第30話 領民とのふれあい
日差しが柔らかい昼下がり。俺とセシリアは領内の村を歩いていた。村人たちが畑や牧場で働く様子を見学しつつ、彼女にこの領地の暮らしを少しでも知ってもらおうと考えたのだ。
そもそもセシリアは王都育ち。馬車で田舎を通った経験はあっても、こんな間近で農作業を見る機会などほとんどなかったらしい。彼女は人目を引くほど高貴なオーラを漂わせているが、裾を泥で汚さないよう、こまめに気をつけて歩いている姿が何とも微笑ましい。
「ふうん……この辺りは小麦畑が中心なのね。畝の作りもけっこう粗いというか、あまり効率を考慮していない印象だけど……」
「まあ、農機具や肥料を王都ほどは揃えられないからな。土の状態や季節ごとに工夫はしてるけど、最先端の技術ってわけにもいかない」
「なるほど。いずれにしても、こうして見てると人力で頑張ってるのね。王太子の軍拡で重税が増えたりしたら、この畑も維持できなくなるのかしら……」
セシリアがあえて口に出す王太子の話題に、俺は肩を落としそうになるが、ここで暗くなっても仕方ない。少しでも前向きな部分を見せたい。
ちょうどそんなとき、小さい子どもたちが近づいてきた。畑仕事を手伝いに来たのか、あるいはただ遊んでるのか、泥んこだらけの手足で元気いっぱいだ。
「わあ、レオン様だ! お帰りなさい~!」
「うん、ただいま。元気にしてたか?」
「うん! あれ、このお姉ちゃん誰?」
子どもがセシリアを指差し、きょとんと首を傾げる。セシリアは急に注目を浴びて目を丸くする。
俺が助け舟を出そうとする前に、子どもの一人がにじり寄って、目を輝かせながら言った。
「お姉ちゃん、きれいだね! なんか、お姫様みたい!」
「え、え……? そんな、わたしは……」
セシリアが珍しく言葉に詰まる。いつもはツンとした貴族的態度なのに、子どもの素直な誉め言葉には対処に困っているようだ。
俺は横でニヤニヤしてしまうが、彼女をイジるわけにはいかないので、フォローに入る。
「この人は、セシリア・ローゼンブルクさん。今、うちの領地でお客さんとして暮らしてるんだ。きれいなお姫様みたいだろ?」
「うん、すごいきれい! あ、でも、服が泥ついちゃうよ。気をつけてね!」
その子どもは、セシリアのドレス――というよりは簡易な外套姿についている小さな汚れを指摘すると、笑顔で「ぼくが拭いてあげる!」と近づこうとする。その瞬間、うっかり足をもつれて転んでしまった。
「わわっ……!」
ドサッという音、そして子どもの泣き声が響く。
「え、ちょ、だ、大丈夫!?」
セシリアが慌てて駆け寄る。子どもの扱いに慣れていないのは明らかで、「ど、どうすれば……」と小声で困惑している。
「ひ、ひっく、うう……いたい……」
「え、えーと……泣かないの……? どうしたら、泣き止むのかしら……」
セシリアは右往左往しながら小さく背中をさする。姿勢がぎこちないが、子どもの肩を抱いて小声で「大丈夫よ」と繰り返している。その姿はどう見ても不器用だが、逆にそれが微笑ましい。
子どももセシリアの焦った表情につられて、泣くのを忘れたのか、嗚咽しながら「う、うわぁ……」と涙をぬぐっている。
「ほら、立ってみなさいな。お膝すりむいてる? 消毒とか……ああ、こんなときどうするのかしら」
「たぶん、持ってるハンカチでちょっと汚れ拭いて、傷薬があれば塗ってあげて……」
「そ、そうなのね。……えっと、大人しくしてて。ハンカチ……あ、グレイスが持ってるわね。ちょっと貸して」
彼女は自分のハンカチを探そうとしているが、焦りすぎて見つからないらしい。俺がさらりと代わりの布を渡すと、セシリアは子どもの膝をとんとんと拭いてやる。
すると子どもは「うぐ……うう、ありがと……」と少し泣き止んで、セシリアの顔を見上げた。
「お姉ちゃん、優しいね……」
「べ、別に普通よ。こんな小さい傷、大人なら大したことないわ」
セシリアは照れ隠しなのか、すぐ顔をそらしてしまう。その頬がわずかに赤く染まっているのが何とも可愛らしい。
俺はその横顔を見て、思わずドキリとした。都会の高貴な令嬢が、田舎の子どもに慌てて手当てする姿は、普段のツンとしたイメージと違って、とても母性的に見える。
「ふふ、セシリアも案外、子どもをあやすのが得意だったりして」
「そ、そんなわけないでしょ。わたし、生まれてこのかた人の世話なんてやったことないわ。……ただ、泣いてるのを放っておくのもかわいそうだから」
「それでも十分だよ。ありがとうな、助けてくれて。君のそういう優しさ、きっと子どもたちも伝わったんじゃないかな」
セシリアは「う、うるさい」と小さく口をとがらせるが、その表情には以前の冷たさがない。むしろ、ほんの少し柔らかく微笑んでいるように見えて、俺の胸がじんわりとあたたまる。
そんなやり取りを眺めていた他の子どもたちも、「お姉ちゃん、ありがとう!」「また遊びに来てね!」と手を振って走り去る。セシリアは呆然とその背中を見送り、やがて小さく息を吐く。
「……まったく、子どもってどう扱えばいいのかわからないわ。王都じゃ侍女がみんなやってくれたから」
「初めてにしては上手だったんじゃない? 少なくとも泣き止んだし」
「そ、そうかしら……。あんな泥まみれで走り回るなんて、想像できない世界よ。領民も子どもも、のびのびしてるわね」
「うん、この領地はみんな素朴だけど、人間らしい優しさに溢れてる。セシリア様も、そういう生活に慣れていくうちに、いろいろ新しい発見があるんじゃないかな」
セシリアは少し考え込むように窓の外を見つめる。畑や牧場が広がり、子どもたちの笑い声が遠くで聞こえる中、静かに首を振った。
「本当に……貴方の領地は不思議な魅力をもってるのね。殿下が奪おうとするのも無理ないと思ってしまうくらい、温かいものが詰まってる」
「だからこそ守りたいんですよ。王太子からも、外の脅威からも」
「ええ。わたしも――そのために何かできるなら、やろうと思う。さっきの子どもたちみたいに、誰かが笑って生きていけるように」
彼女の言葉にドキリとする。いつもの上から目線ではなく、純粋にここの人たちを大事に思う気持ちが垣間見えた。かつての高飛車なセシリアとは別人のように柔らかな目をしている。
俺は少し照れ笑いを浮かべながら、まっすぐ彼女の瞳を見て言った。
「セシリア、ありがとう。子どもに優しくしてくれて、心の支えになろうとしてくれて。きっとみんな、君を好きになっていくと思うよ」
「べ、別に好かれたいわけじゃないの。わたしは……ただ、もう失うのは嫌だから」
「……ああ。わかったよ」
その言葉が少し胸に響く。セシリアもまた、いろいろ失ってきた身だからこそ、ここで大切なものを守る側に回りたいのかもしれない。
こうして領民や子どもたちと触れ合ううちに、俺とセシリアの間には以前より温かな空気が流れ始める。資源の問題や王太子の脅威は重くのしかかるが、その合間にも小さな幸せや笑顔が生まれるのを感じた。
遠くで子どもが「また来てねー!」と叫ぶのに、セシリアがぎこちなく手を振り返す姿は、何とも愛らしい。こんな彼女の笑みを見るたび、俺は心を奪われそうになるのだった。




