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第37話 レオンの苦悩とセシリアの決意

 夜の邸宅は、静寂の中にかすかな風の音だけが響いていた。


 廊下のランプをたどって、俺はセシリアのいる一室へ向かう。昼間は周辺領主の動向について報告を受け、先行きの不安に胸を締めつけられたばかりだ。それでも、こうして夜になると、どうしても話しておきたい――そんな思いに駆られ、足が自然と動いていた。


「……セシリア、少し時間いいですか?」


 扉をノックすると、中から「どうぞ」と落ち着いた声が返ってくる。


 部屋に入ってみると、セシリアは机に向かって書き物をしていた。ランプの柔らかな灯りが彼女の横顔を照らしている。漆黒の髪が淡い光に浮かび上がって、どこか儚げに見えた。


「レオン……夜更けにどうしたの? こんな時間にわたしの部屋へ来るなんて」

「すみません、急に。だけど、ちょっと話したいことがあって。……最近、バタバタしてたから、ゆっくり話す機会もなかったし」


 言葉を選びながら部屋の奥へ進む。セシリアが机から離れ、椅子をこちらに向けて座ると、俺も斜め向かいに腰かけた。


 しんとした夜の空気が降りるなか、ランプの灯りだけが俺たちの顔を照らす。セシリアはテーブルの上に手を重ねながら、少し落ち着かない様子だ。


「……今日の昼、アイリーンさんが周辺領主の話を持ってきてくれたでしょう? あれを聞いて、また申し訳なさが湧いてきてしまったの。わたし、何もしてあげられなくて……」

「セシリアの知恵や経験が、もう充分に力になってますよ。気にしすぎじゃないですか」

「でも……わたしがいなければ、クリフォード領が殿下の標的になることもなかったんじゃないかと思うの。もちろん王太子が暴走しているのは周知だけれど、それに拍車をかけたのは自分なのかなって」


 セシリアは言いながら目を伏せる。俺は思わず彼女の肩に手を伸ばそうとして、一瞬戸惑ってやめる。まだ完全に打ち解けたとは言えない距離感。でも、一歩くらい踏み込みたいと感じるのも事実だ。


「セシリア、そんな風に責任を感じて自分を追い込まないでください。誰が悪いかって、王太子殿下のやり方が理不尽なんですから」

「それはそうなんだけど……。現に、わたしはここに隠れていて、あなたと皆が危険に晒されている。どこかで後ろめたさを感じてしまうの。……わたし、あなたが苦しむ顔なんて見たくないわ」


 最後の言葉に、俺の心が小さく揺れる。いつもツンとした態度のセシリアが、はっきりと「苦しむ顔を見たくない」と言うなんて、少し意外で、嬉しくもあって、何とも言えない感情がこみ上げる。


「俺は自分の意志で、君やこの領地を守りたいと思ってる。セシリアが原因なんかじゃないし、むしろいてくれるほうが心強いくらいですよ」

「……でも、資源の件もあるし、王太子の監視だって本格化すれば、あなたが命を落とすリスクだってあるのよ? それなのに、こんなわたしを受け入れて……わたし、どうすればいいの」


 セシリアが膝の上で手を握りしめ、苦しそうにうつむく。その肩がかすかに震えて見え、俺は居ても立ってもいられなくなる。意を決して、テーブル越しに手を伸ばして彼女の手をそっと包み込んだ。


 一瞬、セシリアは驚いたように目を見開くが、振り払おうとはしない。俺は少し声を抑えながら、彼女を覗き込むように言葉を探す。


「セシリア、あなたは本当に心優しい人だ。自分のせいでみんなが危険になるのを恐れているんでしょう? でも、俺たちは初めから殿下の横暴に苦しめられてる。たとえ君がいなくても、いつかは理不尽な圧力が来たと思うんだ」

「……そう、かもしれない。でも、わたしを守ろうとすることで、あなたがより大きな危険を背負ってるのも事実でしょう?」

「背負っているのは君だけじゃない。領地、父、グレイス、デニス、アイリーン、みんなを守るため、結局俺は戦わなきゃいけない。同じことさ。セシリアを守るのも、その延長線上なんだ」


 彼女の手がぎこちなく震えを止める。ランプの灯りが、二人の間にかすかな影を作って揺れている。外は静かな夜で、俺たちの声だけがかすかな残響を生む。


 セシリアは数秒迷ったあと、そっと手を引いて、自分の膝の上に戻した。けれど、その目は俺を見つめている。


「レオン、あなた……本気で言ってるのね。王太子が相手でも、俺は戦う、と」

「ああ。苦悩はある。怖いし、どうなるか正直わからない。でも、ここで逃げ出したら、何も守れないままだ。それだけは嫌だ」

「……わかったわ。なら、わたしも腹を括るしかないわね。あなたや皆が戦うなら、わたしだって覚悟するわ。わたしがいるせいで被害が出るなんて耐えられないもの。自分にできる形で協力するわ」


 セシリアの瞳がまっすぐこちらを射抜く。その眼差しに力が宿っていて、思わず胸が熱くなる。時折感じる彼女の高貴さと強さが、こういう瞬間に放たれるのだろう。


 俺は微笑みを返して「ありがとう」と一言つぶやく。彼女もうっすら笑ってくれた気がした。


「……昼間からこんな話ばかりで気が休まらないな。正直、俺も精神的に疲れ気味だよ」

「それなら少しでも休んだら? わたしも、もう寝る時間よ。頭がぐるぐるしてるけど、休まないと動けなくなるわ」

「そうだな。ごめん、夜分遅くまで引き止めちゃって。おやすみなさい、セシリア」

「ええ、おやすみ、レオン」


 静かな言葉の交換で、俺は部屋を出ようとする。ドアの前で振り返ると、セシリアが小さく手を振った。今までのツンとした態度では考えられないくらい自然で温かみのあるしぐさだ。


 ドアを閉めてから、長い廊下を戻っていく。心臓がどきどきしていて、まるで戦場に出ているときよりも緊張している気がする。笑えてくるが、それが今の俺の本心だ。


(守りたい、なんて言葉で済む話じゃないけど……それでも、そう思わずにいられないんだ)


 戦いが避けられない状況が迫る中でも、セシリアがこの領地に溶け込み、皆と笑い合う未来をどうしても諦めたくない。それが俺の指針であり、迷いながらも前進する原動力だ。


 一方、部屋の中でセシリアは静かに目を伏せていた。ぎゅっとシーツを握りしめて、今のやり取りを思い返す。レオンが見せた決意は揺るぎない。だからこそ、彼の道を縛らないためにも自分ができることを模索しようと心に決める。


(あの人は本気で戦おうとしてる。その覚悟をわたしがくじくわけにはいかない。……それなら、わたしだって意地と誇りを賭けて戦うしかないじゃない)


 誰にも聞こえない独り言をつぶやいて、ランプの灯りをそっと落とす。暗闇の中で、セシリアのまぶたは熱くなるけれど、決して涙はこぼれなかった。彼女はすでに弱さだけを見せる時期を通り越して、覚悟の扉を開けているから。


 こうして夜は更けていく。レオンの苦悩とセシリアの決意が交わった瞬間――しかしその先には、王太子という圧倒的な脅威が待ち受けている。ふたりがどれほど想いを重ねても、現実は厳しい。


 それでも、少なくともこの夜は、同じ想いを共有できた。わずかな安らぎと、確かな決意を抱きながら、朝を待つのだ。いつか訪れる激突に備えて。

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