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第36話 周辺領主たちの動向

 翌日の昼下がり、アイリーンが領主館の応接室に姿を見せた。彼女は珍しく神妙な面持ちで、抱えた書類をテーブルにバサリと広げる。いつもは笑顔で「やっほー!」と陽気に登場するところだが、今日はどうにも雰囲気が違っていた。


 俺は椅子から立ち上がり、彼女を出迎える。セシリアやグレイス、そしてデニスも同席する形で、一体何の報告なのかと固唾を飲んでいた。


「レオン、ごめんね。急に押しかけたうえに重い話を持ってきて……でも、これは大事な情報なの」

「構わないよ。むしろ助かる。いつものアイリーンっぽくなくて心配になるくらいだけど……何かあったのか?」

「うん……実は、近隣領主の動向について詳しく調べてみたの。そしたら、王太子殿下に従う者と、反対意見を示す者がはっきり二分され始めてるみたい」


 アイリーンは軽く息をついて書類を指し示す。そこには周辺領主の名前や地図がメモされ、各々がどんな立場を取っているか大まかな形でまとめられている。


 俺は書類に目を走らせながら、セシリアが隣で難しそうに眉をひそめるのを感じた。


「たとえば、ジャクソン伯という人物はもともと王都寄りだったが、最近は殿下への忠誠をさらに強めた様子。逆に、リチャード子爵は裏で『王太子のやり方に疑問を感じる』と言ってるらしい。ほかにも似たような例がいくつかあるわ」

「なるほど……領主たちにも分裂が起きてるわけだな。王太子の圧力が強まるなか、保身や利権を考えて殿下に付く人もいれば、反対勢力として動こうとする人もいる……」

「ええ。わたしの商家ネットワークで調べた限り、明らかに国が一枚岩じゃなくなってる。どちらに転んでも、争いが大きくなりそうな気がするの」


 アイリーンの言葉に、セシリアは口を挟む。


「周辺領主の中でも、王太子が何をしようとしているか察して、警戒してる者は少なくないはず。けれど、殿下の力を恐れ、あっさり従う領主も多いでしょうね」


 俺も大きくうなずく。そうなのだ。フィリップは王太子としての権威を巧みに使い、軍拡や政治支配を進めている。傾向としては、既得権益を保ちたい上級貴族ほど、フィリップへの追従を選びやすい。一方で、フィリップの強引さに不満を抱く領地や中堅貴族は、裏で反発を示しているといったところか。


「ジャクソン伯みたいに王都と仲良くしている領主は、王太子の命令に即座に従うだろうな。もしフィリップが『クリフォード領に軍を送る』と言い出せば、加勢してくる可能性が高い」

「ええ、さらに例の資源の噂が広まれば、わたしたちの領地を踏み潰すことで大きな見返りを得る、と考える輩も出てくるはずよ。実際、名を上げたい小領主にとって王太子の覚えめでたい行為は魅力でしょうし」

「……嫌な話だね。でも、逆に殿下の横暴を憂慮している領主や貴族もいるんだろ? 反対勢力として、こっちを支援してくれるかもしれない」


 俺がわずかな希望にすがるように言うと、アイリーンは微妙な顔をした。


「支援までは何とも……誰も王太子の逆鱗に触れたくはないでしょうから。下手にあからさまな行動はできない。今はただ『殿下のやり方に疑問を持つ』と言ってる程度みたい」

「要するに、口では反対するが実際には動かない、という人が大半、ということね」

「そうね。完全に国が割れる危険が出てきたら、また状況も変わるかもしれないけど。現時点では慎重に様子見している領主が多いと思うわ」


 その言葉に、俺は腕を組んで小さく息を吐く。確かに、まだ王太子の圧力をまともに受け止めて立ち向かうのは怖い。それは、わがクリフォード領とて同じだ。


 一方、フィリップが大胆に軍を動かすには、大義名分と同時に周辺諸侯の協力が必要になる。もし国全体が混乱するほどの事態になれば、反発する勢力も増えるかもしれない。だが、そのときにはすでに戦火が広がっている可能性もある。


「なるほど……殿下のもとにつく者、反発する者、そして日和見する者。三つ巴の状態になりつつあるのか。いずれ、はっきりとした対立軸が生まれるかもしれない」


 俺がそう整理すると、セシリアが静かにうなずいた。


「王太子の暴走が明らかになれば、苦々しく思う者は少なくないでしょう。けれど、王太子の権勢は揺るがない。今の段階で公然と反旗を(ひるがえ)すのは自殺行為よ」

「この辺境の俺たちも、守りを固めるには軍も資金も足りない。すぐに味方を得られるわけでもないし……。どうやって時間を稼げばいいんだろう」


 思わず声を張り上げそうになるのをグッと堪える。デニスは後ろで無言のまま、危機感をその瞳に宿しているように見えるし、グレイスは暗い表情で項垂れている。


「わたしの商家ルートでも、これ以上は大きく動けないわ。王太子を敵に回すような取引は、周りも避けたがってるから……」

「……わかってる、アイリーン。それでも情報をもたらしてくれてありがとう。いま、これだけでも行動の指針が見えるから助かるよ」


 アイリーンが苦笑いしつつうなずく。「わたしもできる範囲で調べ続けるから、何か進展があれば報告するわ」と言ってくれるのは心強いが、俺たちが追い込まれてる事実は変わらない。


 セシリアが視線を落として、小さな声で吐き捨てるように言った。


「もしこれが本格的な内戦になったら……国中に被害が及ぶわ」


 その重い言葉に、誰も返事ができない。王太子がレアメタルや軍拡をめぐって内外で好き勝手に振る舞えば、災いはわが領地だけに留まらず、王国全体を揺るがす大事になるかもしれない。


 俺は自嘲気味に肩をすくめ、「こんな辺境の小領地で、国家規模の争いに巻き込まれるなんて皮肉だな」とつぶやく。


「……それでも、俺たちは立ち止まれない。少なくとも、資源を渡せと言われて『はい、どうぞ』と差し出す気はない。セシリアを引き渡すなんて、もっとあり得ない」

「わたしも、それはご免被るわ。絶対に殿下の思う壺になるでしょうから」

「ええ、だったら方法を考えるしかない。周辺領主の中にはわたしたちに同情的な者が少なくともいるわけで……いつか協力を得られる可能性にかけたいところ」


 グレイスが小さく手を挙げ、「わたし、アイリーンさんのお手伝いも頑張ります!」と決意を示すが、その声に悲壮感はある。何か大きな歯車がもう回り始めているのだと思うと、動悸が早まる。


 デニスが顎に手をやりつつ、低い声で付け加える。


「殿下の軍拡が完了する前に、わたしたちも可能な限り準備を進める必要がありますね。農民の中で腕が立つ者を集めた民兵訓練とか……」

「そうか、民兵訓練……たしかに、今から備えれば何かしらできるかも。でもそれだけじゃ心許ないな。やるだけやるけど」

「ええ。少しでも防御策を整えましょう。あとは城門や砦がないから、地形を活かした防衛も考えないと……」

「わたしも何か手伝えるわ。王都の戦略を多少は学んできたから、陣地構築とか、防衛戦術とかね」


 セシリアの言葉に希望を感じる。彼女が王都の知識を本当に活かせれば、地の利だけでなく高度な駆け引きも望めるかもしれない。


 アイリーンは静かに席を立ち、手持ちの書類を鞄に収める。


「さて、わたしはこれで失礼するわ。まだまだ領地外の情報を探る必要があるし……。また何かあれば連絡するね」

「ありがとう、アイリーン。無理しすぎるなよ。殿下に目をつけられたら危ないし」

「わかってるわよ、もう。いま死にたくないしね。じゃあ、また近いうちに」


 彼女は軽くウインクして部屋をあとにする。ああ、いつもの朗らかな彼女に戻っているが、内心は大きなプレッシャーを抱えているだろう。


 扉が閉まると、セシリアは少しうつむいている。俺は隣に立ち、「大丈夫か?」と声をかける。彼女は顔を上げ、かすかに苦笑した。


「平気じゃないけど、もうこうするしかないでしょう。わたしも、本格的に殿下と敵対する気なんてなかったけど……ここまできたら引き返せないわ」

「そうだな。だけど、できるだけ争いを避けたい。最悪の事態にならないように、あがけるだけあがこう」

「ええ……正直、わたしも流血の事態は望まない。ここにいる人たちが巻き込まれたら申し訳ないもの」


 そう言いながらも、その瞳は揺れているように見える。王太子の恐ろしさを知っているからこそ感じる圧倒的な不安が、彼女の呼吸を重くさせているのだろう。


 俺は静かにセシリアの肩を叩き、可能な限りの優しい声で言った。


「まあ、ここでめげても仕方ない。やるべきことをやろう。最終的にどうなるか分からないけど、希望は捨てないで……」

「……ありがと。わたし、こういうときに励まされるのって、久しぶりな気がするわ」

「そ、そう? ならよかった。俺の励ましなんて、王太子の圧力には何の足しにもならんかもだけど」

「そんなことないわよ。意外と効いてるの。自分でも驚くくらい」


 セシリアが目を伏せながらつぶやく。照れを隠すように、すぐに話題を変えて「……とにかく、わたしたちも外部と連携を考えなきゃね」と切り出した。


 部屋の窓の向こうには、ゆるやかに沈む夕陽が淡く色づいている。王都との緊張が高まり、周辺領主も二極化するなか、クリフォード領は嵐の前の静けさをかみしめるように時間を過ごしていた。


 だが、いつまでもこうしてはいられない。俺たちが準備を整える間にも、王太子フィリップは次の手を打とうとしている。国中を巻き込んだ大きな波乱が近づいている――そんな不穏な予感が、薄暗くなり始めた空気を重く染めていた。

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