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第54話 クリフォード領への報せと動揺

 討伐軍が本格的に動き出す――そんな噂が瞬く間にクリフォード領へ届いたのは、ある晴れた朝のことだった。伝令役の商人が慌てた様子で領主館に駆け込み、王都での王太子フィリップの宣言を語って聞かせる。あまりに唐突な報せに、俺たちは一気に緊張を高めた。


「どうやら、規模は数千に上るかもしれないって話よ。王太子殿下が大々的に“反逆者討伐”を宣言して、貴族や周辺の諸侯が軍を出すとも……」


 アイリーンがそう言葉をつなぐ。集まった皆は黙り込み、重々しい空気が部屋を包んだ。先遣隊を撃退できたからといって、今度はまるで桁違いの兵力になる可能性があるのだ。王太子が本気で潰しにかかるとなれば、こちらとしても戦いの規模を無視できない。


「数千……。そんな大軍を相手にするなんて、民兵だけじゃどうにもならないかも。いくらゲリラ戦が得意でも、数で押し切られたら耐えきれないぞ」

「ええ。しかも正規軍だけでなく、傭兵隊が加わるとなれば戦力が倍増してしまうわね」


 デニスとセシリアがそれぞれの視点から意見を述べる。デニスは兵力の実際的な運用を、セシリアは敵陣営の政治的背景を踏まえて。俺は二人の言葉を聞きながら、焦りと責任感の板挟みに立たされている気分だった。


「それでも、今さら降伏するわけにはいかない。殿下の宣言によれば、セシリアも処刑するとか言ってたんだろ? どのみち交渉の余地なんてなさそうだ」

「確かに、王太子はそう言っている。……だけど、ほんの少しは可能性があるかもしれない。ライナスのように金だけで動く傭兵隊長もいるし、周辺諸侯の一部もまだ静観している。大軍が動く前にわたしたちも動ければ……」


 セシリアが苦い表情で意見をまとめる。けれど、その論調はいつものような確信に満ちたものではない。相手が数千規模の討伐軍という現実が、いかに重いかを痛感させられる。


 そんな中、グレイスがうつむき加減で震えながら声を出した。


「みんな、大丈夫ですか……? 村の人たちも、王太子様が本気を出したらどうなるのって怯えてて……」


 当然だ。前の衝突ですら、家が焼かれ負傷者が出た。もし今度は数千規模となれば、その被害は想像を絶する。俺の胸中もざわつきが止まらない。


「……なら、わたしが出頭すればいいのではないかしら」


 不意に静かな声が響き、全員がセシリアへ視線を向ける。彼女は決然とした表情を浮かべながら、まっすぐ俺を見る。


「わたしさえ王都へ戻れば、レオンや領民がこれ以上傷つかずに済むのなら……。わたしはもともと殿下と縁があった人間だもの。多少は情けもあるかもしれないし、殿下の怒りを鎮められるかもしれない」

「やめろ、そんなこと絶対にさせない!」


 俺は即答で否定する。気づけば拳を握りしめ、机を思わず叩いていた。周りの空気が張り詰めるが、そんなこと構っていられない。


「セシリアを差し出して時間を稼いだところで、殿下が納得するなんて思えないだろ。むしろ“反逆者を成敗した”って大義名分で全てを奪うかもしれない。領地だって無事で済むはずがない」

「でも……わたしがいなければ、殿下の恨みを買う理由も減るわ。あなたたちが苦しむのを見るのがつらいのよ」


 セシリアの眼差しは真剣だった。俺たちを守るために自分を犠牲にしようという決意が、その声に滲んでいる。でも、それがあまりに悲しい考えだと感じてしまう。


「そんなの……君が犠牲になればいいなんて話、絶対に認められない。領民だって、君を差し出して平和を得るなんて望んでないさ」

「そうです、セシリア様! そんなのダメです! わたしたち、セシリア様を救うためにやってるのに、これじゃ本末転倒じゃないですか!」


 グレイスも涙目になりながら声を上げる。続いてデニスが低く唸るように言葉を補う。


「王太子はそこまで短絡的じゃないはずです。セシリア様を出頭させたところで、今度は“レオンが反逆者”という理由で潰しにかかるだけかと。結局、領地も滅ぼされる恐れが大きい」


 アイリーンが「そうそう!」と大きくうなずき、セシリアの肩を軽く叩く。


「セシリア様、わたしたちはあなたを信じて一緒に戦おうとしてるんだから。あなた一人を犠牲にして丸く収まるなら、最初からこんな苦労してないわよ」


 セシリアはうつむきがちに視線を落とす。唇を噛みしめるような仕草から、相当に葛藤しているのが伝わってくる。


「……でも、もし大勢の命が失われるくらいなら、わたしは……」

「そんなふうに言わないでくれ。俺も、領民も、誰も君が犠牲になるなんて望んでないし、それにこのままじゃ誰一人救われない結果になるかもしれない。だから、俺たちが力を合わせて戦うしかないんだよ」


 セシリアの目が(うる)み、わずかにうつむく姿は痛々しい。これほどの危機を前に、彼女もいろんな責任を感じているのだろう。でも、それこそ今は一人一人が自責の念に囚われる時ではない。


「セシリア様、あなたがいなければ、わたしたちの戦い方はますます厳しくなるわ。外交や情報整理はあなたが頼りだし、わたしたち、本気であなたとこの領地を守りたいから」


 アイリーンが説得を続けると、セシリアはかすかに頬を赤らめて視線を逸らす。しかし、その頬にはどこか安堵の色が浮かんでいた。


「……そうね。ごめんなさい、わたし、ちょっと弱気になってた。ありがとう、みんな」


 彼女の言葉に安堵の空気が流れる。とはいえ、討伐軍が数千規模で迫るという事実は変わらない。この部屋の空気が落ち着いたのは一瞬だけで、すぐに重苦しさが戻ってくる。


「時間がないわね。王太子が本格的に動くまでに、どれだけこちらが防衛線や外交工作を固められるかが勝負よ」

「うん。とにかく、セシリアは絶対にここを離れないでくれ。君がいないと戦略も組めないし、みんなも不安が増すだけだ」


 俺は強くそう訴える。セシリアは小さく息を吐いてから、ほんの少し笑みを浮かべてうなずいた。


「わかったわ。こんなにみんなから否定されるなら、わたしも簡単に逃げられないわね……。でも、ありがとう」

「よし、じゃあ今は討伐軍の規模と動きを正確に把握しつつ、こっちの兵や民兵をさらに強化するしかない。周辺領主にも働きかけて、王太子の横暴に反感を持ってる連中を探ろう。少しでもこちらに加わってくれるなら大きな力になる」


 デニスとアイリーンが同時に「了解」と返事をし、グレイスも「わたし、情報収集を頑張ります!」と肩をすくめる。セシリアは地図を広げ、真剣なまなざしに戻っていた。


「本格的な大軍との対決が避けられないにしても、ゲリラ戦で時間を稼げれば、中立領主が動く可能性もある。わたしたちが“簡単には負けない”と示せれば、彼らも隙を見て殿下に反抗するかもしれない」

「そうだな。王太子が討伐軍を編成したところで、国全体が納得しているわけじゃない。俺たちが粘りさえすれば、局面が変わる可能性はある……」


 こうして、戦いに備えるための具体的な行動計画が再び動き出した。先遣隊以上の大軍に備えるという重責を背負いつつも、皆の気持ちは固く結束している。セシリアを犠牲にするなんて有り得ない。誰もがそう信じ、互いを鼓舞し合う。


 廊下からは領民の忙しげな足音が聞こえる。あちこちで武器の整備が進み、物資の備蓄が行われている様子だ。討伐軍が迫る危機は明確で、誰もが恐れを感じているが、ここには“守り抜く”意志がある。


(絶対にセシリアを差し出したりしない。俺たちが目指すのは、殿下の理不尽を跳ね返して、領地のみんなが安心して暮らせる場所を守ることだ)


 自分を鼓舞するようにそう思いながら、俺は仲間たちと協力してこの未曾有の危機に立ち向かおうと再度決意した。もう迷いはない。これ以上の犠牲など出させるものか。もはや後戻りできない戦いの道だとしても、引く理由などどこにもないのだ。

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