第38話 王太子からのさらなる強硬策
王都ルベルスの空気は、どこか張り詰めていた。王太子フィリップ・ラグランジュが連日、宮廷に顔を出し、その度に重々しい指示を連ねている。噂好きな貴族たちも、今ばかりは物陰でささやき合うことしかできないほど、フィリップの機嫌は険悪だった。
「――クリフォード領が、まだ従わない? では次なる手段に移るまでだ」
王宮の奥、豪奢な装飾が施された会議室。フィリップは玉座にも似た大椅子に腰かけ、眼前の宰相や大貴族らを冷たく一瞥した。彼の周囲には取り巻きの側近が数名、肩で息を潜めるように控えている。
宰相がどこか汗ばんだ顔で一礼しつつ問いかける。
「ですが、殿下。すでに書簡を送りつけ、セシリア・ローゼンブルクの引き渡しと領地の献上を要求してあります。それでも動きがないとなれば、クリフォード領は完全な反逆の姿勢を――」
「ふん、反逆の意志があるのなら相応に処分する。それにしても、あの下級貴族がどこまで粘るつもりか……わたしを見くびった愚か者め」
フィリップは指先で机をトントンと叩く。その仕草に合わせ、周囲の空気はさらに重くなる。彼がこの仕草をするときは、大抵すぐに厳しい命令が飛び出すのを皆わかっていた。
「殿下、では、クリフォード領への重税措置、あるいは交易の禁止などはいかがでしょう? あそこはもともと財政が逼迫していると聞きます。物資の流通を止めれば、自然と息の根が――」
「そうだな。交易を絶つことであの領地を孤立させるのは悪くない。通行税も倍にしてやれ。奴らが外へ出ても商人が取り引きしたがらないようにな。加えて、周辺諸侯にも“クリフォード領を助ける者は共犯と見なす”と通達を出せ」
フィリップの言葉に、宰相が慌ててメモを取りながらうなずく。ほかの貴族たちも、「殿下の仰せのままに……」と追従の声を上げるが、心底では恐怖が広がっているのが表情に見てとれる。もしかすると、明日は自分たちが同じ目に遭うかもしれないからだ。
「殿下、加えて、いくつかの領地から兵を募っております。もし武力による示威行動が必要になれば……」
「焦るな。わたしが大軍を動かすときは、あの田舎者どもを踏み潰すときだ。いま少数の兵を送り込んでも目立つだけ。交易禁止と重税による締め付けで、まずは奴らに絶望を味わわせるのだ」
フィリップの唇には淡い笑みが浮かぶ。それがあまりにも冷酷で、取り巻きたちは思わず息を呑む。
セシリアを追い込むためにわざわざ軍を派遣するのか、それとも王太子自身が自ら乗り込むつもりなのか――貴族たちは不安げに視線を交わし合うが、誰も声に出せない。
「殿下、ただ、殿下に逆らう動きを見せる周辺の中級貴族もいるとの報告がございます。あからさまに反対はしていませんが、どこかで裏切りの可能性が……」
「構わない。いずれ、そんな者どももまとめて粛清すればいい。この国をわたしの思いどおりに動かすには多少の反対派は出る。いまは彼らが騒ぐのを待って、逆に反逆者として処断するまでのことよ」
フィリップの語り口には高慢さと野心が明確に表れていた。国が一枚岩でないことなどすでに承知のうえで、その裂け目を利用し、自分に従わない者をあぶり出すつもりだ。
貴族の一人が恐る恐る手を挙げ、「殿下、このままでは王都近郊の人々も困惑を広げるやもしれませんが……」と言いかける。だが、フィリップは冷ややかに笑って首を振る。
「民が少々困惑しようと関係ない。わたしに従うかどうかが重要なのだ。わたしの計画を乱そうとする者は、容赦なく排除するだけ。クリフォード領がいい見せしめになるだろう」
「は、はい。仰せのままに……」
全員が頭を垂れ、わずかな抵抗のしるしも見せられないまま。フィリップは満足げに腕を組むと、さらに言葉を続ける。
「セシリア・ローゼンブルクは、必ずわたしの手で断罪する。あの女がわたしを侮辱し、しかもレアメタルとやらを手にしているなら、一石二鳥だろう。すべてを奪い取って、あの下級貴族を跪かせる」
「……レアメタル、ですか? まだ確定情報ではないかと……」
「わたしの勘だが、あれだけ必死に抵抗しているのだから、よほどの価値があるはずだ。もし違ったら違ったでいいさ。クリフォード領がどう転ぼうとわたしの自由だ。だが、わたしの読みは外れん」
その狂気じみた自信に、宰相以下の面々は黙り込む。フィリップは己の権力を存分に振るっているが、少しでも疑問を挟めば自分が粛清対象になる危険がある。
王都の空気は、ここ数日で目に見えて変わった。兵の訓練が増え、街中では税の取り立ても厳しくなっていると噂される。周辺諸国との通商協定も、実は軍事的な利を狙った密約なのではないかとささやかれるが、誰も確証は得られず、表立って言えない状況だ。
「では、さっそく通行税と交易禁止の布告を出すように。クリフォード領への道を閉ざし、奴らを窒息させろ。領内でも、彼らを支援する貴族がいないよう手を回しておけ。どこかで抜け駆けする連中が出るかもしれんからな」
「承知いたしました、殿下……」
モブ貴族たちの声には、困惑と恐怖が入り混じる。こうなれば、クリフォード領は国内でも孤立するのは避けられないだろう。フィリップの意図は明白だ。戦わずして相手を追い詰める。抑え込めないなら軍勢を動かす。その結果、国がどうなろうと彼にとっては些事。
会議がひとまず締めに向かう。フィリップは椅子から立ち上がり、部屋の奥へ歩みながら、最後に冷たい言葉を落とす。
「二度もわたしを裏切った女など、生かしておく価値はない。それに手を貸す者どもも同様だ。クリフォード領が従わないのなら、容赦なく潰すのみ。国がどうこう言われようと構わん。わたしが望む形こそが、この国の未来なのだから……」
彼が部屋を出たあと、残された宰相や貴族たちは一様に青ざめ、息を吐き出した。誰も彼を止められない。そう認識しているからこそ、余計にこの強行策が進むとわかっていても黙るしかない。
こうして、王太子フィリップは重税と交易禁止という追加の圧力を公然と取り決める。クリフォード領を一歩ずつ追い詰め、いずれは軍を投入して完全に沈黙させる狙いが透けて見えていた。
宮廷の廊下には、はやくも噂が飛び交っている。あそこまでやるとは、さすがに過激すぎるのではないか――しかし、誰もそれを口に出せない。陰で怯えるしかないのが、今の王都ルベルスの現実なのだ。
「……このままじゃ、本当に争いが大きくなるわね。殿下は止まる気配がまるでないし……」
「奴のやり方を見れば、クリフォード領など一瞬で……」
そんなささやきが時折聞こえるが、すぐに警戒しあって皆黙り込む。フィリップという台風の目に巻き込まれたら、次は自分が標的になると恐れているのだ。
今や、王太子の執念は国全体を巻き込むほどの力を持ち始めた。セシリアとレオン、そして希少資源を巡る火種は、国を動乱へ導く危険な兆しを孕んでいる。もはや小さな辺境の問題では済まない。
王都は不穏な空気に包まれ、次なる一手がいつどこで下されるのか、貴族から庶民までが怯えながら日々を過ごしていた。そこにはもうかつての優美で華やかな社交の気配などなく、ただ王太子という絶対権力者の機嫌を伺う人々の姿があるだけだった。
この強硬策が実施されれば、クリフォード領の危機はさらに深まる。フィリップの執念と野心が止まることを知らず、国を覆う暗雲はますます濃くなっていく。




