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第57話 セシリアの問いかけ

 朝の空気がまだひんやりとした時間帯。


 俺は領主館の書斎で何やら資料を確認していた。昨日の遅くまで作業したはずなのに、やることが山積みで、気が休まる暇もない。農民や民兵への指示書、周辺領主との連絡手段の確認――書類の束をいくら片付けても、尽きる気配がない。


 すると、部屋の入り口からノックの音が聞こえた。振り向くと、いつになく神妙な面持ちのセシリアが立っている。慌ただしく動くはずの朝の時間に、彼女はどうやら特別に俺を訪ねてきたらしい。


「……レオン、ちょっといいかしら? 話したいことがあって」

「もちろん。ちょうど休憩にしたかったところだ。入ってくれ」


 どうぞ、と手振りで合図すると、セシリアは静かに扉を閉め、俺の正面に立った。その姿はなぜか少し落ち着かなそうに見える。


「実はね……最近、ずっと気になっていたことがあるの。あなたに直接聞きたくて」

「気になっていたこと?」

「ええ。……どうしてあなたは、わたしにそこまで構うの?」


 思いがけない問いに、思考が止まりそうになる。頭の中で、ごちゃごちゃした思考が一瞬真っ白に変わる。


「え、構うって……それは、えっと、王太子から逃げてる君を助けたとか、そういう話か?」

「そう。下級貴族の領主として王太子に逆らうなんて、普通は怖くてできないことだと思うの。なのに、あなたはわたしを必死で庇ってくれた。今も王太子の討伐軍に対して抗おうとしてる。危険な目に遭うかもしれないのに……どうして?」


 淡々と話しているようだけど、その瞳は真剣で、どこか寂しさを宿しているようにも見える。俺の胸が高鳴って、脳裏で警鐘が鳴るようだった。


(どうしてそこまで……自分の気持ちを言葉にするのは難しい。でも、もう誤魔化せないだろう)


 呼吸を整えようと小さく息を吐き出す。セシリアが、まっすぐ俺を見つめているのが痛いほど伝わってくる。


「うまく言えないけど……最初は“あまりに理不尽だ”って思ったんだよ。君が断罪されたとき、あまりに王太子の行為が一方的で、見過ごせなかった。それだけ……と言えば簡単だけど、それだけじゃないんだ」


 言葉を探し、心臓がドキドキ高鳴るのを感じる。魔物に立ち向かうような緊張が湧いてきたが、逃げるわけにはいかない。もうここまで来てしまったのだから。


「セシリアと初めて会った夜会で、君が毅然としていた姿に心を奪われた。王太子の言葉にも屈しない気高さがあって……放っておけなかったんだ。そこから、いつの間にか“何としても助けたい”って思いが強くなってて、君が危ない目に遭うのを見過ごせなくなった」

「……そう。それだけで、クリフォード領が危険に晒されることを受け入れる理由になるのかしら?」


 セシリアのまなざしは真剣そのもので、俺の答えを見極めようとしている。でも、ここでやめたら全部嘘になってしまうような気がした。意を決して、もう一歩踏み込む。


「違う……それだけじゃ、言い表せない。……君が好きだからなんだ。放っておけないんだよ。王太子に断罪されるのを見ていたら、胸が抑えきれないほど苦しくて……」


 言葉を口にした瞬間、部屋の空気が変わった気がした。俺は恥ずかしくて耳が熱くなるのを自覚するが、視線を外せずに続ける。


「君は高貴な生まれで、気高さもあって、自分とは違う世界の人だってわかってる。けど……俺は、君を見てると胸が痛くなる。守りたくなるんだ。そうじゃないと、自分の気がすまない」

「……好き、って……」


 セシリアが驚いたように目を見開く。その表情には戸惑いとわずかな赤面が混ざっているように見える。彼女の頬にほんのり色が差すのがわかった。しばし静寂が降り、書斎の中の物音がやけに大きく感じた。


(やっちまったかな。だけど、もう嘘はつけない。討伐軍が来ようとしているこの状況下で、偽りの言葉を並べても意味がない。俺の心は確かに君を想ってる。それだけだ……)


 一歩踏み込んだ気持ちが宙に浮いたまま固まる。セシリアはしばらく何も言えず、書類を握る手が震えている。やがて、か細い声で返事を絞り出す。


「わたし……こんなときにそんなこと言われたら、どうすればいいの? 王太子が迫ってるのに……正直、戸惑うわ」

「わかってる。今は戦うことが最優先で、こんな気持ちに浸ってる場合じゃない。でも……後悔したくないんだ。もし戦いが激しくなって、いつか俺が命を落とすかもしれないと思うと、この想いを伝えずにはいられない」


 ぎこちなく言葉を継ぎ足すと、セシリアは片手で額を押さえ、うつむき気味になった。そこには戸惑いと、どこか拗ねたような雰囲気が混ざっている。


「あなた、本当に無茶苦茶ね。でも……ごめんなさい、今はどう答えていいか分からない。わたしもあなたに感謝していて……特別な思いもあるけど……」

「ううん、わかってる。今は返事なんて求めてない。君が安心できる状況じゃないんだし、余計に困らせちゃうよな……」

「……困るわよ。こんなの……だけど、そんな無茶苦茶な人だからこそ、わたし……いや、やっぱり今はやめておくわ」


 セシリアが言いかけて言葉を呑み込む。お互いに顔を赤らめながら、一瞬だけ視線が交差し、また反らしてしまう。部屋の空気はぴりぴりしたまま、けれど冷たいわけじゃなく、熱を帯びた緊張感が充満している。


「戦いが落ち着いたら、改めてちゃんと話そう。君がどう思ってるのか、そのときまで待たせてほしい」

「……それがいいわ。今は討伐軍が来るという事実があるんだから……わたしも、そういう感情をどう扱えばいいのか整理できてないし」


 セシリアが弱々しい笑みを浮かべる。困惑の中にも、どこか安堵が見えた。俺が想いを伝えたことが全然迷惑じゃない、とまでは言えないが、少なくともまったく嫌ではないらしい雰囲気を感じ取る。


「ありがとう、セシリア。……今は、一緒に戦おう。君を失いたくないし、領地のみんなも絶対に守りたい。それだけは、嘘じゃないんだ」

「ええ、わたしもあなたを……みんなを守るために動くわ。二人で、いえ、皆で、この危機を乗り越えましょう……」


 最後の言葉は震えるような小さな声だったが、その瞳には強い決意が宿っていた。もう一度視線が絡み合い、胸が熱くなる。


 やがてセシリアは書類を抱えなおし、「続きは後で」とだけ言い残して部屋を出ていく。その後ろ姿を眺めながら、俺は長い息を吐いた。


(いつか戦いが落ち着いたら、ちゃんと気持ちを聞かせてもらおう。それまでは、この想いを心に秘めて、君を守るために全力で戦うんだ)


 そんな決意を胸に、遠ざかる足音を聞く。扉の閉まる音がして、部屋には俺一人が残った。さっきまでセシリアがいた空間にまだ余韻が漂っていて、書類の山を見る気力さえしばし失ってしまう。


 それでも、これは未来への希望かもしれない。討伐軍の脅威に怯えつつも、俺は一歩ずつ前に進む。セシリアを、領民を、そしてこの領地そのものを守るために。彼女の言った通り、今は戦いに集中するしかない――それが、恋心を自覚した俺が出せる唯一の答えだった。

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