報告は受けたわ。討伐軍が本気で動き出したのね……。さっそく民兵の配置や拠点確保の再確認が必要よ」

「ああ。デニス、どうする? ゲリラ戦に切り替えるタイミングを早めるべきか?」

「そうですね。奴らの先遣隊を深追いすれば、大軍が追いついてきたときに戻れなくなる可能性がある。まずは拠点を分散させて、正面衝突は避けたいです」


 テーブル上の地図を示しながら、デニスが指で何か所かの山岳や森を叩く。すでに部隊を分けて拠点を設置しつつあり、そちらを中心にゲリラ戦を展開する計画はある程度固まっていたが、実際に大軍が来るとなると話は別だ。兵の士気はどうなる? 物資は十分か? 不安が膨れ上がる。


「セシリア、村の避難は大丈夫か? 年寄りや病人が取り残されないように……」

「グレイスが言ったとおり、皆さん動揺してるけど、わたしも数名の民兵を連れて手分けして見回るわ。アイリーンが中心になって物資を安全な場所へ移動させているから、大混乱にはならないと思う」

「そっか、ありがとう。……さて、問題はこの数千規模の討伐軍か。傭兵が前に出てくるなら、早い段階で森や崖を使って嫌がらせをするしかないな」


 デニスが地図を指しながら作戦を整理していく。兵士たちも真剣な眼差しでうなずき、討伐軍の進軍ルートを推測している。俺は途中で大きく息を吸った。


「みんな、聞いてくれ! 確かに相手は大軍だ。怖いだろうし、負ける可能性だってあるかもしれない。でも、ここで何もしなければ俺たちの大切な家と人々が踏みにじられるだけだ。だから……諦めるわけにはいかないんだ」


 士気を高めるつもりで声を張り上げると、兵士たちが顔を上げる。絶望の色を浮かべていた者も、少しずつ決意を取り戻すように見える。


「実際に先遣隊を撃退できたじゃないか。あの時だって相手は正規の騎士団だったんだ。大軍でも、俺たちが手をこまねいてるわけじゃない。ゲリラ戦や地の利を活かした戦いで、奴らを苦しめることはできるはずだ」

「そうね、レオン。わたしたちには準備と覚悟がある。長期化させれば、王太子を嫌う領主や貴族も動きやすくなる。それこそがわたしたちの勝機よ」


 セシリアが静かに補足してくれた。先日の同盟模索でもわかるように、王太子を苦々しく思う者は多い。もし俺たちが容易く潰されなければ、さらに反王太子の動きは広がるかもしれない。


「だからみんな……どうか踏ん張ってほしい。怖いのはわかってる。だけど、ここで退けば残るのは後悔だけだ。俺たちには守るべき領地と人々がいる。そうだろう?」


 兵士たちが大きくうなずき、それぞれの武器を握りしめる。「やりましょう、レオン様!」「地の利はわたしたちが熟知しています!」と声が上がり始める。


 怖くないわけはない。それでも、一度決めたからには退かないという意志が伝わってきて、俺も胸が熱くなる。


「よし、デニスは兵を手分けしろ。拠点ごとに指揮官を置き、先遣隊が侵入してきたらゲリラ戦で混乱を狙う。セシリアは村の避難を確認したら、ここに戻って指令をまとめてくれ。グレイスも落ち着かないかもしれないが、周囲を回って報告をまとめてほしい」

「わかりました! 転ばないように気をつけます!」


 グレイスがいつもの調子で手を挙げて答え、セシリアは苦笑いしながらサッと書類をまとめる。デニスは地図を胸に抱き、「必ずや準備を完了させてみせます!」と力強く宣言して出ていった。


 こうして、夜明け前に迫る王太子軍に対して、クリフォード領は一斉に動き出した。兵の足音が館内を駆け抜け、民兵は外へ散っていく。慌ただしさに満ちた空気が、戦いの幕開けを予感させる。


(大軍が迫っている……本当に怖い。だけど、みんなの決意を無駄にしたくない。俺がリーダーとして踏ん張らなきゃ、誰がこの領地を守れるんだ)


 自分自身に言い聞かせ、勇気を奮い立たせる。セシリアと視線が交わり、互いに小さく微笑む。そこには不安もあるけれど、揺るぎない意志が確かに感じられた。


「レオン、落ち着いて。状況は厳しいけど、わたしたちは準備を進めてきたじゃない。絶対に負けないわよ」

「ああ、必ず守り抜く。君を、そしてみんなを。この地は俺たちの大切な場所だから」


 廊下の窓越しには、朝焼けがほんのりと空を染め始めている。もう一時の猶予もない。王太子軍の足音はすぐ近くまで迫り、戦火が始まるのは時間の問題だ。それでも、こうして一人じゃないという思いが、俺の心を支えてくれていた。


(この戦いがどう転ぶかわからないけど、諦める気なんて毛頭ない。絶対に、この地を踏みにじらせるわけにはいかないんだ)


 そんな決意を胸に、俺はセシリアとともに執務室を後にした。館内のあちこちで準備が進む音が聞こえる。悲壮感もあるが、ここにはみんなの覚悟がある。あの日、先遣隊を撃退したように、今度もやってみせる――そう信じて、俺は駆け出した。

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