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第1話 断罪の夜

 きらびやかな光を宿した大広間――まぶしすぎるシャンデリア、華麗な衣装の貴族たち、そして鼻をくすぐる甘やかな香り。ここは王太子フィリップ殿下が主催する夜会の場。正直、俺には場違いとしか思えない華やかさだ。


 貴族の礼儀作法なんて、クリフォード領の田舎ではほとんど習わなかった。招待状を受け取ったときも驚いたが、この光景はその想像を軽く超えてきやがる。俺は「レオン・クリフォード」。地方の下級貴族の跡継ぎだ。


「おいおい……すごい人だかりだな。王都の貴族って、こんなにも多いのか?」


 思わず小声で漏らしながら、テーブルに並んだグラスへ手を伸ばす。緊張をまぎらわせるために、つい酒をあおってしまうのは悪いクセだとわかっている。しかし、今はその悪癖がないとやっていられないほどの圧迫感がある。


 周囲の貴族たちは華やかなドレスやタキシードに身を包み、上品ぶった笑顔で社交に勤しんでいる。誰もかれもが優雅にふるまい、まるで演劇の舞台を見ているみたいだ。俺みたいな下級貴族の若造は、端で大人しくしているのが関の山。そう思っていた――つい先ほどまでは。


「静粛に!」


 張り詰めた声が大広間に響き渡った。ざわついていた人々の視線が一斉に、中央へ集まる。そこには、王太子フィリップ殿下の姿。そして、その隣にいるのは……。


(なんて、美しい人なんだ)


 ふと目に留まったのは、銀色の髪と透き通るような肌を持つ高貴な令嬢。その凜とした横顔に、思わず息を呑んだ。彼女がセシリア・ローゼンブルク。フィリップ殿下の婚約者として名高い、高位貴族の令嬢……だったはずだ。


「セシリア・ローゼンブルクよ」


 フィリップ殿下が彼女の名を呼び、冷ややかに告げる。


「本日をもって、貴様との婚約は破棄だ。さらには、家名も特権もすべて剝奪する。二度と王宮へ足を踏み入れることを許さぬ!」


 その言葉に、大広間のあちこちから悲鳴やどよめきが上がった。婚約破棄どころか、あらゆる権利を奪うという宣言だ。何か重大な罪でも犯したのか? それにしても、突拍子もなさすぎる。


「なっ……!? フィリップ殿下、それはさすがに……」


 周囲の貴族も止めどなくささやき合う。しかし、セシリア本人は動じる気配を見せなかった。むしろ、きりりと顎を引き、凜々しく殿下を見据えている。その姿はまるで、宝石のようにきらめく。俺はその毅然さに引き寄せられるような感覚を覚えた。


「殿下、いったい、セシリア様にどのような(とが)があると仰るのですか!」


 どこかの伯爵らしき男が声を張り上げたが、フィリップ殿下は眉ひとつ動かさない。


(とが)? この女が、どれほど我が名誉を踏みにじり、王家を侮辱してきたか……今さら語るまでもない。貴様らも内心わかっているだろう。セシリア・ローゼンブルクは、高位貴族の地位を傘に好き勝手振る舞ってきた。もうこれ以上、我慢はできん」

「……はっ、王家を侮辱? 私が、ですか」


 ついに口を開いたセシリアの声は、思いのほか落ち着いていた。冷やかな視線を向ける彼女の姿に、大勢の貴族が息を呑む。俺も――その場違いな雰囲気を忘れるほど、その瞳に釘付けになった。


(なんなんだ……この気高い雰囲気は)


 叩きつけられた断罪にも、微動だにしない。周囲の視線をすべて受け止め、なおも優雅に立つその姿……まるで孤独を恐れぬ女王のようだった。


「セシリア・ローゼンブルク、今この場をもって、貴様は王都より追放だ。自らの行いを恥じ、今後いかなる爵位も称号も名乗ることは許さぬ」


 フィリップ殿下が一方的に言い放つと、セシリアはほんのわずかにまぶたを伏せた。だが、その表情には惨めさや哀れさはない。ただ、周囲の貴族たちが彼女を憐れむ視線を送るばかりだ。


(理不尽すぎる。……というか、なぜこんな場で唐突に)


 俺は、さすがに腹のあたりに得体の知れない怒りが湧き上がった。もっとも、その感情は、本来であれば俺みたいな下級貴族が口に出していいものではない。ましてや相手は王太子。普通なら絶対に逆らえない。


 だが。


「殿下、それはあんまりじゃありませんか!」


 気がついたら、俺の口が勝手に叫んでいた。飲みすぎた酒のせいか、頭が熱くなっている。まずい、やってしまった……。


「……貴様は何者だ?」


 フィリップ殿下の冷たい視線が突き刺さる。大広間は、一瞬で静まり返った。背筋に寒気が走るが、一度声を出してしまった以上、引き下がれない。


「お、俺は……レオン・クリフォードと申します。地方の下級貴族の身で、決して偉そうなことを言える立場ではありません。ですが……これはあまりにも理不尽では。セシリア様に具体的な罪状も示さず、この場で全てを奪うなんて……っ」


 震える声と鼓動が頭に響く。思いきり無謀な行為をしていると、自分でもわかっている。けれど、セシリアの姿を見ていたら、どうしても黙っていられなかった。


「――無礼者が。貴様ごとき下級貴族が、王太子に口を挟むか」


 フィリップ殿下の声音は、まるで鋭いナイフのようだ。もう取り返しがつかない。周囲の貴族がドン引きした表情でこっちを見てくる。


(しまった……どうする、こんなの、俺が逆らえる相手じゃ……)


「……なるほど。田舎者の酔狂とは恐ろしいものだな」


 殿下が薄く笑う。えらいことになった。完全に敵に回した――そんな焦りと後悔が混じった感情が、耳鳴りのように脳内をかき乱す。


 そのとき、ちらりと視線をこちらへ向けたのはセシリア・ローゼンブルクだった。何か言いたげに口を開こうとするが、言葉を飲み込んだのか、そっとまつげを伏せる。


 なぜ、俺はこんな無茶を。自分でもわからない。ただ、彼女の孤高な姿に――放っておけない、と感じたのだ。


「――この夜が、すべての始まりだった」


 俺の胸には、不思議な確信が生まれていた。あまりにも突拍子もない行動を起こしてしまった俺。そして、断罪されるセシリア。


 まるで劇のクライマックスのように騒然とした夜会の真ん中で、俺は自分の人生が大きく歪んだ瞬間を、否応なく実感することになる。

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