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第100話 崩れゆく光

 ただでさえ混乱を極めていた街が、さらに暗い絶望の底に沈みこんでいくのを感じる。


 火炎と煙、断末魔の叫びがあちこちでこだまし、私はただ、できる限り多くの人を救いたい一心で走り回っていた。助けてと手を伸ばす民衆を必死に外へ導き、泣き叫ぶ声に耳を塞ぎたいのをこらえながら、一瞬でも早く火の手から遠ざける――そんな繰り返し。


「落ち着いて! ここを抜けたら安全な場所よ。急いで、みんな!」


 叫ぶ声がかすれる。煙が喉を焼いてひりひりと痛む。でも、立ち止まってはいられない。そこにいる人たちが生き延びるかどうか、それこそ一秒を争う状況なのだから。


 視界の先では、大きく崩れかけた建物の残骸が赤い炎に包まれ、まるで地獄の門のように揺れている。先程救った子どもと母親はもう避難できただろうか。そう願いながら、瓦礫の隙間を確認し、まだ閉じ込められている人がいないか注意深く探す。


 ――そのとき、不意に背後から激しい金属音が響いた。


「くっ……!」


 気づいた瞬間、レオンのうめき声が耳を突き抜ける。鼓動が一気に速くなる。こんな混乱の中で、やっと見つけた大切な人の声。振り返ると、彼が複数の襲撃犯を相手に必死で立ち回っているのが見えた。


 遠くで見かけたときより敵が増えている。火炎瓶の爆音に紛れて続々と集結したのだろうか。真紅の炎に照らされながら、レオンの剣が閃き、何とか敵の攻撃をいなしながら、なおも民衆を逃がそうとしている姿が見えた。


「レオン……!」


 名前を呼びながら駆け寄る。目の端には、斬り倒された襲撃犯が何人か転がっていて、彼らの数は想像以上に多い。この市街地にどれだけ入り込んでいるのか――想像するだけで息が詰まりそうになる。


 彼が私の声に気づき、ちらりと視線を向ける。そこにはほのかな安堵が混じっていて、ほんの一瞬だけ柔らかな笑みが浮かんだ。


「セシリア、大丈夫か……! けがは……」


 そう言いかけたレオンの剣の切っ先を狙い、さらに別の襲撃犯が遠巻きに弓を引き絞っている姿が見える。嫌な予感が走る。


 私の脳裏を電撃のように走る悪寒――まさか、遠距離攻撃で。いけない、あの矢はレオンを狙っている! そう思った瞬間には、私は咄嗟(とっさ)に叫んでいた。


「レオン、矢が……!」


 しかし、私の叫びと同時に、狙いを定めた弓兵がこちらへ向けて鋭い矢を放つ。空気を切り裂く音がして、まるで時間がスローモーションになるかのように感じた。


 予想に反して、その矢は私の胸元を正確に射貫こうとまっすぐ飛んできていた――レオンへの狙いかと思った矢は、わずかに修正されて私を標的にしていたのだ。


「――っ!」


 避ける暇もなく、息が凍りそうになる。私はただ矢の軌道を視界に捉えたまま動けなかった。まるで無数の悲鳴が頭の中で鳴り響くような感覚。恐怖で足がすくんだ瞬間、その隣にいたはずのレオンが私の方へ飛び込んできて――。


 ズシャッ……と嫌な音がした。


 私の体は何も衝撃を受けていない。代わりに、レオンが私の真横で崩れるように膝をついた。胸元には、矢が深々と突き刺さっているのが見える。あまりに鋭く入り込んだその矢は、彼の身体を貫いてしまったのだと悟った瞬間、視界がグラリと揺れた。


「……レオン?」


 血が、地面にポタポタと落ちていく。何が起きたのか、頭の中でうまく処理できない。さっきまで確かに彼は剣を振るい、私を守ってくれる存在だったのに。


 レオンは声にならない息を吐き、かすれた声で「大丈夫……か……」と口を動かす。けれど、そのまま地面に倒れ込むように体勢を崩していく。


「嘘、嘘でしょう……!? やだ……こんなの、嫌……!」


 私は崩れる彼を必死に抱きとめ、血で染まったその胸元を押さえながら叫んだ。痛々しい傷口からあふれる血液が、私の手をどんどん染めていく。まるで止まる気配がない。


「何で、どうして……あなたは……!」


 頭の中が真っ白になり、心臓が締めつけられる。この人は何度も私を助けてくれた、大切な人。革命をともに乗り越え、やっと平和を築き始めたばかりなのに――どうしてこんなことに。


 レオンは苦痛に耐えながらも、浅い呼吸で一言ずつ言葉を紡ごうとしている。握った彼の手が冷たくなっていくような感覚に、私は耐えきれず声を上げそうになる。


「セシリア……ごめん。君を……守れて……よかった……」


 うわごとのような声が私の耳に届く。彼の瞳が揺らぎ、視線が焦点を失いかけている。私は両手で彼の顔を支え、必死に呼びかけた。


「守って……くれてるどころじゃないわよ。こんな、こんな大怪我……お願い、やめて。そんな笑わないで……っ!」


 まるで笑みのようにかすかに唇を歪めるレオン。それは私を安心させようとするいつもの優しさだと分かる。だけど、そんな優しさいらないから、死なないで――そう言いたいのに、声が震えて言葉にならない。


 矢は深く胸を貫き、血がとめどなく溢れている。どう考えても致命傷。理屈では分かっているのに、私は受け入れられない現実に抗うように、必死に手で抑え続ける。


「しっかりして、レオン! 今すぐ治療を……誰か、医者を呼んで! ……お願い、動かないで、死なないで!」


 周囲の兵や市民が悲鳴を上げながら遠巻きに見守っている。誰もが衝撃で動けない様子が伝わってくる。この混乱の中では、すぐに医者が来られるわけがない。私の叫びはただ虚空に消えていくだけだ。


 レオンの胸が大きく上下しては、苦しそうに血の泡を吐く。彼の唇がかすかに震え、最後の力を振り絞るように口を開いた。


「セシリア……愛してる。君は……幸せに……なるんだ……」


 言葉が、耳を突き刺してくる。熱い涙が止めどなく頬を伝い、私は必死に首を横に振る。


「そんなこと、言わないで……一緒に幸せになるって、約束したじゃない。子どもができたら二人で育てようって、そう言ったじゃない……!」


 私の声は震え、涙と嗚咽にかき消されそうになる。いつも強くて、まっすぐなレオンがこんなに弱々しい声を出すなんて、信じられない。受け入れられない。


「頼むから、行かないで……レオン……! 嘘だって言って……!」


 彼の目にはもう焦点がない。それでも最後の力か、かすかに手を上げて私の頬に触れようとする。その手が空を掻くように揺れるのを、私は必死に包み込む。


「――な、泣かないで。セシリア……ほら、君には……国を……守らないと……」


 途切れ途切れの声が私の胸をえぐるように沁み込む。こんな時にまで、国や私のことを気遣うなんて、何て馬鹿な人――でも、そんな馬鹿が愛しくてたまらない。


 私は震える唇をかみしめ、何度も彼の名前を呼ぶ。けれど、レオンの目からは光が薄れていくばかり。周囲の喧騒と炎の熱気が遠のいて、頭の中が真っ白になる。


「嫌……嫌よ……! 死なないで、死なないで……!」


 懇願する声を出しても、もう彼には届かないかのように意識が途絶えかかっている。血塗れの胸にすがりつき、私は神様なんて信じたこともなかったのに、この瞬間だけは何でもいいから救ってと祈りたい。


「セシリア……愛してる、幸せにな……」


 最期の一言とともに、レオンの体から力が抜ける。熱かったはずの身体が、急速に冷たくなっていくのが分かる。呼吸音はもう聞こえない。瞳は深く閉じられたままで、返事もなく、動かなくなった。


 嘘だ。嘘に決まってる。これは悪い夢なんだ。こんな形で終わるわけがない。でも、私の腕の中で、彼はもう息をしていない――それを認めたくないのに、心臓が壊れてしまいそうなほど痛みが襲ってくる。


「レオン……レオン……! ねぇ、嘘でしょう? こんなの……こんなの、あり得ない……起きてよ……!」


 私は必死に彼の名を呼び、揺すぶるが、答えはない。涙が滝のように溢れて視界がぼやける。こんな結末、誰が望んだというの。


 炎はなお燃え盛り、あちこちで絶望の叫びが続いている。でも、私にはもう何も見えない。何も聞こえない。目の前にいる大切な人が息絶えたその事実が、すべてを奪っていく。


「いや……嫌ぁっ……! レオン……お願い、返事してよ……!」


 叫んでも叫んでも、返ってくるのは冷たい沈黙だけ。私は血まみれの地面に座り込んだまま、彼の体を抱きしめ、崩れ落ちそうな心を必死に繋ぎとめようとする。顔を上げれば、市民たちが痛ましい表情でこちらを見ている。誰もが衝撃で動けない。


 火炎が荒れ狂う街のなか、私はレオンの亡骸を抱えながら絶叫する。薄暗い煙に巻かれて、もう何もかもがどうでもよくなる。守りたかった国、家族を夢見ていた未来、その中心にいた愛する人が、私の目の前で、もう二度と笑えなくなってしまった――そんな現実を、受け入れられるわけがない。


「ねえ……やだ……死なないでよ……っ、レオンっ……!!」


 振り向けば、多くの兵や市民が遠巻きに様子をうかがい、誰もが涙を浮かべているのが分かる。でも、そんなことどうでもいい。私は頭を抱え込み、レオンの名前を繰り返し叫び、ただ涙を流すだけ。


 時間の感覚もないまま、私はその場に崩れ落ちるように膝をつき、レオンの体を離さない。彼を救えなかった、守れなかった――その現実に押し潰されそうだ。後悔と絶望で、体の奥が寒くなる。どうして、どうして。なぜこんなにも脆く、大切なものは壊れてしまうの。


「……嘘、嘘よ……何で……どうしてよ……」


 苦しげに言葉を震わせても、彼はもう何も答えない。あんなに素敵な笑顔で「大丈夫だ」って言ってくれたばかりなのに、どうしてこんな短い時間で生き絶えてしまうのか。


 世界から音が消えたような感覚に陥る。炎の熱も、周囲の悲鳴も遠くなり、私の耳にはただ自分の心臓の鼓動だけが響いている。全身が鉛のように重く、立ち上がる気力もない。


 ああ、このまま一緒に死んでしまいたい――そんな思いがふと脳裏をよぎる。でも、彼が守ってくれた命を簡単に捨てるわけにはいかない。そうわかっていても、胸が張り裂けそうだ。


「あなたがいなくなったら……わたしは、どうしたらいいの……」


 ポロポロと涙がとまらない。立ち尽くす兵士や市民に構う余裕すらなく、私はただレオンを抱きしめ続ける。焼け焦げた空気が息苦しいのに、どうしてか冷たい風が吹き抜けるように感じる。


 ――こうして、私の最愛の人は、私の目の前で息を引き取った。


 まだ燃え上がる炎の向こうで、旧貴族派の襲撃は完全に収まったわけではないのかもしれない。それでも私には何も見えない。何も聞こえない。彼の命が失われた事実だけが、すべてを奪ってしまった。


「レオン……返事して、レオン……!」


 泣き叫ぶ声が空しく響き、私は絶望の底へ沈んでいく。このまま、心が壊れてしまいそう。守りたかった未来も国も、今はどうでもいい。彼が生きていてくれないなら、何のための革命だったのか――そんな疑問が頭を巡って苦しみをさらに深める。


 炎の光がレオンの血を、私の涙を妖しく照らす中、私は世界の終わりを味わった。戦乱から救われたはずの街はまた血塗られ、私の幸福は彼とともに消え去った。


「お願い……消えないで……嘘だと言って……っ」


 どれほど涙を流しても、どれほど叫んでも、レオンはもう目を開けない。私は闇の底へ落ちていく悲鳴を殺し切れず、震える声で彼の名を呼び続けるしかなかった。


 こうして革命の英雄、レオン・クリフォードは、私の腕の中でその人生を終える――耳を引き裂くような私の絶叫と、燃えさかる炎だけを残して。

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