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第19話 セシリアの嘆き

 夜の闇をかきわけ、俺たちはひとまず人気のない路地の片隅に身を潜めた。先ほどの暗殺者たちは去ったが、まだ油断はできない。デニスが警戒を続ける一方で、俺はセシリアに声をかける。


「ここなら、少し落ち着けそうですね。大丈夫ですか、セシリア様……?」


 セシリアはわずかに肩で息をしながら、ドレスではなく動きやすい外套をまとった姿で壁に背を預けている。先ほどの襲撃を考えれば、無事といえるだけでも奇跡だろう。


 だがその瞳には、先ほどと違う、どこか諦めを含んだ色が見えた。


「貴方こそ……傷は大丈夫? 暗殺者の刃が当たったように見えたけれど」

「ええ、かすっただけです。たいしたことはありません。デニスが手際よく包帯を巻いてくれましたから」

「そう……ありがとうございます、本当に。あのままだったら、わたし……」


 セシリアは言葉を切り、夜の冷たい空気を吐き出すように小さく息をつく。その横顔には、どこか張りつめた緊張が緩んだ様子がうかがえるが、同時に沈むような憂いも浮かんでいる。


 そして、彼女はふと遠くを見るように視線を上げた。


「……わたしは、もうすべてを失ったの。王太子の婚約者、という肩書も貴族としての誇りも……今やあってないようなもの。家の力も、財産も、どんどん奪われていくでしょうね」

「え……そんな……。けど、セシリア様が高位貴族なら、まだ助けてくれる方もいるはずじゃ……」

「いいえ、王太子という絶対的存在を敵に回したのよ。誰がわたしを庇うかしら。ここ数日の出来事で、家の権力基盤もほぼ崩れているし……」


 自嘲気味に唇を歪めるセシリア。そこには、あの夜会で見せた高貴な態度とは違う弱さが混じっていた。だが、いま彼女が背負っている現実を思えば、この態度は当然かもしれない。


「でも……だからといって、命まで狙われるのは理不尽すぎます」

「……正直、わたしも驚いているわ。王太子が直接仕向けたのか、あるいはその取り巻きが動いたのか……。もはや何の後ろ盾もないわたしは“処分”されてもおかしくない、ということね」

「そんな……。だからって、黙って殺されるなんて……それは絶対におかしい。人が一人消されるなんて、あってはならない!」


 思わず拳を握りしめてしまう。夜会での理不尽な断罪、そして闇の中の暗殺未遂。下級貴族である俺も王太子を敵に回してしまったけれど、だからといって見殺しにするわけにはいかない。


 デニスが警戒を続けながら、小声でこちらに呼びかける。


「レオン様、話すのはいいですが、あまり時間をかけない方がいい。暗殺者が再び襲ってくる可能性もあります」

「わかってる。もう少しで終わるから、見張りを頼む」

「了解です!」


 デニスが周囲を確認しに行ったのを見計らって、俺はセシリアに向き直る。彼女はうつむいて地面を見つめていたが、その指先がかすかに震えているようにも見える。


 大きな家名を背負っていたはずの彼女が、いまや完全に孤立している。それを考えたら、言いようのない不憫さと怒りが込み上げる。


「セシリア様……もし行く宛てがなければ、俺の領地に来ませんか?」

「……え?」

「こんな状況で、失礼だってわかってます。でも、命の危険がある以上、王都に残るのは危険すぎる。俺は……あなたを放っておけない。王太子に逆らった時点で、もう戻れないところまで来てるんです」


 グレイスが言ったとおり、俺は自分の行動を後悔していない。たとえ領地や家族を危険にさらすリスクがあっても、人として見捨てるわけにいかない――それが本音だ。


 セシリアはわずかに目を見開いたが、すぐに揶揄するような笑みを浮かべる。


「貴方がわたしを匿う……? 下級貴族の領地で、王太子の怒りを買ったわたしを……? 本気なの?」

「本気です。無謀だって百も承知。でも、こうでもしないと、貴方は本当に消されてしまうかもしれない。自分の無力さは痛感してますけど、助けたいって気持ちだけは本物です」

「正気とは思えないわ。王太子の手が届けば、貴方も領地も危険にさらされるのよ?」


 その言葉にはある種の優しさが滲む。俺にまで迷惑をかけたくないという気持ちが少しはあるのかもしれない。でも、俺は首を振るしかない。


 正気かどうかより、やらなければ済まされないと感じている。止まっていたら彼女が消えてしまう――そんな予感がするから。


「もう、殿下に逆らってしまった以上、俺も同じ立場です。だったら、共に生き残る道を探るしかないと思うんです」

「……貴方、どこまでも馬鹿正直なのね。こんなわたしを救うメリットなんて、まるでないというのに」

「メリットで動いてませんから!」


 気づけば声が高まっていた。セシリアが小さく驚いたように瞬きをする。俺も思わず恥ずかしくなって言葉を続ける。


 ――そう、無償の善意だけで人を救えるほど、俺は聖人君子じゃないかもしれない。だけど、放っておけなかった。それだけは偽りのない気持ちだ。


「……すみません、偉そうに言って。とにかく、ここは危険です。まずは領地へ避難しましょう。あとは追々考えるってことで……」

「ふふ……本当にお人好しね。でも……ありがとう」


 一瞬、彼女の瞳に弱さと安堵が同居するような色があった。ほんの少しだけど、セシリアの硬い表情が解けた気がする。


 そこへデニスが戻ってきて、小声で「そろそろ移動したほうがいいですよ。ここにずっといるのはリスクが高い」と促す。俺はセシリアに視線をやり、彼女が小さく肯くのを確認してから立ち上がる。


「わたしはもう……何も失うものはないわ。家名も財産も、そして……王太子からも見捨てられた。これ以上失望を味わうこともないでしょう」

「いえ、そんなことない。きっと、まだ取り戻せるものがあるはずです。少なくとも、これで命を落とすのだけは防ぎたい。俺の領地で……一緒に考えませんか?」

「……どうして、そこまで優しいの?」

「優しいかどうかじゃなくて、もう運命共同体みたいなもんですよ。お互いに殿下の怒りを買ったわけですし」


 セシリアが苦笑いしそうに肩をすくめ、それを見た俺も静かに笑みを返す。こんな状況で笑っている自分たちもどうかと思うが、少なくとも息が詰まるよりはいい。


 これが、新たな幕開けなのかもしれない。王都の闇を抜け出し、クリフォード領へと向かう道――また苦難が待ち受けるだろうけど、今はそれしかないと信じるしかなかった。


「じゃあ、行きましょう。……セシリア様、一緒に」

「ええ……。あなたの名前、レオン……クリフォード、だったわね。よろしくお願いするわ」


 そうして俺たちは夜の街を後にする。前途多難なのは明白だけど、セシリアの瞳にわずかな光が宿っているのを見て、俺も少しだけ救われた気持ちになった。


 王太子フィリップへの逆らい、暗殺者の襲撃、そして予想外の邂逅と救い――物語は、ここからさらに大きな流れへと進んでいくのだろう。

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