第59話 同盟の模索
領内各所で戦の準備が進む一方、俺とアイリーンはある計画を密かに動かしていた。フィリップの横暴に不満を抱える小領主や中級貴族に声をかけ、同盟を模索する――そのために、密かに客人を迎える準備を進めていたのだ。
ある日の午後、領主館の奥まった応接室に数名の小領主が集まっている。外からはわからないよう、馬車を物陰に止め、関係者以外を立ち入らせないようにした。ここで騒がれたら王太子が嗅ぎつけてしまうかもしれないから、可能な限りの慎重さが求められる。
「遠路はるばる、お越しいただきありがとうございます。クリフォード領主、レオン・クリフォードと申します」
俺は深く頭を下げて出迎えた。お歴々は皆、王太子殿下には表向き従っている立場のため、こういう“裏の会合”には敏感なはず。それでもここに来てくれたことは、大きな勇気だろう。
「あまり大々的には動けぬゆえ、こうして密かに参上した次第です。ロウエル子爵と申します。……こちらはバーネット男爵、それから……」
「ええ、それぞれ王都や近隣領地で細々と地位を保っている者たちです。先日からの殿下の強硬策に、いささか耐えかねているというところでな……」
ロウエル子爵を先頭に、皆が椅子へ腰を下ろす。その顔には疲労と恐れが混ざった表情が浮かんでいた。アイリーンが軽くうなずいて俺の隣に立ち、お茶の支度をする使用人に指示を送る。
「皆さま、どうぞ肩の力を抜いてください。ここでは王太子の耳は届きませんので。わたくし、アイリーン・フォスターと申します。レオン様の商業・外交面をお手伝いしております」
アイリーンがにこやかに挨拶すると、貴族たちも小さく会釈を返す。ただし、誰もがまだ様子見の態度で、油断はしていない様子だ。
「わたしはロウエル子爵とバーネット男爵に、以前から取引のご縁がありまして。皆さま、クリフォード領は危機に瀕しているからこそ、手を組む価値があると考えてくださっていると伺いましたが……」
「正直なところ、まだ確信が持てません。王太子の大軍が動けば、いくら貴公らが抵抗しても、ただ踏み潰されるだけではないかと……」
バーネット男爵が深い溜息をつきつつ、俺を真っ直ぐに見る。その目には不安だけでなく、“単に敵の敵だからといって安易に組めるとは限らない”という貴族らしい打算が見える。
「もちろん、勝算が全くなければ一緒に沈むだけ。そんな博打はできません。ですが、殿下の強権に怯えて黙っていたら、いずれ皆さまの領地も安全とは言えないでしょう」
俺はできるだけ穏やかな声を出して、ゆっくりと話し始める。背筋がこわばりそうだが、ここで無様な姿は見せられない。
「現に、王都では殿下が周辺国と傭兵契約を進め、反対派を容赦なく粛清する構えを見せていると聞きます。殿下が望むのは絶対服従。少しでも異を唱えれば、我々と同じように“反逆者”にされかねない。そして一度印象を悪くすれば、どんな因縁をつけられるかわからない……そう思いませんか?」
「……確かに、殿下は王都で好き放題に振る舞っていると聞きますな。近頃は陛下のご意思さえ無視して動き、大貴族の一部しか周りにいないとか」
ロウエル子爵が苦々しげに口を開く。子爵はもともと王都へ定期的に出入りしていたらしく、フィリップの暴走を間近で見てきたのだろう。
「わたしは少し前に殿下の取り巻きから“援軍を出せ”と圧力をかけられました。断れば逆賊扱いされかねないし、従えば殿下の暴政を助長することになる。……板挟みです。ここにいる皆も似た境遇ですよ」
彼がちらりと周囲を見渡すと、他の貴族たちも黙って小さくうなずく。俺はうなじのあたりに汗を感じながら、言葉を継いだ。
「だからこそ、一人で抵抗するのは自殺行為。でも、もしわたしたちが団結すれば、殿下のやり方にブレーキをかけられるかもしれません。周辺の不満を抱える領主や商人が手を組めば、それ相応の勢力となるはずです」
「しかし、貴公らだけで本当に対抗できるのか? 王太子に傭兵隊まで加われば、クリフォード領など一撃では……?」
「先遣隊は確かに撃退したそうだが、それは単に運がよかっただけではないのか?」
不安げな声が重なり、空気がやや重くなる。事実、大軍が来ればクリフォード領がどうにかなるのではと考えるのは当然だ。
「わたしたちも、正面から殿下の大軍を迎え撃つつもりはありません。地形を活かしてゲリラ戦術を行い、相手を長期化させる方針です。戦いが長引けば、殿下に不満を持つ勢力が動きやすくなる。そうなれば状況が変わるかもしれません」
俺が淡々と作戦の概要を話すと、貴族たちは沈黙したまま眉をひそめる。やがて、ロウエル子爵が何かを決心したように静かな声を出した。
「……なるほど。もちろん簡単ではないでしょうが、一応筋は通っている。わたしも殿下のやり方に嫌気がさしているし、一矢報いてくれれば……という期待はある。だが、軍事力の差が問題だ。わたしたちも公に兵を出すのはリスクが大きすぎる」
「そうでしょうね。殿下に即バレれば、“お前たちも反逆者か”と粛清されるかもしれない。だから、こちらも無理強いはしません。ただ、陰ながら物資のサポートや情報協力をしていただけるだけでも助かるんです」
アイリーンが横からさりげなくフォローする。会話の流れは悪くないが、皆が一挙に同盟を結ぶとはならないのが現実だ。二、三の領主は渋面を浮かべている。
「正直、わたしたちも命がけです。クリフォード領が潰されれば、殿下の脅威はますます強まる。いつか我が身に返ってくるでしょう。今はまだ時期尚早かもしれませんが、いざというとき手を貸してもらえれば……それだけでも違うんです」
俺が深く頭を下げると、貴族たちは視線を交わして複雑そうに口を開いた。「まあ……検討してみよう」「すぐには大きく動けないが、王太子の暴走は危険だからな……」と、否定的とは言い切れない返答が返ってくる。
「誓約書に判を押すような、正式な同盟までは難しいでしょう。ただ、連絡ルートを確保しておきたい。いざというとき、お互いに助け合える可能性がありますから」
セシリア不在ながら、彼女が用意した書類を俺が示す。そこには“中立的な立場を維持するが、万が一クリフォード領が優勢になれば加勢も検討する”という曖昧な文面の覚書が並んでいる。貴族たちにとっても、露骨に反王太子を匂わせないための策だ。
「皆さまの立場もあるでしょうし、しっかり読み込んでいただき、よろしければ仮印だけでも押してもらえないでしょうか? わたしたちはそれで充分です。貴方がたに無理強いは致しません」
「……わかった、とりあえず見せてもらおう。仮にこの程度なら、わたしらも殿下に対して釈明できなくはないし、保険になるかもしれん」
何人かは書類に目を落とし、ペンを取り始める。バーネット男爵は「ちょっと先に詳しく読ませてくれ」と慎重な姿勢を崩さないが、まるきり拒絶する気配はない。
これで完全な同盟とはいかないが、少なくとも将来的に動いてもらう下地は作れそうだ。アイリーンと目が合い、ホッとした微笑みを交わす。やがて、ロウエル子爵がペンを置き、深く息をついた。
「これでいい。わたしは苦渋の決断だが、一筋の光があると信じたい……。レオン殿がどれほどの覚悟で殿下に挑もうというのか、心配もあるが、応援はしているよ」
「ありがとうございます。皆さまのご協力が、俺たちの大きな力になります。どうか、今後とも連絡を取り合いましょう」
こうして、秘密会議はまずまずの成果を収めた。大きな軍事同盟には至らないものの、殿下の圧政に不満を持つ小領主・中級貴族が水面下で“クリフォード領を潰したくない”と考え始めるだけでも大きな進歩だ。
会合を終え、彼らが密かに領主館を後にするまで、アイリーンと俺は緊張を絶やさなかった。だが、事が済んで扉が閉まると、一気に肩の力が抜ける。
「レオン、ひとまず成功ってところかしら? これで一気に大きな戦力が得られるわけじゃないけど、周辺領主との関係が好転するきっかけにはなるかもしれない」
「ああ、彼らも腹にいろいろ抱えたままだが、少なくとも王太子のやり方に疑問を持っている。将来、状況が整えば助力を得られるかもしれないから、大きな一歩だよ」
アイリーンがほっとした笑みを浮かべ、「セシリア様にも報告しなきゃ」と書類を抱え込む。俺は小さくうなずいてから、窓の外を見やる。いつもの領地の風景が、少し明るく感じられた。戦いへの備えは厳しいが、こうして味方を増やしていけば道が拓けるかもしれない。
(強大な討伐軍に対して、こちらも仲間を得るんだ。王太子が絶対というわけじゃない。まだ希望はある――)
そんな思いを胸に抱きながら、俺は部屋の奥へ歩き始める。やるべきことは山積みだが、今日の秘密会合で確かに手応えをつかんだ。周囲には圧力に苦しみ、密かに動こうとする勢力が存在する。それらがひとつになれば、フィリップの独裁に風穴を開けられるかもしれない。
アイリーンと顔を見合わせ、再び笑みを交わす。いよいよ、戦いに向けた準備が本格化していく。王太子への反旗を翻すための道は長いが、一歩ずつ進むのだ――俺たちが望む自由と平和を取り戻すために。




