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第39話 セシリアの罪悪感と孤立感

 セシリア・ローゼンブルクは、クリフォード邸の廊下を一人で歩いていた。昼間はレオンやグレイスと顔を合わせていると、そこそこ気が紛れる。だが、こうして一人になると、胸の奥底から重苦しい感情がわき上がってくる。


 夜会での断罪以来、王太子フィリップの執拗な追及が原因で、クリフォード領は危機に瀕している。書簡や噂話から聞こえてくるのは、フィリップがさらに圧力を強めようとしているという情報ばかりだ。セシリアにしてみれば、自分が王太子に目を付けられたせいで、この穏やかな領地に迷惑をかけているのではないかと思わずにはいられない。


「……わたし、疫病神なんじゃないかしら」


 人けのない廊下で、セシリアはぽつりとつぶやいた。天井に吊るされたランプの淡い光が足元を照らす。田舎の邸宅にしては落ち着いた雰囲気があるが、王太子の魔の手が伸びていると考えると、重圧は消えない。


 彼女は壁に片手をついて、わずかに瞳を伏せる。意図せず蘇るのは王都での婚約破棄の場面だ。あの煌びやかな夜会の中心で断罪される自分と、冷たく嘲笑するフィリップ――“貴様は何者だ”と一蹴したレオンの声が同時に頭をよぎる。


「レオンや領民たちは優しい。それが余計につらいわ……。もしわたしがいなかったら、クリフォード領はここまで大きな圧力を受けずに済んだかもしれないのに」


 先日、アイリーンが持ってきた報告でも周辺領主が二極化していると聞いた。王太子に従う者と疑問を持つ者、どちらにせよ、クリフォード領を助ける勢力はまだはっきりしない。そんな暗い展望を抱く中、自分がここにいること自体が、領地に毒を振りまいているようでならない。


「セシリア様……」


 不意に後ろから小さな声が聞こえ、セシリアははっと顔を上げる。グレイス・ミルボーンだった。いつの間にか、彼女が遠慮がちに近づいてきたらしい。


 セシリアは一瞬戸惑って、「な、なによ」といつものツンとした口調になってしまうが、グレイスがしゅんとした表情を浮かべるのを見て、言いすぎたかと後悔する。


「ごめんなさい、びっくりしただけ。何か用?」

「い、いえ、セシリア様がひとりで歩いているのが珍しくて……お顔が少し暗かったので、気になって……」


 グレイスが困ったように目を伏せると、セシリアは視線を逸らした。優しい言葉で問いかけられればられるほど、罪悪感が募るのを感じる。


 彼女はすっと背筋を伸ばし、「別に、放っておいてもいいわよ。わたしは平気だから」と返す。明らかに言葉と心が噛み合っていないのは自覚しているが、それでも弱音を吐くのが怖い。


「でも……本当に大丈夫ですか? 最近、すごく思いつめてる感じで……。セシリア様は普段クールというか、お強いイメージだけど、本当は……」

「……何が言いたいの? わたしはただ、ここにいるだけ。余計な負担をかけたくないだけ」


 セシリアの声が少しだけ尖ると、グレイスは慌てて首を振る。「い、いえ! わたしはセシリア様が苦しんでいるなら手助けしたくて……」と言うが、セシリアはそれを制するように手を挙げた。


「いいの。あなたたちが優しいのは知ってるけど、わたしこそ厄介者かもしれないじゃない。……レオンたちがここまで頑張っているのも、わたしが引き金になったからだし」

「そんな、セシリア様がいなくても殿下は――」

「わかってる。それでも、わたしが殿下に断罪され、あまつさえ暗殺まで仕向けられた身だからこそ、追い詰められるのは事実でしょう?」


 グレイスは反論したそうに口を開くが、言葉が出てこない。セシリアはすぐに「ごめん」と小さくつぶやく。


 そのまま廊下の窓の近くまで歩み、外を見やる。深い夜闇が領地を包み、遠くでかすかに月が光を投げかけている。王都での血生臭い権力闘争とは別世界のような風景だ。


(王都でわたしが信じていた友人貴族が、あの夜会の後に手のひらを返すように非難してきたこと、そしてフィリップの命令に従ってわたしを遠巻きにしたあの光景……思い出すだけで胸が痛い)


 かつての仲間や従者にまで見放された過去を思い出すと、セシリアは誰かを頼ることが怖くなる。だが、ここにいる人々は真摯な優しさで接してくれる。レオンやグレイス、デニス、そしてアルフレッドまでも。自分が彼らのもとに厄災を運んでいると思うと、とてつもなく苦しい。


「……セシリア様、わたしたち、あなたのことを大事に思ってます。こんなの、お世辞とかじゃなくて、本当に。だから、どうか『疫病神』なんて思わないでください」

「グレイス……あなたがそう言ってくれるのは嬉しいけど、わたしのせいで領地が――」


 声が震えた瞬間、セシリアは必死で唇を噛みしめる。涙など流したくない。王都で断罪されたときから、散々涙は流してきたはずだ。もう、惨めな姿は見せたくないのに。


 グレイスは何か言おうとするが、セシリアが「ひとりにして」と目を伏せると、察して口を(つぐ)む。


「……わかりました。セシリア様、わたし、部屋で待ってますから。何かあったら呼んでください。すぐに飛んできますから」

「うん、ありがとう……」


 グレイスが下がると、廊下にはセシリアただ一人が残った。窓からの月明かりが淡く差し込み、彼女の肩を照らす。その肩は小刻みに震えているが、声には出さずに涙をこらえている。


 誰にも言えない弱音が、胸の中を渦巻いては消える。わたしがいなければ、レオンも領民も平和に暮らせただろう、という思いがどうしても拭えない。


(でも、もう逃げられない。ここでわたしが消えたら、きっとレオンはもっと苦しむかもしれない。わたしは彼らに甘えたくない。けど、守られるだけじゃ悔しすぎる)


 自分で自分を鼓舞しようとしても、罪悪感はそう簡単には消えてくれない。王太子フィリップの顔が脳裏にちらつき、その残酷な笑い声を思い出すたびに、恐怖と怒りと悲しみが混じった感情に押し潰されそうになる。


「……誰も信じられなかった。けれど、いまは……」


 つぶやきをかき消すように、夜風が窓を揺らした。セシリアは静かにうなずき、覚悟を新たにする。どうせ王太子は容赦しないのなら、せめて自分ができることをしなくては。負けるつもりはない。そう決めたはずだ。


 けれど、心の奥底にあるのは孤独感。誰かを頼りたいのに頼れないという葛藤が、彼女の心を締めつける。レオンの優しさを痛いほど感じるからこそ、自分が彼らを傷つける存在にならないかが怖くてたまらない。


「わたし……どうしたらいいの……」


 声には出さない。その答えは、まだ闇の中だ。クリフォード領に居場所を見つけても、王都からの脅威や自分の罪悪感は消えない。


 その夜、セシリアは廊下から自室へ戻ってもしばらく眠れず、ただ窓の外を見つめ続けた。夜空に浮かぶ月は静かに光っているが、彼女の心を照らすには弱すぎる。外からは優しい光が届いているのに、その明かりを受け取る勇気がまだ持てない。


 結果、セシリアの中で孤独は深まり続ける。いつか、彼女の涙がこぼれ落ちるときが来るのかもしれない――それを彼女自身が、最も恐れていた。

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