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第42話 民衆の危機意識

 翌日の朝、俺は馬に跨がり、いくつかの村を巡回するため領主館を出発した。昨日の評議会で大筋の方針は固まったものの、実際に領民たちがどう感じているのか、直接話を聞きたいと思ったのだ。いざというとき、領民の協力なしにはこの土地を守れない。彼らの気持ちを知ることが大切だと思った。


 最初に向かったのは領主館から少し離れた大きめの村。広い畑が広がり、麦や野菜がたわわに育っている。ただ、どこか人々の表情が晴れやかではない。俺が馬を降りて挨拶すると、村人が数人寄ってきてくれた。


「レオン様、わざわざご足労ありがとうございます……。その、王都のほうでいろいろ大変だと聞いてますが、大丈夫なんでしょうか」

「書簡で『セシリア様を引き渡せ』とか、『資源を献上しろ』とか、理不尽な要求が来ているってうわさで……。もし従わなければ、ひどい仕打ちを受けるとも……」


 集まった村人たちは皆、不安そうだ。無理もない。町の商人との取引が減り、王太子の兵が押し寄せてくるかもしれないと思うと、暮らしが成り立たなくなる危険を感じて当然だ。


「確かに、殿下からの圧力は強まっています。だけど俺たちは、理不尽な要求に屈するつもりはありません。皆さんもご存じのとおり、この土地を差し出せなんて言われたら、平穏な生活が崩れるのは目に見えてる。何としても守るために、皆さんの協力が必要です」

「協力……そうですよね。わしら農民ができることは限られますが、レオン様にお力添えしたい気持ちはあります。畑の作物だって勝手に取り上げられるなんて御免ですし……」

「ええ。実際、戦争なんかしたくないし、誰も血を流したくない。だけど殿下が強行に出たときに備えて、少しずつ準備しなくちゃなりません」


 俺の言葉に、村長らしき老人が深刻そうにうなずく。それでも、完全に納得したわけではなさそうだ。そこで、別の若い農民が勇気を出して口を開く。


「実際、殿下の軍が攻めてきたらどうなるんでしょう? わたしたちは農具しか扱えません。訓練もろくにしていないし……」

「それはこれから訓練を始めるつもりです。民兵として、とまでは言わなくても、簡単な防衛のやり方や避難ルートを学んでもらう必要がある。怖いだろうけど、やるしかないんだ」


 青年は「なるほど……」とつぶやきながらも、力なく肩を落とす。するとその隣で、目つきの鋭い鍛冶屋が口を挟んだ。


「もし鉄があれば、簡単な武器くらいは作れる。わしも大した職人じゃないが、王太子に好き勝手されるのは御免だし、手伝わせてもらいますよ」

「本当ですか? 助かります。村の連中が最低限の装備を持てるなら、殿下の軍とやり合う以前に、“ただ踏み潰されるだけ”は避けられるかもしれない」


 その言葉に、周囲の村人から小さな拍手が起こった。怖いのは当然だが、危機感を覚える人が増えている今、自発的に行動を起こす仲間が出てきたのは心強い。


「わしらも不安だが、レオン様や皆が一緒なら何とかなるかもしれん、そう思えるんだ。セシリア様って人も力になってくれるんじゃろ? あの、高貴で綺麗なお方」

「ええ、セシリアは王都で貴族として生きてきたから、政治や外交にも詳しい。今、殿下に対抗する方法を一緒に考えてくれてます」


 その瞬間、村人たちの表情がぱっと明るくなる。やはり“高位貴族の知識”というのは、田舎にとって大きな力になると思うのだろう。


「やっぱり、セシリア様が本気でうちの領地を助けてくれるなら、心強いですね。王太子のご威光は怖いけど……彼女が導いてくれるなら、わしらも踏ん張りがきく」

「うん、そうか……。皆、あの人のことを徐々に信用してくれてるんだな」


 俺は内心で安堵した。セシリアは自分を疫病神扱いしていたけれど、こうして領民が期待している姿を見ると、彼女の存在はむしろこの土地を結束させる大きな要因になっているのではないかとさえ感じる。


 次の村へ向かう道中でも、出会う人々の声は似たようなものだった。王太子の脅威に怯えつつも、“この領地を守るんだ”という思いが少しずつ高まっているのだ。


「レオン様がいるなら信じたい。私たち、畑の収穫を少しずつ備蓄しておきますね。もし封鎖されても当面はしのげるように」

「レオン様の命令ならやりますよ、だって、わしら領民はあなたにずっと仕えてきたんだ。王太子の理不尽なんて受け入れたくない」


 そんな言葉を聞くたび、責任の重さを痛感しつつも、守りたいという決意がさらに強まる。これまで領地の運営を頑張ってきたつもりだけど、“戦争”なんて想定外だった。しかし、覚悟を決めるしかない。


 夕暮れ時、村巡りを終えて馬を降りた頃には、胸に混じる感情が整理しきれないほど膨れていた。王太子への畏怖と怒り、領民の不安と期待、そして俺自身の恐れと使命感――それらが入り交じっている。


(皆、本当に俺を頼りにしてくれてる。守れるかどうかは正直わからない。でも、やるしかないんだ。もし殿下がこの土地を蹂躙するなら、それに目をつぶることはできない)


 屋敷へ戻る途中、散歩をしていたセシリアとばったり出くわした。彼女は外套を羽織って、小さな庭の花を眺めているところだった。自分がここに来て以来、庭を散策するのが日課になったようだ。


「レオン、どこに行ってたの?」

「村を回ってきたんだ。皆の意見を聞いておきたくて。思った以上に、皆、戦う覚悟が固まっているみたいだよ。いや、戦いと言うか、殿下の理不尽を受け入れないという意志かな」


 俺の言葉に、セシリアは微笑みを浮かべる。


「そう……嬉しいわね。でも、心のどこかでは怖いのも事実よね。わたしだって王都にいたころ、兵が押し寄せる恐怖を想像したことなんてなかったから、今の皆の気持ちを考えると胸が痛いわ」

「そうだな。でもそれでも、“レオン様に任せる”って人が多かった。セシリアのことも頼りにしてくれてるよ。『あの高貴で綺麗な方が一緒なら』ってさ」

「……そう」


 彼女は顔を伏せて、少し照れたような苦笑いをする。その横顔に、夜に見せた涙を思い出す。だけど、今は少し強くなっているようにも見えた。


「王太子の圧力は日に日に大きくなるだろうけど、俺たちも着実に備えを進めよう。皆の不安が少しでも和らぐように、君の政治知識やアイリーンの商業ルートを活かせれば心強い」

「もちろん、やるわ。……わたしもこの領地に受け入れてもらった以上、責任は果たさなくちゃね。もう昔のわたしじゃないもの」


 そう言い切った彼女の瞳には、昼間の村人たちが抱く“期待”を力に変えられそうな意志が見える。俺は思わず微笑んで、「頼りにしてるよ」と肩を叩いた。


 セシリアはそれに対し「からかわないでよ」とツンとした態度を取るが、その頬はどこか赤い。以前よりさらに距離が縮まったようで、俺の心に静かな安堵が広がる。


「……そういえば、鍛冶屋のロイドさんが武器を作るって言ってた。鍛冶屋仲間も協力してくれるらしい。民兵の訓練も本格化させるつもり」

「武器か……王都の騎士団並みとはいかないにせよ、ないよりはマシね。抵抗意志を示すだけでも殿下の出方が変わるかもしれない」

「それに、アイリーンのネットワークで他領主へのアプローチも進んでる。殿下に不満を持つ人たちが連携してくれれば、なおさら強い。――もちろん、危険な賭けでもあるけど」


 セシリアは静かに耳を傾けながら、庭の小花を指先でそっと撫でる。咲き誇る花の姿と重ねあわせるように、領民たちの姿が脳裏に浮かんだのかもしれない。


「わたしは、花を踏み荒らすような殿下のやり方が許せない。だからこそ、レオンの頑張りにわたしも協力するわ。ここに暮らす皆が笑顔でいられるように、微力だけれど」

「微力だなんて。セシリアの存在は大きいよ。村人や農民が“彼女も力になってくれる”って前向きになってた。それで充分だ」


 そう言われたセシリアは照れを隠そうと顔をそむける。けれど、その横顔は優しくほころんでいる。


 俺はその姿を見ながら、やはり守りたいという思いを一段と強くする。領民たちが感じる危機意識は重たい現実だけど、それに立ち向かう意思が生まれているのも事実。俺はその中心で走り続ける覚悟を固めた。


(必ず、この土地を守る。民衆の想いと、セシリアの笑顔を絶対に壊させるものか)


 遠くから夕暮れの鐘がかすかに響く中、俺とセシリアは庭で並んで足を止める。傾きかけた陽が赤く邸宅を染め、穏やかな風が二人の間を抜けていった。ほんの少しの静寂が、とても贅沢に感じられる。


 明日からはさらに忙しくなるはずだ。領民たちの訓練や備蓄、周辺領主へのアプローチ、そして王太子の嫌がらせへの対策――やることは山積みだ。それでも、仲間たちとともに動けば怖くない。


 セシリアも同じ思いを抱いていると信じながら、俺は今日の巡回の成果を胸に刻む。民衆の危機意識は高まっているが、その分、皆が結束しようとしている。俺たちが本気で戦うなら、決して負けはしない――そう確信した夕暮れだった。

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