第46話 被害と恐怖
初めての衝突は、俺たちに一時的な勝利をもたらした。だが、その代償がまったくないわけではなかった。
夕刻、先遣隊との戦いを終えて村へ戻ると、そこには火が上がった家屋や倒れ込む負傷者の姿があった。戦いの混乱の中で、何人かの敵兵が周辺を荒らしていたらしい。俺たちがゲリラ戦で主力を崖下に誘導している間、別の一団が脇道から村へ侵入したという。
ちょうど戻ってきた俺とデニスは現場を目にして、胸が強く痛んだ。
「くそ……回り込んでたのか! 迂回を想定していたはずなのに、そこまで手が回らなかったなんて」
「レオン様、急いで火を消しましょう! 村人たちが必死に水を運んでます!」
デニスが叫ぶ中、俺も馬から飛び降りるように着地し、炎の上がる家屋へ駆け寄る。村人が桶で水を運んでくるが、とても足りる量ではない。火の勢いは意外に激しく、煙が周囲に広がっている。
必死にバケツリレーを続けるが、家の一部が崩れ落ち、火の粉が舞い上がった。辛うじて隣家への延焼を防げたものの、一軒の家はほぼ焼け落ちる形で消失してしまう。
「ごめんなさい……わたしの家が……」
「大丈夫だ。命は無事か? みんな逃げられたのか?」
俺は泣き崩れる女性の肩を抱きしめながら、状況を確認する。幸い、大怪我をした住民は少ない。だが、何人か民兵が追い払うのに手間取っている間に略奪されかけたとの話を聞く。
それを聞くと、自分が戦場を想定していたとはいえ、村の防御をもっと考えておくべきだったと後悔が募る。
「負傷者はどこだ? 手当てが必要だ。グレイスやセシリアが薬や包帯を準備してくれてるはずだし、屋敷まで運ぶか、すぐに応急処置を……」
「はい、こっちです! 何人か倒れてまして……」
俺は警備兵の案内で村の広場へ向かう。そこには、怪我をした民兵や住民が集められ、応急処置を待っている。すでに数名の慌てた声が響いていた。
「ひどい出血だ! 誰か、止血できる人はいないか!」
「ここに包帯と薬があります! 落ち着いて、手当てするわよ!」
声の主はセシリア。書類や地図を抱えていた姿とは打って変わり、腕まくりをして負傷者を必死に支えていた。驚いたことに彼女は落ち着いた手つきで包帯を巻き、痛がる兵を励ましている。
その隣にはグレイスもいるが、彼女は完全に震えあがり、目が潤んでいる。泣きそうというより、すでに涙が溢れている状態だ。
「ごめんなさい……こんなの……わたし、怖い……! 血がこんなに……!」
「グレイス、落ち着いて。まずは止血が優先よ。わたしがやり方を教えるから……」
セシリアが懸命に声をかけているが、グレイスは怖じ気づいて動けない。戦闘の現場を見慣れていない彼女には、血や傷のリアルさが衝撃的なのだろう。
俺もすかさず駆け寄り、最初に目についた民兵の負傷を確認。腕に切り傷を負って血が流れているが、命に別状はなさそうだ。
「グレイス、わたしが止血をやるから、包帯を渡してくれ。ほら、深呼吸して落ち着け。大丈夫だから」
「で、でも……血、血が……怖い……」
「グレイス……わたしたちがやらなきゃ誰がやるの? あなたが動かないと、これ以上流血が止められないわ」
セシリアの苛立ちまじりの声に、グレイスはハッとして包帯を差し出す。手が震えているのがわかるが、それでもなんとか動く気になったようだ。
俺は素早く包帯を使って傷口を圧迫し、シーツの切れ端で固定する。民兵が苦しそうに唸るが、なんとか「助かります……」と弱々しい声を出す。
「だいぶ止まったな……傷は深くない。あとは落ち着いて傷を洗えば大丈夫だ。セシリア、ほかの人はどうですか?」
「今のところ、重症者は一人だけ。命に別状はないけど、まだ意識が戻ってないの。わたしが応急手当をしたけど、専門の医師を呼ばないと……」
「わかった。最寄りの町に医師がいるはずだ。……これが、戦いなんだな」
俺は歯を食いしばり、改めて痛感する。確かに先遣隊は撃退できた。だが、その過程でこうして家が焼かれ、怪我人が出て、グレイスが怯えるほどの惨状になった。
セシリアが小さく息をつき、グレイスの肩をポンと叩く。彼女はまだ涙目のままだが、少しだけ落ち着きを取り戻している。俺は二人に声をかけた。
「すまない、こんな思いをさせて。俺たちがもっと早く対処してれば、村が荒らされるのを防げたかもしれないのに……」
「レオン、あなたが悪いわけじゃない。戦いが起きる以上、完全に被害ゼロは難しいわよ。むしろ、最悪の被害を防いだんだから……」
「うん、そうだよね。でも、どうしても悔しい。もっと広い範囲で警戒していれば、こんなに家が焼かれずに済んだかも……」
俺の言葉に、セシリアは少し切ない表情でうなずく。するとグレイスがすすり泣く声を上げる。
「グス……こんなの嫌です……こわい……人が傷つくのがこんなに恐ろしいなんて……。わたし、何もできない……」
「グレイス、落ち着け。俺たちも初めての実戦だったんだ。君がいろいろ準備してくれたおかげで、怪我人の手当もスムーズにできてる。君は何もできないわけじゃないんだよ」
「そ、そう……ですかね……でも……」
グレイスはうつむいたまま、目に涙を浮かべて鼻をすすり続ける。その肩をセシリアがさすり、「あなたがいたから助かった人もいるのよ」とささやく。そんな優しい声がかけられるなんて、少し前のセシリアを思えば考えられないが、彼女も変わってきている。
俺は傷ついた家々を見回す。煙が上がり、住民が力を合わせて消し止めた火の跡が痛々しい。先遣隊は撤退したが、王太子が本格的に動けば、これ以上の被害は避けられないだろう。
「これが……戦いか。もっと……もっと気を引き締めて備えなきゃ、今度はこんな程度じゃ済まなくなる」
「ええ。わたしだって、どうにか被害を抑えたい。でも、それには皆が本気で覚悟する必要がある。あの王太子は、こんな先遣隊の攻撃なんて“始まり”に過ぎないと思うから」
セシリアの瞳に決意の光が宿る。俺も同じだ。こんな惨状を今後は防がなければならない。それが“守る”と決めた以上の責任だ。
グレイスが恐る恐る顔を上げ、「わたし……もっと頑張ります……。こんなに怖いなんて知らなかったけど、怖いからこそ、二度と見たくないから……」と声を震わせる。
「うん、それでいい。みんなで力を合わせよう。悲劇を少しでも減らすんだ。王太子がどれほど強引に攻めてこようと、俺たちは諦めない」
「そうね。わたしも、あなたたちも、そして民兵も――もう逃げる道はない以上、戦う道を選んだのよ」
「……はいっ!」
グレイスが涙を拭って大きくうなずく。セシリアと俺は互いの視線を合わせ、改めて意気を確認する。先遣隊を撃退しても、この程度の被害が出る。ならば本隊が来たら、どれほどの惨状になるか……。
そう考えると背筋が凍るが、それでも前を向くしかない。ここにいる一人でも多くの命を守り、暮らしを守るために。俺は剣の柄を握りしめ、歯を食いしばって決意を固めた。
(俺たちは決して折れない。被害をもっと抑えるために、強く賢くならなきゃならない。セシリアや皆と力を合わせればきっと可能だ)
燻る火の残骸を背にしながら、怪我人を手当てする民兵や、涙を流すグレイスの姿を視界に収める。この苦しみを繰り返さないために、さらに大きな備えと戦略が必要だ。それが、本当の意味で“戦う”ということ。
俺はその重責に押しつぶされそうになりながらも、“これ以上の犠牲は絶対に出させない”という強い意志を心の底から燃やす。この土地と、ここで暮らす人々を守る――あらためて誓い直すことになった、初衝突の翌日だった。