09 背の高い隠密さん
◇
メリーは可愛い産着に見向きもせず、トラが呼吸法を練習しようと言っても動かない。積み上げたクッションにもたれて、一日中ベッドに座っていた。
ある夜、床で寝ていたマリオンはふと目を覚ました。いつも以上に小屋が揺れ動いている。ピシピシと鳴る天井を見上げると、メリーが梁にかけた縄で首を括ろうとしていた。
「メリー!」
次の瞬間、トラがクナイで縄を斬った。マリオンは落ちるメリーをしっかりと受け止めた。3人一緒の部屋で寝ていて良かった。
「何で邪魔するのよ…死なせてよ。私のこと、嫌いなくせに!」
メリーは身を捩って叫んだ。本気じゃない。本当に死にたいなら、昼間、1人の時にする。マリオンは優しく抱きしめたまま訊いた。
「嫌いじゃないよ。何が怖いの?何を心配してるの?」
「出産で死ぬかも。赤ちゃんも」
「大丈夫。死なせたこと、無い」
トラが保証した。
「クレイプ国で石を投げられるわ。王子を誑かしたって」
それは絶対に無い。マリオンはクレイプ人がいかに温和で優しい人々かを教えた。
「乳兄妹のアンリを訪ねて。保護してくれるから。母にも紹介状を書くよ。君はセンスが良いから、侍女になったらすぐ出世するよ。あ、言っておくけど、皇宮の100分の1ぐらいの城だからね。小さいって驚かないで」
みるみるメリーの目から涙が溢れてきた。
「何でそこまでするのよ。私のせいで鞭打たれたのに」
「分からない。多分、赤ちゃんが見てみたいんだ」
自分の子供にはきっと会えないから。マリオンはしょんぼりと微笑んだ。
◆
メリー・ショコラが女児を産んだ。それを知ったヴィクターは、ある晩、外宮の小屋をこっそりと訪ねた。すると、音波笛を吹く前に隠密が現れ、跪いた。
「殿下。たった今、マリオン王子が我らを呼びました」
「何?」
「周囲に不審な者はおりません。如何いたしますか?」
隠密に何か頼みがあるのだろう。ヴィクターは少し考えて、覆面とマントを貸すよう命じた。それを身につけて小屋の庭にまわり、赤子を抱いて佇むマリオンに声をかけた。
「何の用だ」
「お願いがあります。来週、メリーとこの子を護衛していただけますか?東皇宮門を出るまでで結構です」
変装した皇太子だとは気付かずに、マリオンは頭を下げた。
「襲われる可能性があります。外宮と門の間だけで良いんです。外に隊商がいますから」
「何故そこまでする?自分の子でもないのに」
不思議に思って訊くと、彼は眠る赤子を見つめた。思った通り、燃えるような赤毛だ。
「…私は何の取り柄もない人間です。一生、子を持つことはないと思いますが、この子を生かすことができたら、私にも価値があった、そんな気がするんです」
違う。遠い異国で人質となりながらも、他者を救わんとしている。真に気高い人間だ。だがヴィクターは言葉を飲み込みんだ。
「護衛の件、承知した。笛を吹けば来る」
「ありがとうございます」
立ち去ろうとすると、マリオンが引き留めた。
「待ってください。皇太子殿下は、お元気でいらっしゃいますか?」
ヴィクターは驚いて振り向いた。月光を浴びた玲瓏な姿が絵画のように美しい。
「会いたいのか?」
「そんな、恐れ多い」
マリオンは一礼して小屋に戻った。その頬を伝う一粒の涙に、ヴィクターは非常に満足した。
◇
メリーと赤子は無事にクレイプ国へと旅立った。産婆をしてくれたトラも去り、マリオンはまた一人暮らしに戻った。一気に同居人が消えた部屋が広く感じられる。寂しさを紛らわすためにハンカチに刺繍をして、お世話になった女性職員達に贈った。
「あら嬉しい。珍しい模様だね」
「クレイプ模様と言います。文字を草花で表現するんですよ」
「へえ。ありがとう。自慢できるわー」
しかし一通り配り終えると、やることが無くなった。食料は定期的に届くから仕事に行かなくても良い。コナー卿に返しそびれていた本を読んだり、庭に花壇を作って暇を潰していたが、誰とも話さない日常に鬱々としてきた。
「舐めてんのか?テメェ」
笛を吹いたら前回とは違う隠密さんが来た。覆面で顔が見えないが、怒っている雰囲気だ。
「気安く呼ぶんじゃねぇ。クソが。暇そうに見えて忙しいんだよ!」
「すみません。他にお願いできる方がいなくて。あの、外宮で私にもできそうな仕事はないでしょうか?」
マリオンは希望を伝えた。庭仕事は体力的にきつい。できれば室内の仕事で、夜は小屋に帰れるとありがたい。それを聞いた隠密さんは、
「贅沢言いやがって。…ちょっと待ってろ」
と言って消えた。そして翌日、縫殿部の修繕課を紹介してくれた。
◇
マリオンは皇宮で働く人々の衣服を繕う仕事を始めた。圧倒的に女性が多い。男として紹介されたので、最初は珍獣のような扱いだったが、段々と普通に話せるようになった。
庭仕事より疲れないせいか、眠りが浅くなった。ある晩、目が冴えて庭へ散歩に出たら、隠密さんが立っていた。
(どの隠密さんかな?誰でも良いか)
マリオンは丁寧に礼を言った。
「いつぞやは、良い仕事を紹介していただいて。ありがとうございました」
「いや。礼には及ばない」
落ち着いた素敵な声の、別の隠密さんだった。マリオンより少し背が高い。
「もしかして、護衛をお願いした時の方ですか?」
「そうだ」
「その節は、大変お世話になりました。無事に送り出せました」
隠密さんは首を振った。そして懐から本を一冊取り出してマリオンに渡した。
「今あるのには飽きただろう」
難しそうな分厚い本だ。彼女は喜んで受け取り、コナー卿に返してくれると言うので、薄い本を隠密さんに渡した。
「とても感動しました。『竜王』と『番』の少年が結ばれて良かったです。とお伝えください」
「…分かった」
それから度々、背の高いの隠密さんは本を届けてくれた。時にはマリオンが理解できない箇所を教えてくれた。いつしか、深夜の散歩が楽しみになっていた。