第18話 暗殺者との戦闘
闇に紛れる影がセシリアに襲いかかるまで、ほとんど一瞬だった。
ぎらりと光るナイフ。複数の黒づくめが息を殺し、同時にセシリアへ向かって踏み込む。彼らが間違いなく“殺意”をもって動いていることは、素人目にも明らかだ。
「くっ……この――!」
俺は飛び出しざま、咄嗟に腰の剣を抜いた。クリフォード領で鍛えた自慢の剣技とまではいかないが、少なくとも暗殺者相手に逃げずに立ち向かう度胸はある。酔いも完全に冷めきっていないが、頭はむしろ研ぎ澄まされている気さえする。
セシリアが驚いたようにこちらへ振り向いた。「あなたは……」と小さく声を上げかけたが、それを聞く余裕もなく、黒づくめの一人が真横から斬りかかる。
「危ない!」
俺は剣を構え、相手の短剣を受け止めた。キンッと鋭い金属音が夜道に響く。もう一人が背後を回り込みそうだったので、力まかせに斜め上へ剣を跳ね上げ、その一瞬に身をひるがえしてセシリアの前へ仁王立ちする。
「なぜ……あなた、下級貴族の……」
「話はあとで、逃げてください!」
セシリアをかばうように腕を広げるが、次々に暗殺者が攻撃してくる。数にすると三人――いや、四人か? 夜の暗がりで正確な人数を把握するのも難しいが、少なくとも向こうは集団で動いているようだ。
一方のセシリアは、高位貴族とはいえこんな夜道で武器もなく、護衛もいない。何らかの事情があるにせよ、こんな危険すぎる状況を一人で切り抜けるのは不可能に近い。
「この女さえ殺せば……」
「報酬はたっぷり、王太子のお望みだ!」
暗殺者たちが口々に不吉な言葉を漏らす。やはりこれは、王太子フィリップの仕業なのか――と考える暇もなく、短剣の切っ先が俺の胸元を裂こうと迫る。
俺は何とかそれを剣で弾き返したものの、一人を防ぐだけで精一杯。すぐ横ではもう一人がセシリアを狙っていると気づき、慌てて詰め寄ろうとする。
「まずい、セシリア様……!」
そのとき、不意に“ガキンッ”という激しい衝突音が響いた。俺の背後から、別の剣が飛び出し、暗殺者の短剣を受け止める。目をやると、そこにいたのはデニスだ。
「レオン様、ご無事ですか!」
「デニス! お前、どうしてここに……!」
「あなたが夜に一人で出て行くなんて、何かあると思ったんですよ。急いで追ってきたんです!」
頼もしい男だ。デニスは俺よりもずっと剣の腕が立つ。彼が加わったことで、形勢が少しだけ好転する。
暗殺者たちも二人組に増えたこちらを見て、すんなりやれると思えなかったのか、ぐっと距離を取り直す。しかし、まだ戦いが終わったわけじゃない。バラけた四人が、にじり寄る形に隊列を変えようとしている。
「セシリア様、下がっていてください!」
「わたしは……無事です。あなたこそ、気をつけなさい」
セシリアがそう返しながらも、その指先がかすかに震えているのがわかった。先ほどまでの彼女の毅然さは色あせてはいないが、いざ殺意を向けられては冷静でいられるはずがない。
それでも叫んだり取り乱したりしないのは、さすが高位貴族なのか。それとも、彼女自身が持つ強い心のせいか。
「グダグダするな、決めろ!」
「なんとしても殺すんだ!」
暗殺者たちが再び突撃してくる。今度は連携を取っているのか、二人が囮になって、残り二人が背後から奇襲をかける流れのようだ。
俺とデニスが正面を捌いていると、背後に回り込もうとした一人がセシリアを狙って突進していくのが見えた。
「やめろーっ!」
思わず叫びながら振り返るが、タイミングが悪い。俺は正面の敵を抑えている最中で、すぐには向き直れない。
暗殺者の刃がセシリアの背後を狙う。その瞬間、全身が冷えあがるほどの恐怖を感じた。――間に合わない!
「ぐっ……!」
咄嗟に身体を捻って腕を伸ばし、セシリアの肩を押しのけるようにして背後に下げた。そのかわり、俺の腕に鋭い痛みが走る。断末魔のようなうめき声が喉から漏れた。かすり傷とはいえ、刀身が当たった衝撃で鮮明な痛覚がビリビリと響く。
「レオン様っ!」
「大丈夫……これくらい……!」
必死に声を出しながら、なんとか剣を振りかぶり、その暗殺者を威嚇。デニスが合わせて、別の敵を撃退しようと斬り込む。背後からセシリアが息を呑む音が聞こえるけど、気にしている余裕はまるでない。
デニスの剣さばきが光り、暗殺者の一人が怯んで転倒。もう一人も「チッ……やるな」と声を漏らして距離を取った。俺は腕の痛みを堪えながら息を整え、追撃の構えを取るが、相手が引き際を察したのか、ほぼ同時に合図を出して後退し始める。
「こんなところで時間をかけるな。王太子の命令どおりに……!」
「また後日……仕留める!」
捨て台詞を残して、暗殺者たちは闇の奥へと消えていった。なんとも引き際の早い連中だが、ひとまず命が助かったらしい。俺もデニスも、大きく肩で息をしながら周囲を警戒する。
しばらくして、完全に気配が消えたのを確認すると、俺は腕の傷の痛みに意識が戻り、苦笑まじりに顔をしかめた。
「はは……結構、切り込まれたかも……いってえ……」
「レオン様、しっかりしてください! ああ、血が……!」
「大丈夫、致命傷じゃないはず……。セシリア様は、無事ですか?」
セシリアはまだ少し息を乱しながら、俺のほうを見つめている。その瞳には、戸惑いと困惑、そしてかすかな安堵が入り混じっているように見えた。
「……どうして、助けに来たの? あなたは下級貴族の……レオン・クリフォード、でしたか」
「いや……気づいたら勝手に身体が動いたっていうか……」
ほっと息を吐くのも束の間、デニスが「まずは安全な場所へ」と急かしてくる。ここで長居すれば、暗殺者が戻ってくる可能性だってある。
セシリアも馬車を残しているが、御者も怯えた様子で震えていた。どうやら馬や荷物のことを考えると、すぐに移動は難しそうだ。
「……とにかく、一旦どこかで手当てをしないと。俺も腕が痛いし、セシリア様も危ない」
「ええ、そうですね。今は……ありがとう。でも、その傷が……」
「これくらいどうってことないですよ。ほら、行きましょう。ここにいたらまた襲われる可能性が……!」
デニスがそっと俺の傷を確認しながら、セシリアや御者に「急ぎましょう」と声をかける。こうして俺たちは暗く危険な街道を足早に離れ、まずは今夜をやり過ごせる避難先を探すことになった。
その道中、セシリアがかすかに俺を見て、小さくささやいた言葉――「貴方が夜会で、私をかばった下級貴族……本当に、ありがとう」――が耳に残る。
酔いの勢いだけじゃない、俺の本心が彼女を救おうとしたのだ。助けるべき価値がある、と直感で思ってしまったのだ。夜風が腕の痛みをさらに強めるけど、妙に心は軽い気がする。
そう、俺は彼女を救いたいと思った。それがこれから大きな波紋を生むとしても、今はこの決断を後悔するつもりはなかった。




