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第43話 セシリアの貴族的才能

 翌朝、執務室を覗いてみると、思わず息を飲むほどの光景が広がっていた。


 大きな机の上に、見慣れない地図や領地の収支記録、さらには複数の書類がずらりと並べられ、それらをセシリアが忙しそうに読み耽っている。長い黒髪をきゅっと束ね、筆を走らせる姿は、いつもの優雅な立ち居振る舞いとはまた違う凛々しさがあった。


「おはよう、セシリア。……ずいぶん熱心にやってるんだな」


 俺が声をかけると、セシリアはちらりと顔を上げ、すぐまた書類へ視線を戻す。まるで“ちょっと待って”という無言の合図みたいだ。彼女なりに集中しているらしい。


 机の端にはグレイスが控えていて、地図を指し示しながら何やら質問している。


「ええと、セシリア様。ここの地域は川沿いで船を使った交易をしてるんですよね? でも王太子の通行税が上がったら、それも閉ざされるんじゃ……」

「ええ、だから迂回ルートが必要になる。山越えの道は難所だけど、いざとなればここの谷間を通れるはず。多少の負担は増えるけど、完全に孤立するよりずっとマシよ」

「なるほど、なるほど。地図にはそういう道がほとんど載ってなくて、わたし途中までしか知らなくて……助かります!」


 グレイスがキラキラした目でセシリアを見る。その横で俺は地図を覗き込みつつ、思わず感心してしまう。この道は農民に聞いてもあまり詳しい話が出てこなかったはずだが、セシリアはどこでそんな情報を得たのだろう。


 筆を置いたセシリアがふう、と息をつきながら俺に向き直った。


「レオン、悪いけど少し話を聞いてもらえる? いまこの地図で周辺の村や谷の位置を整理しているの。兵を動かすとして、補給路や避難路を確保しないといけないでしょう?」

「た、たしかに。いざ戦いになったら、物資をどう運ぶかも大事だよな。そっち関係はまだほとんど手をつけてないや……」

「それで、領内や隣接する地域の細かい情報をまとめる必要があるの。農作物の収穫時期や保存方法、実際に戦闘が起きた場合の避難先……。アイリーンとグレイスが手伝ってくれてるから、思ったより早く進みそうよ」


 彼女がさっとページをめくった書類には、領内の農業状況や人口分布、さらには仮想兵站ルートの試案などが細かい字で並べられている。貴族社会の教育の中で“領地経営の基礎”や“政治の実務”も叩き込まれたと聞くが、こうやって実際に使われると、その有能さが改めて際立つ。


 俺は正直、ここまで体系的にまとめた経験がなかった。もともと下級貴族で、小さい領地を守る程度なら手探りでなんとかやってきたが、国家規模の動乱に備えるなんて想定外だ。


「すごいな……こんなに資料を整理するだけでも一日じゃ終わらなさそうなのに、もうだいぶ形になってるじゃないか。今さらだけど、やっぱり高位貴族の教育ってすごいんだな」

「ふふ、貴族の中にはただ贅沢してるだけの人も多いのよ。でも、わたしの場合はローゼンブルク家のしきたりで幼いころから厳しい勉強をさせられたから。正直、あのころは嫌になったけど……今はこれが役に立ってるのが不思議」

「嫌々やってても身につくものなんだな。助かるよ、本当に。俺が一人でやろうとしたら何から手をつけていいかわからなかったと思う」


 そう正直に言うと、セシリアはやや照れたように書類に視線を戻して「……別に大したことじゃないわ」とつぶやいた。それでも、その頬がわずかに赤くなっているのをグレイスが見逃さず、ニヤニヤした表情で俺を見てくる。


 俺は苦笑いして、「グレイス、何をそんなに楽しそうにしてるんだ?」と問いかける。彼女は「いえいえ、なんでも!」と慌てて書類に目を落とした。


「とにかく、兵站面はセシリアにお任せするとして、俺も民兵の訓練と商人との連携を進めなきゃな。あと、アイリーンが調整してくれてる周辺領主との接触も、進捗を確認しないと」

「ええ、わたしも外交関連のアプローチは一緒に考えるわ。王太子殿下が好んで使う圧力と違い、こっちは誠実さを武器にするしかないし、丁寧に進めないと失敗するでしょうね」

「誠実さってのは、まさに俺たちの取り柄だよ。殿下みたいに権力を振りかざさないで協力を求める……難しいけど、可能性はあるはずだ」


 書類を片付け始めるセシリアの横で、俺はちらっと彼女の顔を伺う。


 ここ数日、夜に涙を流していた彼女だが、いまは目の奥に強い意志が宿っている。まるで悲しみを糧に前へ進む人という印象だ。その変化が眩しく見えて、思わず言葉が出てしまう。


「なあ、セシリア。改めて思うけど、君は本当に……優秀なんだな。少し前まで、王都でなんでもできるお嬢様だったんだろうと想像はしてたけど、ここまでとは」

「ちょっと、いきなり何よ。今さら評価してどうするの? ……でも、ありがとう」

「いや、素直に感心してるだけだよ。俺たちがこういう状況に陥ったからこそ、君が発揮できる力があるってことだよな。ほんとに心強いよ」


 セシリアはもう書類を抱え、机の脇に立つと、微妙にそっぽを向きながら「そう……ならまあ、いいんだけど」とぽつり。大げさに照れてるわけじゃないが、少し照れくさそうだ。


 グレイスが「お二人とも、ほんとにいいコンビになってきたと思いますよ~」と悪気なく言ってくるものだから、俺もセシリアも同時に「そ、そんなことはない!」と否定してしまい、逆に気まずい沈黙が一瞬落ちる。


「えー……いや、その、コンビっていうか、まぁ……うん、一緒にやってるし……」

「そうよ、協力するだけ。あんまり変な勘違いしないで」


 とはいえ、デコボコだった初期の頃より遥かにスムーズに作業が進んでいるのは事実。俺が率先して領民との交渉や準備を進め、セシリアが戦略や外交を考える。加えてグレイスやアイリーン、デニスがそれぞれの持ち場をフォローする。


 これこそ、俺たちが求めていた“最強チーム”の片鱗かもしれない。


「よし、俺は民兵の訓練にも顔を出してくるよ。こっちの兵站計画や資料整理は任せていいかな?」

「もちろん。とりあえず今日中にまとめておくわ。あとで領民から回収した情報も更新しなきゃ……」

「うん。何かあったら呼んでくれ。ちょっと頑張りすぎると体壊すぞ? 休憩も挟めよ」


 セシリアは「心得てるわよ」と言いつつ、視線は資料の山に戻る。その表情はちっとも嫌そうではなく、むしろやる気に満ちていた。


 グレイスが「わたしも一緒に頑張ります!」と張り切るのに、「あんまり騒ぎすぎないでよね……」とセシリアが冷静に返す。このやり取りに思わず笑いが込み上げる。


「なんだか本当に頼れる感じだな。じゃあ、俺は行ってくる。グレイス、セシリアをちゃんと補佐してあげてくれよ」

「任せてください! セシリア様と協力して、どんどん資料を片づけますから!」

「……あなたのドジだけは気をつけてね」


 そんな一幕を残し、俺は部屋を出る。扉を閉めた後も、セシリアが熱心に資料をめくる音がかすかに聞こえてくる。


 思わず笑みがこぼれる。重圧に押し潰されそうだったセシリアが、こんなふうに己の能力を最大限に発揮している。これはきっと、彼女にとっても大きな変化だ。


 王太子フィリップの理不尽な圧力は続いている。だが、今の俺たちには明確な目的とチームがある。セシリアの貴族的才能が加わったことで、戦略面の整備は格段に進んでいると感じる。


 国家規模の衝突が避けられないかもしれないが、俺はほんの少しだけ強い自信を持てそうだった。セシリアと肩を並べて進めるなら、どんな困難でも乗り越えられる――そう思わせてくれるだけの頼もしさが、あのツンとした態度の裏に隠されているから。


(最強コンビ、か……まんざら悪い呼び名じゃないかもな)


 心の奥で小さく決意を新たにしながら、俺は民兵訓練の場へ足を向ける。いつか来る王太子との衝突に備え、俺たちは着実に力を蓄えている。セシリアの知恵と、領民の結束、そして俺の覚悟――この三つが揃えば、そう簡単には負けないはずだ。

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