05 太公の嫌がらせ
◇
ドアマンの仕事の合間にヴィクター殿下のツボを押す日々が続いた。マリオンは今日も笑顔で客人を迎えていたが、珍しく貴族に話しかけられた。
「君が噂のマリオン王子?」
後ろで警護兵が困った顔をしているから、先触れ無しのお客様のようだ。立派な貴族服を着た金髪のお美しい男性で、沢山のお供を連れている。
「いらっしゃいませ」
マリオンは丁寧に頭を下げた。そこへ執事長が小走りにやって来て、
「これはダロワイユ太公閣下。皇太子殿下は間も無くお帰りです。中でお待ちください」
と、深々とお辞儀をした。なんと皇弟殿下であらせられた。マリオンは慌てて、再度腰を曲げた。
「良い。通りがかっただけだから」
太公閣下はマリオンの顎を人差し指で持ち上げ、繁々と顔を眺めた。そして勧誘をしてきた。
「ドアの前に立たせたら映えるね。僕の屋敷に来ない?ここの倍、出すよ」
「身に余るお言葉ですが、私は人質でございます。皇宮を離れることは難しいかと」
婉曲にお断り申し上げると、閣下は顔を顰めた。
「逆らうの?たかが男妾の分際で?おい、ピエール!」
お供の赤い髪の大男が、唐突にマリオンの腹を殴った。華奢な体は吹っ飛んだ。
「!!」
取り巻き達は、倒れ伏した獲物が血を吐くまで蹴り続けた。あまりに理不尽な暴力から、マリオンは必死に頭を守った。
「止められよ!」
誰かが、サッと早技のようにマリオンを救い上げた。腫れた瞼の間から、細い目の男が見える。
「何者だ?」
「マリオン殿の友だ。貴公ら、卑怯だぞ。たった一人を寄ってたかって!」
アオキだ。彼は威厳ある声で太公閣下に言った。
「お引きあれ。誇りあるゴダイバ皇族のなさりようとは思えませんぞ」
「…フジヤマ国のサムライか」
「いかにも」
一行が立ち去る気配がする。マリオンの意識はそこで途切れた。
◇
目が覚めると小屋の天井が見えた。手当てをして、ベッドに寝かされている。マリオンは驚いてガバッと起き上がった。
「痛っ!」
たちまち全身に痛みが走る。呻いていると、アオキが部屋に入ってきた。
「まだ動くな。恐らく肋骨にヒビが入った。喋るのも辛かろう」
「…」
彼はそっとマリオンを横にして上掛けをかけてくれた。後ろに黒づくめの服を着た女性が桶を持って立っている。
「このトラが手当てをした。男のふりをしていたのだろう?大丈夫だ。他の誰も知らぬ」
それを聞いて安心したマリオンは、今頃になってガタガタと震え出した。
「ちょうどマリオン殿を訪ねてみようと思ってな。間に合って良かった」
「ありがとうございます…本当に助かりました」
話すと胸が痛むが、彼女は2人に礼を言った。トラと言う女は濡らした布を怪我人の額に乗せた。
「もう黙って。熱が出てきた。安心して。治るまで、私がお世話する」
マリオンは再び目を閉じて眠った。誰かが側にいてくれる。それが嬉しかった。
◆
ヴィクターの前には、宮の警護兵が伏して許しを乞うていた。ダロワイユ太公の狼藉を止められなかったそうだ。
太公の嫌がらせは今更だ。しかし、マリオンが怪我をした。警護兵の罪はその重さに比例するが、どの程度の怪我なのか、フジヤマ人が彼を連れて帰ったので分からない。
「殿下。アオキという者がお目通りしたいと」
執事が恐る恐る声をかけてきた。先ほどから側近達も無言だ。
「通せ」
許可をすると、1人のサムライが来た。彼は這いつくばる警護兵を冷たい目で見た。
「お初お目にかかります。フジヤマ国サムライ大将、アオキ・コシロウ・サダハルと申します。して、この惰弱なる奴輩は、何故今だに生きているのでしょう?」
「死ねと?」
驚いて訊くと、アオキは頷いた。サムライは一撃で100人を倒すと言う。マスタークラスなら千人でかかっても勝てない。それが恐ろしいほどの殺気を放ち、警護兵を罵倒した。
「一方的な私刑を傍観したな。呆れた腑抜け共よ。腹を切れ!」
「まあまあ。太公閣下は一応皇族です。逆らえないんですよ。それで?マリオン君は目覚めましたか?」
コージィが硬直した兵とサムライの間に割って入り、怪我の具合を尋ねた。
「ああ。だが危ないところだった。恐らく肋骨と内臓がやられている。顔も腫れて、とても人前に出られぬ。暫く休ませてほしい。ついては、某の部下に手当てをさせる故、許可をいただきたい」
ヴィクターは話が違うと思った。目撃者達は、マリオンの負傷を過小に報告していた。
「ではこちらで預かります。急ぎ宮廷医に手当てを…」
アオキはコージィの言葉を遮った。
「いや。失礼だが、帝国人は信じられぬ。また太公とやらが来たらどうする。逆らえぬのだろう?」
「…」
皇太子は、サムライに介護人を下宮に出入りさせる許可を与えた。警護兵は謹慎と減俸、降格処分とした。
◆
ダロワイユ太公は皇帝陛下の弟、ヴィクターの叔父にあたる。何かと嫌がらせをしてくる俗物だ。本気で仕掛けてこない限り、排除しないつもりだったが。
夜更け。ヴィクターは自室の壁の中にある抜け道に入った。真っ暗な通路を暫く歩き、外に出ると、音波笛を鳴らす。すぐに潜んでいた隠密が駆けつけてきた。
「御用ですか?」
「マリオンの住まいへ案内せよ」
「こちらです」
隠密は庭園の裏にある小屋へ主人を連れて行った。雑草の生い茂る庭に足を踏み入れた途端、すうっと白い髪の男が現れた。右手で剣の柄を握り、赤い目でこちらを睨んでいる。
「様子を見に来た。少しで良い」
「…」
貴族にも臆さない。良い護衛だ。男はヴィクターに背を向け、闇に消えた。すぐにランプを持った介護人らしき女が小屋から出てきた。
「マリオンは?」
女は無言で寝室に先導した。ベッドに横たわるマリオンは、苦しそうに喘いでいる。美しい顔は包帯で巻かれて半分も見えていない。手足も腫れ上がっていた。
「具合は?」
「熱が出た。数日続くだろう」
黒髪の女は簡単な帝国語で答えた。
「何か要る物は」
「無い。アオキ様が全て揃えた」
それから度々、ヴィクターは密かに小屋を訪れた。しかしマリオンの寝顔を見るだけで帰った。