12 北の砦
◇
1ヶ月前。突然、マリオンは兵部に異動となった。余りに急だったので書置き一つ残せなかった。出発直前に、口の悪い隠密さんが事情を教えてくれた。
「ステラ嬢が親に泣きついたんだと。あ、陛下から伝言な。『死んだら、今後クレイプ国からの人質は免除する』だってよ。安心して死んで来いや」
やっぱり陛下の逆鱗に触れていた。マリオンは泣く泣く頷き、鞄一つだけを持って馬車に放り込まれた。何日もかけて北上し、着いたのは雪に埋もれた砦だった。
帝都の暖かさに慣れてしまったので、とても寒い。毛皮でできたコートやブーツ、手袋が支給された。それを持って砦の司令官に挨拶した。
「人質の王子?皇宮はここを流刑地か何かと思ってるな。兵士が欲しいんだ。こんなモヤシみたいな小僧じゃない。それで、何ができるんだ?弓か?剣か?それとも槍か?」
司令官は神経質そうな若い男だった。マリオンは小さくなって答えた。
「すみません。どれもできません」
「使えないな。王子なら武芸くらい磨いとけ。じゃあ、雑用係だ。空き部屋も無いな。婆さんと相部屋だが我慢しろ」
と言われ、あっという間に仕事が決まった。マリオンは芋の皮剥きから、掃除洗濯、荷運びまで何でもやった。柔らかかった手は、またガサガサに荒れた。それでも敵と戦えと言われるより何倍もマシだ。
夢中で働いているうちに、寒さにも人にも慣れてきた。下働きの人々は外宮の庭師達と同じで、良い人もいれば嫌な人もいる。幸い、同室のお婆さんは優しい女性だった。
「マリちゃん。お菓子食べるかい?」
と、孫のように可愛がってくれた。マリオンも亡き祖母に会えたようで嬉しかった。
兵士とは配膳の時しか会話しない。下働きの女の子は兵士に人気だが、背の高い男は煙たがられている。たまに絡まれても、お婆さんや中年女性たちが助けてくれた。
(大丈夫。口の悪い隠密さんが、数年頑張れば戻れるって言った。ああ。でもアンリやアオキに手紙も出せなかった。心配するだろうな…)
兵の服を繕いながら、マリオンは物思いに沈んだ。ふと、雑な並縫いのイニシャルを見つけて、綺麗に刺繍し直してみた。「良いじゃん。ありがとよ」と好評だったので、繕い物がある度に直した。すると評判を聞いた司令官が仕事を頼んできた。
「このハンカチに私のイニシャルを入れてくれ。銀貨5枚でどうだ?」
「2枚で良いですよ。簡単ですから」
「いや。うんと豪華に飾りを入れてほしい」
都の友人たちが、女性からの贈り物を自慢するらしい。悔しいので見返したいそうだ。正直な人だ。感心したので、気合を入れてクレイプ模様で文字を刺した。司令官は大層喜んで銀貨をもう2枚くれた。
(そういえば、殿下に差し上げるハンカチ、隠密さんに渡せなかった…)
夢のような記憶だけを支えに、マリオンは厳しい冬を耐え続けていた。
◆
ヴィクターはありとあらゆる手段でマリオンを探したが、一向に見つからない。不安と焦りだけが蓄積してゆき、最近の彼は常に不機嫌だった。
乙女の宮など意地でも行くものか。ヴィクターは無言の抵抗を続けた。
「嫌ね。反抗期?コージィ。よく似たメスのウサギはいない?」
久しぶりに会った母に嫌味を言われた。今日は皇后・皇太子で剣術大会を観戦している。背後に控えるコージィは母に何か耳打ちした。すると、
「それもそうね。じゃあ、私は戻るわ。後はよろしく」
と言って母は貴賓席から出て行った。ヴィクターはコージィに訊いた。
「何を言ったんだ?」
「殿下が成長している証です。今はそっと見守りましょう、と」
子供扱いに腹が立つ。しかし母と話したくなかったので良しとした。決勝戦に意識を戻すと、やっと決着がついたところだった。
「殿下。メダルの授与をお願いいたします」
ようやく皇太子の出番だ。ヴィクターはアリーナに降りて、優勝した剣士に黄金のメダルを渡した。その後、祝賀パーティーに移動、上位入賞者らと歓談して公務は終了する。
「見事な連続技に感心したぞ。ペルティエ卿」
「ありがとうございます。皇太子殿下。突き技では誰にも負けません」
優勝者は直立不動で答えた。剣術の名門ペルティエ家の息子だ。何がなんでも優勝者を出したい兵部が、わざわざ遠方の任地から呼んだらしい。ご苦労なことだ。
他の出場者も適当に激励し、ヴィクターは会場を後にしようとした。だが背後から聞こえた会話に足を止めた。
「相変わらず、強いなお前。彼女無しのくせに」
「失礼な。見ろ、このハンカチを」
「おお!見事だ。イニシャルが花模様なんだな。どんな娘に貰ったんだ?名前は?白状しろよ」
振り向くと、ペルティエ卿が若い友人達にハンカチを見せている。
「白金の髪に薄緑の瞳の美人さ。名はマリ。もう良いだろ。返せよ」




