19 毒も効かない程の悲しみ
◇
殿下が去った後、マリオンは気を失った。目が覚めると、天蓋付きの大きなベッドに寝かされている。彼女はサイドテーブルの上にあったベルを鳴らして人を呼んだ。すぐに侍女が来た。
「お目覚めですか」
「ここは?」
「乙女の宮でございます。ただいま湯浴みの支度を」
侍女はさっさと出ていってしまった。マリオンはベッドから下りた。ピンクを基調とした家具が揃っている。下を見たら、やはりピンクの寝衣に着替えていた。
(そうだ。殿下)
マリオンは思い出した。お怒りだった。見るのも穢らわしいとお背中が言っていた。もう二度とあの輝かしいお方に仕える事はできない。その事実があまりにも辛く、涙が後から後から出てきた。
「湯浴みをどうぞ」
侍女が風呂場に案内してくれた。金の猫脚がついた素敵なバスタブに湯が張られている。良い香りの石鹸も洗髪料もあった。こんなちゃんとした風呂は久しぶりだったが、マリオンの心は全く浮き立たなかった。
「お食事です」
湯浴みを済ませて髪を拭き、用意された食事をいただいた。砂を噛むように味がしない。結局、水以外は残してしまった。そしてまたベッドに潜り込み、しくしくと泣いた。
◇
その翌日にはアンリが訪ねて来てくれたので、侍女に頼んでお茶を用意してもらった。
「不味いな。安い茶だ」
彼は一口飲んで顔を顰めた。マリオンは今、味覚がおかしいので分からない。
「きっとお茶は贅沢品で自分持ちなのよ」
「あと1週間ほどの辛抱だ。俺は帰国の準備で暫く来られないが、大丈夫か?」
「うん」
小屋に残した荷物を取って来るようお願いして、アンリを見送った。
起きていると鬱々とするので、マリオンは寝てばかりいた。時折、侍女が食事を運んでくれるが手をつけなかった。
1週間をぼんやりと過ごして、またアンリが来た。もう帰国の日だったかしら。マリオンは慌てて服を着て応接室に行った。そこには煌びやかな騎士服を着たアンリと立派なキモノを着たアオキがいた。
「マリオン?何だその格好は?」
アンリが驚いたように言った。
「え?帰るんじゃ…」
「今日はシャトレー族の歓迎式典だ。お前も呼ばれているぞ」
そうだっけ。マリオンは上手く回らない頭で思い出そうとした。
「どのみち服が無いし。私は欠席するわ…」
「…」
アオキが急に寝室のドアを開けた。そんな無礼な事をする人じゃないのに、彼はズカズカと踏み込んで、テーブルの上の冷えた食事の匂いを嗅いだ。そしてこちらを向いて頷いた。
「マリオン!毒だ!」
血相を変えたアンリが叫んだ。
◆
皇宮の最も大きな広間でシャトレー族を歓迎する式典が始まった。ヴィクターはスピーチの後、族長を紹介してから席に戻った。多くの出席者に目を走らせるが、求める顔は無い。
「なんや。アオキ達はおらんがか。会える思うて楽しみやったのに」
挨拶を終えた族長が残念そうに言った。そう言えば、帰りの旅の間、族長はマスター達と毎晩のように酒盛りをして、すっかり意気投合していた。
「おかしいですね。出席の筈ですが」
皇太子の代わりにコージィが答えた。
「皇后がマリオンはドレスを着てくる言いよったぞ。似合うろうねや」
「え?ご存知だったんですか?女性だって」
「見たら分かるぜよ。あれは良い女じゃ。連れて帰っても良いか?」
ヴィクターは思わず族長に顔を向けた。コージィは首を振った。
「ダメです。一国の王女なんですよ。まず、国王に申し込むのが筋です」
「じゃあそうするぜよ。また後でな」
族長は笑顔で去っていった。明るく人好きのする美男子なので、たちまち令嬢達が群がる。横で聞いていたらしい母がボソリと言った。
「取られちゃうわよ」
(どうしろと?)
息子が訊こうとした時、侍従が近づいてきて小声で母に言った。
「アオキ殿とシャルパンティア卿が内密に謁見したいと。できれば両陛下で、と言っております」
母と父は目配せをして席を立った。胸騒ぎがしたヴィクターは父に頼んだ。
「私も宜しいですか?」
「良いよ。一緒に来なさい」
3人は会場を離れ、マスター達が待つ応接室に向かった。
◆
床に気絶した5人の侍女が転がされている。アオキはそれを指差して訴えた。
「この者らはマリオン殿に毒を盛っていた。世話もしておらぬ。ドレスなど影も形も無かった。一体誰の差し金なのか、急ぎお調べいただきたい」
「毒?」
ヴィクターは驚きのあまり、聞き直してしまった。父の顔がみるみる憤怒に染まった。
「リーファ!乙女の宮は君の管轄だよ?どういうこと?」
「申し訳ございません!今すぐ宮の侍女長を連れてきて!」
母は真っ青になって謝り、乙女の宮の責任者を呼びに行かせた。
「マリオン姫は?意識はある?」
父の問いに、アオキは恭しく頭を下げた。
「幸い、一切食事に手をつけていなかったので。今は我が国の姫の部屋にいます。暫くはフジヤマの侍女に世話をさせますので、どうかご了承ください」
ヴィクターは既視感を覚えた。まただ。またアオキは帝国人は信用できないと言っている。
そこへ侍女長が引っ立てられてきた。毒の件は知らないと言う。しかし姫が食を絶っていた事や、侍女らが世話を放棄し、ドレス代を着服していたのは知っていた。
「知りながら放置した?正気?」
父は呆れたように言った。侍女長は伏して許しを乞うた。
「お許しください!陛下!」
「連れて行け」
隠密が数人が現れ、侍女長と侍女達を回収して消えた。尋問して背後関係を吐かせたら始末するのだろう。
ずっと黙っていたシャルパンティアが口を開いた。
「皇太子殿下…いや、ヴィクター。まだマリオンを許せないか?」
敬語ではない。砦に向かっていた時もそうだった。歳の近いアオキやシャルパンティアとは仲間のように語らったのだ。
「騙したのは悪かった。しかしマリオンはお前に仕えたかった。その為には何十年でも隠し通す覚悟でな。女と言えども、その忠義は覚えていてくれ」
「…」
シャルパンティアとアオキは一礼して下がる。両親も式典会場に戻った。ヴィクターは頭がズキズキと痛み始めたので、自分の宮へと帰ったが、一向に治らなかった。




