03 涙の別れ
◇
半年が経ち、少しづつ皇宮の構造が分かってきた。マリオンが住む小屋は外宮と呼ばれる一番外側の建物群の裏にある。広すぎて歩いて移動はできない。貴族や官僚達は皆、馬車で行き来していた。
「おい!客だぞ」
花壇の雑草を抜いていると、親方が声をかけてきた。マリオンは立ち上がって振り向いた。後方に馬車が止まっている。そのドアが開き、貴族の男が降りてきた。
「マリオン!」
貴族は駆け寄ってきた。マリオンは目を見開いた。クレイプ国の騎士で乳兄妹のアンリ・シャルパンティア卿だった。
「…」
棒のように固まる彼女を、アンリは驚愕の表情で見つめた。親方が30分の休憩をくれた。正気に返ったマリオンは、雑草が詰まった麻袋を担いで、彼を静かな場所に案内した。
◇
「お久しぶりです、シャルパンティア卿。お変わりありませんか?私はこの通り、とても元気です。陛下や王妃殿下、王太子殿下にもそうお伝えください」
井戸で顔と手を洗うと、マリオンは改めて挨拶を述べた。久しぶりの母国語で少しぎこちない。アンリは凛々しく美しい顔を歪め、声を荒げた。
「何を言う!これは一体どういう事だ!マリオン!」
乙女の宮にマリオン姫はいなかった。モロゾフ伯爵は病気療養で領地に戻っており、後任のモック男爵を探し出すまでに3日かかった。マリオン“王子”がここにいると聞いて、やってきたそうだ。
「なぜ男のふりをしている?庭仕事などしている?」
マリオンは今までの経緯を説明した。アオキから聞いた人質の生活費を教えると、アンリも顔色を変えた。
「年600億イエン…」
彼は拳を握りしめた。その手を取って慰めたい。でも今の荒れた手では、できない。
「無理にお金を送ろうとしないように。このまま、ひっそりと息を潜めてやり過ごすのです。…もう、仕事に戻らないと」
あっという間に休憩時間は終わった。マリオンはアンリを馬車まで送りながら、無理に笑顔を作って言った。
「お子さん、生まれたんでしょう?おめでとう。次はもっと幸せな話を聞かせてください」
アンリは建物の影でマリオンを抱きしめた。綺麗な服が汚れてしまう。離れようとしたが凄い力で動けない。震える声で彼は言った。
「お前一人をこんな所に置いて、俺だけ幸せでいろと?」
それを聞いたら、もう涙が抑えられなかった。共に育った乳兄妹だ。マリオンがどれほど弱く、意気地が無いかを知っている。それでも置いていかねばならない。
「大丈夫。絶対、生き延びる…離してよ。馬鹿アンリ。骨が折れるじゃない」
昔の口調で言うと、ようやくアンリは腕を緩めた。マリオンは彼の馬車が見えなくなるまで見送った。
◆
窓の外で、白金の髪の青年と黒髪の逞しい貴族が抱き合っている。それをヴィクター皇子は偶然目に留めた。美しい。思わず立ち止まって眺めてしまった。後ろから側近のコージィが覗き込んだ。
「あらま。殿方同士なんて珍しい…うわぁ!凄い美形!誰?」
コージィは興奮して窓に貼りついた。側近の筆頭である才媛だが、相変わらず腐っている。たまたま付き従っていた、モック男爵が二人の正体を知っていた。
「細い方はクレイプ王国の王子です。少し前に人質として受け入れました。相手はそこの騎士で、確かシャルパンティア卿とか。今朝、王子に面会をしたいと申し出てきました」
騎士は馬車に乗って去って行った。見送る白金の髪の王子は、涙を袖で拭った。潤んだペリドットの瞳が気品に満ちている。彼は華奢な体に大きなゴミ袋を背負い、どこかに行ってしまった。
「なぜ、人質が働いている?」
ヴィクターは不思議に思って訊いたが、モック男爵は詳細を知らなかった。
「きっと継母に疎まれて人質に出されたのね。黒髪の美形は幼馴染だわ〜」
コージィの妄想が始まった。彼女は白金の髪の王子が気に入ったようで、数日後、下宮の庭から皇太子宮へ配置転換願いが出されていた。ヴィクターは何となく許可した。
◇
マリオンは急に皇太子宮に異動になった。仕事はドアマンだ。大きな扉の前に立ち、たまに出入りする人がいたら開け閉めするだけ。ものすごく楽で驚いた。しかも交代制で今までよりずっと早く小屋に帰れる。
「運が向いてきたみたいです。こうして刺繍をする余裕もあるし」
マリオンは針を動かしながら幽霊に話しかけた。見えない同居人はピシピシと柱を鳴らして答える。「良かったね」と言っているようだ。
「今日は皇太子殿下をお見かけしましたけど、それはご立派な様子でした。お帰りなさいませって言ったら、頷いてくださって」
ヴィクター殿下は黒髪黒眼の美男子だ。マリオンよりも背が高く、それでいてしっかりと筋肉がついている。前髪をアップにした知的なお顔に、眼鏡が良くお似合いだった。
「オーラが凄いんですよ。従う側近の方々も煌びやかで、もう、神って感じです」
神に仕える20年ならば楽しいような気がしてきた。たまにアンリに会えたら、なお良い。マリオンはささやかな希望を持ち始めた。