第12話 罪状の列挙
楽曲に合わせて貴族たちが談笑する大広間。その空気が突然、ビリッと張り詰めたかのように感じた。
視線を奥へ向けると、王太子フィリップ殿下がゆるりと大広間の中央に歩を進めている。先ほどまではあちこちで交わされていた会話が、まるで潮が引くようにスッと静まった。
俺は胸の奥でざわめく嫌な予感を噛みしめる。酒の酔いがまだ残っているが、それでもこの空気の異変ははっきりとわかった。
「何か、始まるんですかね……」
「わからん。だが、間違いなく穏やかじゃない予感だ」
俺とグレイスが小声で言葉を交わしていると、フィリップ殿下がゆっくりと視線を巡らせ、ついに一人の名前を呼んだ。
「セシリア・ローゼンブルクよ――」
その声は、いつの間にか静まり返っていた大広間の空気を一気に凍らせるかのようだった。周囲の貴族たちは一斉に息を呑む。誰もが耳をそばだて、この“王太子の意向”を聞き逃すまいとしているのが伝わった。
「殿下が……セシリア様の名前を……」
グレイスが緊張して震える声を出す。俺も額に汗がにじむ。王太子がわざわざ名指しするということは、いったい何を――と思う間もなく、フィリップ殿下が続けた。
「貴様が今まで王家を侮辱し、我が名誉を踏みにじり、国家の秩序を乱してきた――その罪の数々、この場で明らかにしてくれる!」
一斉に大広間がざわめく。どよめきというよりは、悲鳴に近い響きも混じっている。セシリアとフィリップの不仲は噂されていたが、ここまで直接的に“罪”を指摘する形になるとは誰も予想していなかったのか。
俺はこの場の変化に呆然としている。だが、何より驚くのは、本人であるセシリアの様子だった。突然こうして糾弾されているのに、まるで微動だにしない。
(どうして……あんなに落ち着いているんだ?)
セシリアは、遠巻きに下がっていく貴族たちを横目に、ただ静かに立っている。時折その瞳を上げ、フィリップ殿下を――否、まるで何か言いたげだが口を結んでいる。
フィリップ殿下の声は続く。しかも、その口ぶりは激しさを増していた。
「セシリア・ローゼンブルク、貴様の傲慢さ、我が家門への不敬、宮廷内での横暴……すべて王族として看過できぬ! 何も語らぬつもりか? ならば、この場にて裁きを行うだけだ!」
周囲の貴族たちは、口々に「王太子がそこまで……」「なにがあったのか……?」と騒然となる。
俺はその一方で、頭が追いつかないままつぶやく。
「こんなの、いきなりすぎる……。王太子殿下が、こんな場所で公開の断罪みたいなことを……」
「レオン様、どうします? わたしたちには関係ないと言えば関係ないですけど……ええと、これ、すごくまずい流れですよね……」
グレイスの声は震えている。俺もそれは同じだ。なにせ、この夜会はただの華やかな社交の場だと思っていたのに、実際は真逆。今や“断罪の舞台”となりつつある。
当のセシリアは口を閉ざして、しかしフィリップ殿下を毅然とした瞳で見上げている。ある意味、その姿勢は怖いくらい堂々としている。周囲の貴族が怖がって一歩後退しているのに、彼女だけは一歩も引かない。
「……あれだけ言われてるのに、反論しないんですかね、セシリア様……」
「わからない。でも、普通こんな場で罪状とか言われたら、狼狽えてもおかしくないはずだろう。彼女、どういう人なんだ……?」
フィリップ殿下はさらに声を張り上げる。まるで大勢の前で、国中に向けて彼女の罪を公表するかのごとく。
「貴様が堂々と黙しているのは、己の過ちを認めるからか。口を開く勇気すらないのか、それとも……ハッ、依然として私を侮辱するつもりか?」
きつい言葉だ。殿下が使う“貴様”という二人称にも、激しい怒りがにじんでいる。
しかしセシリアはほんの一瞬だけまぶたを伏せた。まるで何かを噛み殺しているように。周囲が息を飲む中、彼女は一言も言い返さない。するどい視線のまま、かすかに唇を引き結んでいる。
(これは……どういう状況なんだ? 政治的な陰謀? それとも、殿下とセシリアの私的な問題? わからない……)
貴族たちも大半は呆気に取られて見ている。中にはひそひそ話を交わし、「あのローゼンブルク家が落ちるのか?」「殿下は容赦ないな……」と興味本位にささやく者もいる。
俺はもう何が正しいのか判断もつかず、グレイスと顔を見合わせるばかりだ。セシリアが言われている罪状が実際にどこまで事実なのか、この場で伝わる情報はあまりに曖昧。
ただ、この“告発”によって確実に夜会の空気は崩れ去った。
「レオン様……あの、助けてあげたりできないんですか? セシリア様、あんなに非難されて……」
「ば、馬鹿言うな。王太子殿下に逆らうなんてできるわけないだろ。俺はただの下級貴族だぞ」
「で、でも……あんなの、あんまりじゃ……」
正直、グレイスの気持ちはわかるけど、ここは飛び出すわけにはいかない。俺たちが口を挟んでどうなる? むしろ後ろ盾もない俺が何か言えば、取り返しのつかない事態になるだろう。
ただ、内心はこれでいいのかというモヤモヤが募る。セシリア・ローゼンブルクがどんな人かはよく知らないが、こんな形で公衆の面前で断罪されるのが正しいのだろうか……。
やりきれないまま、俺はその場に立ち尽くし、息を詰めるしかない。殿下とセシリアの静かな戦いが、いよいよ佳境に向かう。そんな不穏な空気が張り詰める中、大広間には誰かが発するわずかな呼吸音だけが響いていた。




