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第22話 夜の野営と心の距離

 旅の二日目の夜。王都からそこそこ離れた場所まで進んだものの、辺りは森が深くなってきて、宿のある町まであと半日はかかりそうだった。


 俺たちは小さな川辺の空き地を見つけ、今夜はここで野営することにした。まさか、こんな形で野宿をするなんて思いもしなかったが――セシリアが一緒にいる以上、下手に村に立ち寄るのは避けたほうがいい。目立てば追っ手の目に止まる恐れもある。


「グレイス、テントはそっちじゃなくて、もうちょっと平らな地面を探してくれ。石や根っこが多いと寝心地が最悪だ」

「は、はいっ! わたし、よく見てなかったです。ごめんなさい!」

「いや、気にしないで。まだ明るいうちに整備できるだけマシだから」


 グレイスが地面の状態を確認している横で、デニスが手際よく焚き火の準備を進める。乾いた小枝や落ち葉を集め、火打石で火を点す姿は慣れたものだ。パチパチと燃え上がる炎が、夜の闇を切り裂いていく。


「……ふう、こんな方法でキャンプをするなんてな。ほんの数日前までは、王都の華やかな夜会に出てたはずなのに……」

「レオン様、今さら言っても仕方ないですよ。いまはこの状況を乗り切るしか……あ、わたしが焚き火の見張りをしますね!」

「大助かりだ、頼むよ」


 背後に気配を感じて振り向くと、セシリアがやや遠巻きに立っていた。あの高貴なドレス姿はもう脱いでいて、動きやすい外套を(まと)っているけれど、それでもオーラは隠せない。


 彼女は焚き火を見つめながら、鼻をかすかに動かす。


「……外で火を焚くのって、意外と匂いが付くのね。髪に煙のにおいが染みついたら取るのに苦労しそう」

「外じゃ焚き火くらいしか暖がとれませんから、申し訳ない……。ある程度割り切っていただくしか」

「ふふ、わかってるわ。文句は言わない。わたしももう覚悟したもの」


 一言ひとことに高貴な雰囲気が漂うが、その背筋をまっすぐ伸ばす様子からも、なんとなく“慣れないけれどやってやろう”という決意が見える。先ほどまではツンとした態度だったが、少しずつ打ち解けようとしているのかもしれない。


 グレイスが地面の傾斜を確認し終え、テントの部品を組み立て始める。だが、桟を支えきれず「あわわわ!」とバランスを崩しそうになったところを、デニスが助け舟を出してくれた。


「危ない、グレイス。もう少し落ち着いて……はい、俺がこのポールを押さえてるから」

「う、うう、ごめんなさい! てきぱきやるつもりだったんですが、なんか上手くいかなくて……」

「ふん……もう少し手順を考えて組み立てれば、簡単でしょうに」


 セシリアが呆れたように言うと、グレイスが恐縮してペコペコ頭を下げる。いっそ二人で協力すればいいのに、どうも息が合わず戸惑っている様子だ。


 俺は苦笑いを浮かべつつ、セシリアに声をかける。


「セシリア様、もし差し支えなければ、テントの中に寝ていただいていいですよ。俺とデニスは外で寝袋でも構わないんで」

「そうね……でも、わたし一人で占領するのも何だか悪い気が……」

「いえいえ、そこは遠慮しないでください! こんな夜道で逃げてきたんですし、まずはセシリア様の安全を確保するのが大事です」

「……ありがとう。では、遠慮なく使わせてもらうわ」


 彼女は小さく頭を下げる。あの高位貴族のセシリアが、俺たちに素直に感謝する姿はどこか新鮮だ。


 やがてテントが何とか形になり、焚き火の火が安定した頃には、空がすっかり紺色に染まっていた。焚き火のオレンジ色の光が、木々の影をゆらゆらと揺らめかせている。


「簡易の食事ですが、パンと干し肉、スープくらいなら用意できますよ」

「はは、王都みたいに豪華な料理は無理だが、これも意外と美味いんだ。飢えをしのげれば充分」


 グレイスが手際よくスープを温め、パンをちぎって渡してくれる。セシリアがそれを受け取り、少し不満そうに鼻を鳴らすが、腹は空いているらしく黙って口へ運んだ。


「……確かに悪くない。やはり腹が減っては戦もできない、ってことね」

「そりゃそうですよ。まぁもう少し先へ進めば村もあるし、何かまともな食材を買い足せるかも」

「そもそも、わたし野営なんて初めて。こうして簡易テントで寝るなんて、想像したこともなかったわ」


 セシリアがぼそりと漏らす。グレイスとデニスが興味津々で話を聞いているが、彼女は苦笑を浮かべるだけ。


「貴族の屋敷で暮らしていた頃は、侍女や使用人が何でもやってくれた。いま思えば、不便なんて一つも感じなかったわね……」

「そうでしたか。じゃあ、今回の旅は大変ですよね。わたしなんか、領地で慣れてるけど、セシリア様にとっては毎日が試練かも」

「試練……かもしれないわ。だけど、今は逃げるしかない。甘えられる立場じゃないし……少しずつ頑張るわ」


 ツンとした口調ながら、最後の方は弱めの声になっている。今までは周りが何でも用意してくれたのだろう。野営での苦労に慣れなくても仕方ない。


 俺はスープをすすりながら、彼女に視線を移す。


「セシリア様、お辛いかもしれませんが、落ち着くまではこんな形の生活が続きそうです。ご不便をかけますが……」


セシリアは困ったように一瞬目を伏せると、小さく息をついて首を横に振った。


「……ねえ、レオン。もう“様”はやめてくれないかしら。わたしは今、ただの逃げる身――高位貴族なんて肩書き、捨ててきたも同然だから。そんなふうに呼ばれると、なんだか落ち着かないの」

「え……でも、あなたは高位貴族の令嬢で……」

「今はそんな立場じゃないわ。むしろあなたたちに助けてもらわなきゃ生きていけないくらい。だから、ただのセシリアって呼んでちょうだい」

「……わかりました。じゃあ……セシリア」


 俺が名前を呼び捨てにすると、セシリアはほんの少しだけ微笑んだように見えた。


「構わないわ。これも自業自得と思ってるもの。わたしが婚約者と上手くやれていれば、あんな断罪にはならなかったから……」

「でも、それは殿下の理不尽な部分が大きいでしょう。セシリアが全部悪いわけじゃない」


 セシリアはかすかに眉を寄せる。そして焚き火の炎をじっと見つめた。


「……ありがとう。でもいまは、言い争いをしても仕方ないものね。今夜は少しゆっくり休むわ」

「ええ、そうしてください。わたしたちも交代で見張りをしますから、安心して休んでくださいね!」


 グレイスがにこやかに言うと、セシリアは声に出さず微笑んだ――かもしれない。火の揺らめきで、はっきりした表情はわからないけど、確かに先ほどよりは顔が柔らかい。


 野営地に星々がまばらに光り、夜の静寂が降りてくる。逃亡中とはいえ、こうして焚き火を囲んで話していると、不思議と心が穏やかになる瞬間もある。


「レオン様、明日はもう少し遠くまで行けますよね? わたし、がんばって地図を読みますから!」

「頼むよ、グレイス……二度と道を間違えないようにな」

「くうっ……精進します! セシリア様に嫌みを言われないように、完璧にしますから!」

「わたし、別に嫌みを言うつもりはないのよ。事実を指摘しただけ」


 ほんの小さな笑いが起きる。デニスが苦笑して「平和ですね」とつぶやく。確かに、命を狙われている事態とは思えないほど、ほのぼのとした空気だ。もちろん油断はできないけれど、やっぱり仲間がいると気が楽だ。


(明日からもいろいろ大変だろうけど、少なくともこの一夜くらいは気持ちを休めよう)


 そう自分に言い聞かせ、セシリアにも一瞬だけ目をやる。彼女は焚き火の光を映しながら、どこか切なげな表情をしていた。星空をちらりと見上げて、そのまま小さく息を吐く姿が儚い。


 いつかこの逃亡が終わり、彼女が笑顔を取り戻せる日が来るのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、夜の星々に思いを馳せる。


「……よし、じゃあそろそろ準備ができたら仮眠をとりましょう。デニス、悪いけど見張りの交代スケジュールを決めてくれる?」

「承知しました。まずわたしが先に立ちましょう。それからグレイス、レオン様の順番で交代を」

「セシリアはぐっすり休んでください。女の子をこんな状態にさせてるの、ほんとは心苦しいんで……」

「……心配しなくても寝るわ。おやすみなさい」


 そう言って、セシリアはテントの方へ足早に向かう。前までのツンケンした雰囲気は少し和らいだように見えるが、まだ完全に打ち解けたとは言えない。


 それでも小さな一歩だ。俺たちはこの逃亡の旅を続けるうちに、きっと互いの壁を少しずつ壊していくんだろう。


「グレイス、火の番をよろしく」

「はーい! 今度こそちゃんとやりますよ。わたしのドジが原因で火が消えたりしないように……って、言ってるそばから失敗しないように気をつけます!」


 そんな明るい声を聞きながら、俺はデニスに背中を叩かれ、少し安心した気持ちで夜空を見上げた。


 星の瞬きが、森の闇をかすかに照らす。王太子の追っ手、暗殺者、そして行く先々の苦難――何もかも忘れるわけにはいかないが、今はせめて、この夜を穏やかな心で迎えられることを感謝しよう。


「明日はもっと先へ行けるといいな……」


 そうひとりごちて、ゆっくりとまぶたを下ろす。これはまだ旅の序章。だが、セシリアと共に歩むこの道が、いつか大きな運命のうねりへと続く――そんな予感を胸に抱きながら、俺は静かな野営の夜を過ごしていくのだった。

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