第25話 アイリーンとの再会
昼下がり、クリフォード領の領主館にひときわ明るい声が響いた。
「レオーン、久しぶりじゃない! 無事に帰ってきたって聞いて、飛んできたわよ!」
姿を見せたのはアイリーン・フォスター。領内でも有名な商家の令嬢で、俺と古い付き合いがある。彼女は派手すぎないけれど品のいいドレスを翻しながら、満面の笑みを浮かべている。
その隣で控えていたセシリアは、なにやら物珍しそうにアイリーンを見つめていたが、向こうもさっそく目を留めたようだ。
「あら、この方は……。見慣れないけど、とっても綺麗な髪とお顔立ち。レオンが連れてきたお客さん?」
「アイリーン、まずは落ち着けって。部屋に通すから」
「いいのいいの、わたしは動き回るほうが性に合うのよ。……でも確かに場所を移したほうがゆっくり話せそうね。じゃあ、失礼します」
アイリーンは視線をセシリアへ戻す。
「初めまして、アイリーン・フォスターと申します。クリフォード領で商人の家をやっています。貴女は……?」
セシリアは軽く視線を外して、一瞬戸惑ったように見える。でも、すぐに高貴な所作でお辞儀をした。
「セシリア・ローゼンブルクです。……いろいろあって、こちらに身を寄せてます。お世話になるわ、アイリーンさん」
「ローゼンブルク……ですって? あの高名な貴族家の? へえ、びっくり。ちょっと緊張しちゃうわね」
「緊張? むしろわたしの方こそ、勝手にここで生活する身分だもの。どうか気楽に接してちょうだい」
都会育ちのセシリアと、商人のアイリーンという正反対の女性同士。最初は噛み合うか不安だったが、どうやらここまでは友好的なスタートのようだ。
グレイスと一緒に応接室へ通し、みんなでテーブルを囲んで腰を下ろすと、アイリーンは話し出した。
「それでレオン、王都で何があったの? 戻ってくるって、急に知らされて驚いたのよ。物資とか資金とか、いろいろ準備してたんだけど」
「ああ……実は、王太子殿下を敵に回してしまってね。詳しくは言えない部分もあるけど、とにかく早く帰らないと危ない状況だった」
「そっか。まったく、無茶するんだから。……まあ、おかげでセシリアさんがここにいるってわけね」
アイリーンが意味深に微笑む。セシリアが居心地悪そうに目を伏せる様子を見て、それ以上追及しないあたり、彼女も空気を読めるのだろう。
アイリーンはすぐに切り替えて、「じゃあ領地の報告をしなきゃ!」と声を弾ませる。
「実は近隣領主との取引が難航していてね。麦の収穫が思ったより減ってしまって、物々交換だけじゃ足りなくなりそうなのよ。商隊を呼び寄せようにも、これまた財政面でキツいし」
「やっぱりそうか……。王都でも感じてたけど、全体的に物価が上がってる。なかなか苦しい局面だな」
「そうなの。たとえば、隣のレンハイム領では去年の大雨で麦畑がやられちゃったし、クリフォード領も大きくは作れないから、交易が成立しづらいのよね」
アイリーンはテーブルに広げた書類を指し示しながら説明してくれる。農作物の収支や、周辺地域での物々交換の履歴など、細かく管理されているのはさすが商家の令嬢。
俺は頭を抱えたい気分だ。領地が厳しいのは予想していたが、ここまで深刻だとは……。
「父上も体が悪いし、俺が何とかしないと。セシリアにも安全な場所を提供したいけど、この状態じゃ十分に守りきれるか……」
「うーん、ピンチをチャンスに変える方法があればいいんだけどね。大掛かりな改革をするにもお金が足りない。小さな商隊呼ぶだけでも大金が必要だし」
「んん……これは確かに深刻だわね」
セシリアが書類に目を通しながら、わずかに苦笑する。
「王都では見かけなかったリアルな経営問題というか……。田舎での暮らしがこんなに厳しいものとは想像を超えていたわ」
それを聞いて、グレイスがしゅんとする。
「ごめんなさい、セシリア様。ご不便かけてますよね。でも、みんな一生懸命なんです……」
セシリアはすぐに首を振った。
「別に責めているわけじゃないの。ただ、思った以上に苦しい状況に驚いてるだけ。それでも、ここには王都にはない温かさがあるように思えて……」
「セシリア様……」
その言葉に、ちょっと嬉しくなってしまった。アイリーンもニッコリ笑い、テーブルをパンと叩く。
「そうそう、ここは田舎だけど、人はみんな親切だし、団結力があるのが自慢! だからきっと大丈夫。わたしもできる限り協力するからさ」
「ありがとう、アイリーン。助かるよ。……セシリア、しばらくは慣れないことも多いと思うけど、どうかよろしく頼むよ」
「……ええ。わたしも何かできることがあれば手伝うわ。高位貴族の立ち回りや政治的な交渉術くらいは心得ているから」
セシリアの瞳に、かすかな決意の光が宿っているように見える。都会を追われてしまったけれど、その経験がこの領地のために生きるかもしれない。なんとも不思議なめぐり合わせだ。
アイリーンが席を立ち、「もう少し領地のこと調べてくる!」と出て行く準備を始めた。「あとでまた報告に来るからね。みんなファイトよ!」と、いつも通りの元気さで部屋を出る。
「……ああ、やはりにぎやかな人ね。パワフルで、貴族とは違うエネルギーを感じるわ」
「アイリーンは頼りになるんですよ。領地の商業面は彼女の家がなきゃ回りませんから」
「ふふ、仲が良さそうで羨ましい。貴族同士の利害関係だけの付き合いとは違うんでしょうね」
セシリアがそうつぶやく横で、グレイスが「ほんとにいい人なんです、アイリーンさん」と力説する。彼女の明るさにセシリアも影響を受けているらしく、頬がややほころんで見えた。
こうして、領地の厳しい実情を再確認することになったが、同時にセシリアが「ここにいたい」と思える環境が少しずつ整いつつある。王太子に追われる身でありながら、田舎だからこその温かい人間関係が、彼女の心を少しずつ溶かしているのかもしれない。
「さて、俺たちも頑張らないとな。領地の人たちを助けるためにも、セシリアを守るためにも」
「うん、レオン様、わたしもお手伝いします! わたしにできることがあったらなんでも言ってくださいね!」
「ありがとう、グレイス。セシリアも無理しないでくださいね。今は休むのが先ってこともありますし」
「ええ、わかってるわ。でも、わたしもただ隠れてるだけではいたくないの。ここで生きるからには……何か役に立ちたいのよ」
その強い眼差しに、俺は小さくうなずく。ここにいる全員が、いまの危機を乗り越えなければ先はない。だけど、それぞれが持つ力や経験を合わせれば、可能性はゼロじゃない。
王太子の怒り、周辺領地との交易不振、そして暗殺者の影――問題山積みだが、それ以上に心を繋げる仲間たちがいる。セシリアもまた、その輪の中で新しい居場所を探そうとしている。
その姿を見て、俺の決意もさらに固くなる。こんな田舎だけど、ここで生きていく意義があるはずだ。領地を守り、仲間を守り、そして王太子の不条理に立ち向かうためにも、まだまだ戦いは続く。




