第4話 旅支度と出発
翌日の朝早く、俺は屋敷の玄関先で荷物を確認していた。革製の鞄に詰めた着替えや必要な書類、あといくつかの保存食。日数的にはそれなりにかかる旅になるので、抜けがないように準備しないといけない。
「レオン様、ちゃんと防寒用のマントも持ちました?」
グレイスが荷物をチェックしながら、心配そうに声をかけてくる。
「ん? ああ、ちゃんと入れたよ。大丈夫、抜けてないと思う……たぶん」
「た、たぶんって……心配なんですけど」
「万一足りないものがあっても、道中で買い足せばいいだろ? 王都へ向かう街道沿いにはいくつか宿場町があるし、そこに商人も集まるはずだ」
「そ、それはそうですけど……。けど、もし田舎者だってバカにされたらどうしましょうね」
「そりゃあるかもしれないが、意識しすぎると逆に隙を突かれそうだ。まぁ、とにかく一歩ずつだな」
そんな風に会話しているうちに、ひとりの女性が笑みを浮かべて屋敷の方へやってきた。豪勢なドレスじゃないが、品の良い布地に身を包み、軽やかに歩を進める姿が印象的だ。
「やあ、レオン。出発前にひと目挨拶しとかないと気がすまないと思って」
彼女の名前はアイリーン・フォスター。領内でも有数の商家の令嬢で、明るく活発な性格で知られている。
「アイリーン、わざわざすまないな。ちょうど今、荷造りを終えたところだ」
「ふふ、なんだかソワソワしてるみたいだけど、大丈夫? 王太子殿下の夜会に呼ばれるなんて、めったにない機会だから、そりゃ緊張もするわよね」
「……やっぱりそう思う? 俺としてはむしろ場違い感しかないんだが」
「いいえ、レオンならきっと大丈夫。あなた、領地の人たちをまとめ上げるリーダーシップはあるんだもの。上流貴族の社交に慣れてないくらい、どうにかなるわよ。人当たりの良さを武器にしてみたら?」
「人当たりが良いって言われると、ちょっと照れるな。まぁ、田舎の青年としては頑張るしかないか……」
アイリーンはにこやかに笑って、俺に手渡してくるものがあった。いくつかの帳簿のような書類と、小さな革袋。
「これは? 書類はともかく、この袋は……?」
「王都に行くなら、物資の買い付けのチャンスがあるかもしれないでしょ? うちの店からは一応の資金提供。足りなければまた連絡ちょうだい」
「えっ……いや、そんな、悪いよ。俺がいつも頼みっぱなしで」
「気にしないで。商家としては先行投資ってところかな。レオンがいい取引相手を見つけてくれるかもしれないし、領地が豊かになれば私たちも恩恵を受けられる。持ちつ持たれつよ」
アイリーンの気遣いに頭が上がらない。彼女は領地の経済を支える商家の一人娘として、物資や融資の面で俺を助けてくれている。
「ありがとう。本当に助かる。俺も可能性を探ってみるよ。もし王都でいい商人や取引先を見つけたら、真っ先に教えるから」
「期待してるわ。グレイスちゃんもレオンのサポート、しっかり頼むわよ?」
「は、はいっ! ドジを踏まないように頑張ります……あっ、いや、頑張ります!」
「ふふ、二人とも仲がいいわね。じゃあ、くれぐれも気をつけて行ってらっしゃい」
アイリーンの言葉に見送られながら、俺はお礼を言って別れた。そして、敷地の外へ目をやると、今度は近衛兵のデニス・ファーナムが歩み寄ってくる。デニスはもともと父の代から仕えている信頼できる男で、腕も立つ。
「レオン様、馬車や荷物の準備は完了です。お時間がきたらすぐ出発できますよ」
「ありがとう、デニス。お前にはもう一緒に来てもらえるか、あらためて頼みたいんだが」
「もちろんです。俺としても、レオン様お一人をあの王都に行かせるなんて不安しかないですからね」
「そこは否定してほしかったな……まあ、いいけどな。心強いよ、デニス」
軽口を叩き合いながら馬車のところへ向かう。年季の入った馬車とはいえ、しっかり整備してある。馬の飼い葉だって十分持っていくし、しばらくの旅路は耐えられるはずだ。
ただ、ここでグレイスがやらかした。
「よいしょ、よいしょ……うわああ!? ど、どうして鞍があっち向きに……?」
「ちょっと、グレイス! 俺が言おうとしてた矢先に……!」
「す、すみません! 前後を逆に取りつけてしまいました……そ、そういう装備もあるんだろうなって思いこみというか……あああ……!」
「いや、そんな装備はない! 何でそんなヘンテコな方向に鞍をつけるんだよ」
「す、すみませぇん……ほんと、ドジばっかりで……」
苦笑するしかない。デニスが手早く鞍を取り外し、正しい方向に付け直す。グレイスは「ごめんなさーい!」と頭を下げっぱなしだ。
そんなドタバタをやりつつも、ようやく旅立ちの準備が整った。
空は青く澄んでいて、風はまだ少し冷たいけれど、旅日和には違いない。今日を逃せば予定がどんどん遅れてしまうから、これでいいタイミングだろう。
「レオン様!」
ふと振り向くと、何人かの領民が集まっていた。若い男やおばあちゃん、子どもを連れた母親もいる。
「行ってらっしゃいませ! レオン様、くれぐれもお気をつけて」
「ご無理はなさらずに……戻ってこられるの、お待ちしてます!」
「お願いだから元気で帰ってきてくださいね! 領地のことは私たちも協力しますから!」
皆の声援に心が温かくなる。貧しくても、領民たちは心根が優しい。だからこそ、俺は彼らを守るためにどうにかしなくちゃいけない。王都での夜会がその突破口になるなら、少しでも希望をつなぎたい。
深呼吸して、馬車の横で思いきり声を張った。
「みんな、ありがとう。父の代わりに、俺が頑張ってくるから、安心して待っててくれ!」
領民の拍手と笑顔を背中に受けながら、グレイスとデニスを連れて馬車へ乗り込む。鞭を軽く振ると、馬がはっきりとした足音を立てて歩み出した。
こうして、クリフォード領を後にする。
「……なんかドキドキしてきましたね!」
「……そうだな。王都って、どんなところなんだろうか。あのフィリップ殿下も噂通りなんだろうか……」
「わたし、ちょっと怖いですけど……でもレオン様がいるなら大丈夫だって信じてます!」
「俺も、自分に言い聞かせてるとこだ。頼むから、お前も余計なトラブルは起こすなよ。俺が尻拭いできる範囲を超えそうだから」
「ひぃ……がんばります……!」
軽快なガタガタという車輪の音。揺れる馬車の中で不安と期待が交互に湧いてくる。少なくとも、何かが変わるきっかけになるのは間違いないだろう。
父や領民、アイリーンやデニス――多くの人たちの期待を背負って、俺は王都へ行く。それが新たな困難の始まりとも知らずに。
「……よし、行くか!」
そうつぶやいて決意を固める。グレイスが大きくうなずき、デニスは前を向いて手綱をしっかり握っている。
こうして俺たちの旅は始まった。ここから先の未来は、誰にもわからない。でも、今はただ、前へ進むだけだ。




