第3話 招待状の中身と噂
昼下がりの陽射しが、屋敷の廊下を柔らかく照らしている。俺はその中を足早に進み、侍女のグレイスと一緒に小さな応接間へ入った。ここで、王都から届いたという「とんでもなく場違いな招待状」を改めて確認することになる。
「えっと、これですね。王宮から届いた正式な招待状っていう……」
グレイスが大事そうに紙を抱えて差し出してくる。彼女はさっきまでドジをやらかしていたとは思えない、真剣な表情だ。俺も少し緊張して喉を鳴らす。
「うん。まさか、王太子殿下の夜会に下級貴族が呼ばれるとはな。下級どころじゃないよ、俺なんて辺境の小領主代理だから、実質“名ばかり”の貴族に近いし」
「いえいえ、レオン様はれっきとした領主様ですよ? わたしから見たら、地方なんて関係ありませんっ」
「そ、そうか? まぁありがとな。でも世間一般では、クリフォード領なんて……ふう、言わないでおこう」
苦笑いしながら、招待状を手に取る。立派な紋章が押されていて、文字も達筆。まさしく「高貴なパーティーへようこそ」という雰囲気全開だ。
「『王太子フィリップ・ラグランジュ様主催の夜会に、クリフォード領のご当主を招待申し上げます』……なるほど」
「ほわあ……これが王太子殿下の紋章なんですね。きらびやかだなぁ。都会ってやっぱりすごそう……」
グレイスはきらきらと目を輝かせている。だが、内心の俺はちっとも浮かれていない。むしろ、どこか不安が募る。
「俺なんかが行って、何するんだって話だよ。王宮での夜会……しかも王太子フィリップ殿下って、とんでもない権力者だろう? 変に立ち回って恥をかくだけでなく、下手すれば怒りを買うかもしれない」
「で、でも一度は行ってみたいですよね、そういう豪華な夜会……! わたし、つい興味わいちゃいます。うう、都会って怖そうですけど、同時に面白そう……!」
グレイスが楽しげに話すのを聞きながら、俺は招待状の文面を再度読み返す。確かに、華やかで刺激的なイメージはある。だが、夜会というものは、上流貴族が社交を通じて政治的な駆け引きを行う場でもあるらしい。
「王太子フィリップ……殿下の噂、聞いたことあるか?」
「え? あ、あんまり直接は。でも『贅沢三昧で、王宮の財政を無駄遣いしてる』とか、『強引なやり方で敵を黙らせる』っていう話が、領地の商人さんからちらほら……」
「やっぱりそうか。俺も似たような話は耳にしてる。だからさ、怖いんだよ……どんな性格なのかもわからないし、粗相をしたら……」
貴族社会ってのは難しい。ましてや王太子といえば、将来の国王候補だ。下級貴族が軽々しく逆らえば、どんな報復が待ち受けているかわからない。父も重病だし、領地の財政も限界。今、王都の有力者に逆らうリスクは大きすぎる。
「でも、わざわざこんな辺境の領地に招待状を送るなんて、何か意味があるんじゃないですか?」
「意味……あるんだろうな、きっと。だからこそ不審だろ? 俺たちなんて見向きもされないのが普通なのに」
「そ、そうですよね。……あ、でも、いい方かもしれないです! なにか、田舎にも優しい王太子様だとか」
「それならいいんだけど……実際どうなんだろうな。聞くところによれば、フィリップ殿下はかなりの権力を握りたがってるらしいぞ。貴族院も殿下派とそれ以外で対立があって、無理矢理に殿下の意見を通してるって噂もある」
「う、噂だけでも怖そう……。実際にお会いしたら、顔も見られないかも……」
グレイスが震えるように肩をすぼめる。俺もほぼ同意見だ。人によっては「王太子フィリップは華やかで人当たりがいい」とも言うが、どれが本当なのかさっぱりわからない。貴族社会の噂は当てにならないことも多い。
「……でも、今のクリフォード領の状況を考えれば、何かしらの繋がりを持つチャンスになるかもしれない。王都の名士とのパイプができれば、資金繰りや物資の融通も期待できるんだ」
「わかります。レオン様もお父上も領地を立て直すために必死ですよね」
「必死にもなるさ。これ以上、領民に苦しい思いをさせたくないんだ。けど、王都ってだけで経費もかかるだろうし、夜会に参加する装いだって……ああ、頭が痛い」
「だ、大丈夫ですよ! わたしがめいっぱい頑張って、レオン様にふさわしい服を準備しますっ! ……あ、でも……失敗したらごめんなさい」
「おい、そこは自信もってくれよ……!」
思わず笑ってしまうが、このやり取りがちょっと気を楽にしてくれる。グレイスがいると、不思議と息苦しさがやわらぐんだよな。
王太子フィリップ殿下に好かれようが嫌われようが、今さら断れるものじゃない。招待状はすでにここにある以上、参加は避けられない。
「それにしても、『王太子が主催する夜会』って、どんな感じなんだろうな。きっと貴族中の貴族って感じの人たちが勢ぞろいしてるんだろうな」
「ですよねー。すっごくドレスが華やかで、宝石とか、きらきら……! ああ、考えると緊張します。でも楽しみでもあります!」
「お前、怖いとか言いながら、やっぱりそこはミーハーなんだな」
「はうっ、す、すみません。あまりにも想像がつかなくて、怖いのと楽しみなのが半々なんです。でも、レオン様は緊張しちゃダメですよ? わたしより堂々と振る舞ってください!」
グレイスの無邪気な笑顔に、思わず苦笑いをこぼす。堂々と、か……その必要性はわかるけど、現実は簡単じゃない。
下級貴族が上流の社交界に放り込まれたとき、どんな洗礼を受けるか想像してみるだけで胃が痛い。それでも、領地の将来を考えれば、逃げるわけにはいかない。
「……ま、やるしかないよな。俺が怖がってたら、誰も動けないし」
「はい! レオン様ならきっとやれます! もし失敗しても、わたしが一緒に盛大に転んでみせますからっ!」
「よくわからないけど、それはあんまり頼もしくないぞ……」
「えへへ。ともかく、王太子殿下の噂は厳しいのも多いですけど、もしかしたらいい人かもしれませんよ!」
「そうだといいんだけどな。とにかく、用意できるものは準備して、しっかり心構えしておこう」
俺は招待状を改めて握りしめ、その金のエンブレムを見つめる。王都……フィリップ殿下……か。本当に、どういう人物なんだろう。そして、どうして下級貴族である俺を招くんだ?
もしかすると、何かしらの策略や陰謀が裏にあるのかもしれない。貴族社会というのはそういう面があると聞く。だけど、あれこれ悩んでも仕方ない。腹をくくって飛び込むしか道はないのだ。
「それじゃあ、グレイス。俺は父上にも報告して準備を進める。お前も手伝ってくれ。必要な物や人脈を総動員して、俺をなんとか王都で恥をかかないようにしてくれよ」
「はいっ、任せてください! ドジのわたしでも、全力で頑張りますから!」
「そこはドジを直す方向で頼む」
「む、無理な相談かもですけど、努力はしますっ!」
そんなやり取りに小さく笑いながら、俺は腰に手を当てて深呼吸した。
数日後には王都へ向かう旅に出る。心は不安と緊張でいっぱいだが……これが俺たちクリフォード家の未来を決める大きな一歩になるのかもしれない。
もし、上手くいけば――領地の困窮も少しは改善するかもしれないし、父の肩の荷を下ろしてやれるかもしれない。そして、何より、領民に苦しい生活を強いる負い目からも解放されたい。
俺はそう信じて、招待状を丁寧に机へ置く。きらびやかな王太子フィリップ・ラグランジュの名を見つめ、決意を固めた。
(あの夜会で、いったい何が起こるんだろう……?)
今はまだ、“あの衝撃的な夜”が待っているとは夢にも思わずに――。