第45話 一時的な勝利
木漏れ日の差し込む森のなかで、俺たちは息をひそめていた。山道を抜けたあたりに、小規模ながら王太子フィリップの先遣隊が進みつつあるとの報が入ったのだ。デニスや民兵たちと共に、山道の奥で待機していた俺は、音を殺して見張りに集中する。
「来たぞ……十数人か、否、二十はいるな」
小高い崖の上から、デニスが静かに報告する。望遠鏡を覗き込みながら、その顔には緊張と決意が混じっている。偵察や威嚇だけだと舐めてかかれば、こっちが痛い目を見る可能性もある。
風に乗って敵兵たちの金属のこすれる音がかすかに届いてくる。鎧や武器を装着して歩く彼らは、人数こそ多くはないが、装備はきちんと整っていそうだ。下手に正面から突っ込んだら、こちらが壊滅するリスクも大きい。
「デニス、もう少し引きつけろ。崖のすぐ下に入ったら合図を出せ。岩を落として足止めするんだ」
「了解です。民兵の皆さん、準備!」
デニスの小さな指示で、岩を転がす担当の民兵が緊張で手に汗握るのがわかる。普段は畑を耕す人たちだが、今は立派な“戦力”だ。いきなり人を殺すことに抵抗がないわけじゃないが、領地を守るためには仕方ない。
やがて敵兵の一団が崖の下まで来たのを見計らい、デニスが手を振る。
「いまだっ!」
激しいゴロゴロという音とともに、大きな岩や丸太がゴロゴロと転がり落ちる。崖下では「うわっ!」「罠だ!」という混乱の声が上がり、兵たちがあわてて散開しようとするが、狭い道ゆえに身動きがとれない。数名は衝撃を受けて倒れこみ、先頭と後続が分断される形になった。
すかさず、俺は松明を持つ民兵に合図し、別の地点から森の道へと回り込ませる。
「全軍――散開だ! 弓を放ちつつ、正面からは突撃するな。あくまで小出しに攻撃して引き離すんだ!」
俺の指示で一斉に民兵が動き始める。草むらから矢を放つ者、岩陰に隠れて槍を突き出す者など、それぞれ地形を活かして敵兵をかく乱する。相手はまとまった隊形が取れず、バラバラに退避せざるを得ない。
崖下の一団と合流しようとする敵兵が森の中へ踏み込んできたところで、俺は高い位置から飛び降りるようにして姿を現す。
「オラァァッ!」
自分でも驚くほどの大声が出た。剣を振り下ろすと、間一髪で相手が盾で受け止めるが、その勢いでバランスを崩した敵兵は後ずさる。すかさずデニスが横からカットインして槍を突き出し、相手の盾をはじき飛ばす。
「レオン様、今です!」
「おう!」
すかさず剣を横に薙ぎ払うと、敵兵の腕にかすり、血が飛ぶ。相手は「くっ……」と苦しげにうめきながら後退する。俺はそれを追わず、すぐに森の奥へ引く。集中攻撃されるのを避けるためだ。
離れた場所では民兵が必死に矢を射かけている。「外しちゃった……」なんて声が聞こえるが、それでも時々敵兵が「ぐあっ」と叫ぶのが見え、一定のダメージを与えているらしい。うまく地の利を活かせている証拠だ。
「狭い道と森を活用すれば、数十人程度の敵は分断できる。さぁ、やれるだけやるぞ!」
俺が檄を飛ばすと、デニスが笑みを浮かべてうなずく。「まだこっちには被害が出ていませんよ。向こうは焦ってるみたいです」
先遣隊の隊長らしき人物が「ここまでだ、一旦退け!」と怒鳴っているのがわかる。想定以上に被害を受けているのかもしれない。少数でありながら抵抗が激しいとわかった段階で、無理に突っ込んでも得られるものは少ないという判断だろう。
「よし、追撃はしなくていい。ここで彼らを引き離して、夜になれば撤退するはずだ」
「了解です。みんな、引き際を間違えるなよ!」
デニスが民兵に再度指示を飛ばすと、敵もチラチラとこちらを見ながら後退を始める。互いに牽制しあいながら、森の道を離れていく先遣隊。ちらほら倒れたり負傷したりした兵を抱えつつ退いているから、もう戦意はないらしい。
俺は少し気が抜けて、一旦剣を下ろした。初めての衝突、しかも王太子軍という重みを考えると、こちらが大きな被害を出さずに押し返せたのは上出来だ。
「……やった、押し返せたぞ!」「すごい、殿下の兵を撃退した!」
民兵たちが小さく歓声を上げる。デニスは「落ち着け、まだ相手が罠を張ってるかもしれない」と警戒を解かないが、敵の足音が遠ざかっていくのが確認できると、ようやくみんな安堵の息を吐く。
俺も一瞬、膝に手をついて「ふう……」と息をつく。内心では緊張していたが、地の利を活かしたゲリラ戦が功を奏した。殿下の先遣隊が甘く見ていたのも一因だろう。
「デニス、被害状況はどうだ?」
「こちらは軽傷者が数名だけで、死者は出ていません」
「そっか……よかった。すぐに治療を受けさせてくれ。グレイスが応急処置の準備をしているはずだから」
初めての実戦で、これだけの成果を上げられたのは大きい。意外とやれる、という自信を民兵たちも抱いただろう。
とはいえ、敵は先遣隊。これが本隊ならこんな上手くはいかないはずだ。油断は禁物だけど、ひとまず王太子軍に対して“クリフォード領は侮れない”という印象を与えられたなら収穫だ。
「レオン様、これ……敵の隊長っぽいやつが落としていきました!」
民兵の一人が拾い上げたのは、紋章入りの短剣。王太子の紋章には程遠いが、宮廷騎士が使いそうな装飾がある。先遣隊のリーダーの持ち物だったのかもしれない。
俺は短剣を受け取りながら、少し苦い思いにとらわれる。これでもまだ前哨戦に過ぎないのだ。
「もう少ししたら、奴らはさらに大きな部隊を送り込んでくるかもしれない。今日の戦いは、あくまで最初の接触にすぎない。気を抜かずに備えてくれ」
「はい、わかりました! でも……レオン様、今回は本当にすごかったです。囮からの伏撃とか完璧でしたよ!」
「いや、完璧なんてことはない。相手が本腰を入れてきたときに対応できるか、今から考えねばならない」
そう言いながら、俺は剣を収める。ああ、これが“戦う”ということか。地形を使って、兵を分散させて、連携を図って……それでも疲労感が大きい。次はもっと厳しい場面になるはず。
それでも、民兵の顔には達成感が浮かんでいる。皆が初陣で無事に乗り切ったこと、その喜びも大きいだろう。
「とにかく、ひとまず引き上げるぞ。怪我人を治療して、森に追撃隊を残してはいけない。今夜は休め。明日からも鍛錬だ」
「はいっ!」
皆の返事が力強くなった気がする。俺は心の奥で、緊張の糸をほんの少しだけ緩める。これからが本番だ。だけど、この勝利は確かな自信を生んだ。地の利を活かせば、俺たちにも希望がある。
(王太子が侮れないと思ってくれるなら、それでいい。簡単にここを落とせないとわかっただけでも大きな一歩だ)
そう胸中でつぶやきつつ、撤収の指示を行いながら森を出る。空にはまだ高い太陽が輝いているが、今日はすでに十分な戦闘が終わった感がある。
屋敷へ戻れば、セシリアやグレイス、アイリーンが先遣隊の様子を待ち構えているだろう。この一時的勝利で、領民の士気が上がるなら幸いだ。そして、俺たちが目指すのはこれからの大きな戦いを見据えた準備。今の成果を糧に、さらに団結していかねば。
そんな思いを抱きながら、俺は一同を引き連れて森を抜ける。まだ先は長いが、初めての衝突を俺たちは勝ち抜いた。




