10 皇帝陛下の来訪
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ヴィクターのお忍びでの外出は続いた。マリオンに会えば頭痛は治まるし、翌日の執務にも支障はない。むしろ以前より精力的に働いている。
「ご機嫌麗しい所恐縮ですが、デメル地方がまた揉めています。鎮撫せよとの勅命です」
緊急会議の場で、コージィが暴動が起こった経緯を説明した。旧デメル王国は30年前に反乱を起こし、帝国領となった。しかし、王家の血を引くと言う者が次々に現れ、繰り返し暴動が起こっていた。
「今回のは、結構信憑性があります。人質だった王子が帝国人の侍女に産ませた男児だそうで。年頃も合っていますし、母親も存命らしいので、本物かもしれません」
「どこかで聞いたような…はっ!」
別の側近が言いかけて口を押さえた。そして皇太子の顔を伺う。
「そう。マリオン王子の前に、外宮の小屋に幽閉されていたのが、デメルの王子です。現在、侍女の顔を知る者を探しています」
コージィは気にせずに会議を進める。ヴィクターは冷静に尋ねた。
「本物だった場合、最善策は?」
「人質の王子が自殺して以来、あそこは暴動が絶えません。それから帝国は宥和政策に転向したという経緯もあります。本物だと認証し、新デメル王国として再興させてやるのが宜しいかと」
「譲歩しすぎです。帝国の一貴族ぐらいで良いのでは?」
「いや、恩を売って実を取るべきだ。暴動の度に出兵するのは割に合わない」
さすがに皇太子の裁量権を超えている。側近達の意見を聞いた後、ヴィクターは皇帝に謁見を求めた。
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父は趣味の盆栽の手入れをしていた。ヴィクターがデメルの再興を相談すると、
「構わんよ。王子を帝都に来させなさい。父親の遺骨を返還する」
あっさりと許可され、驚いた。領土を失うのだ。臣下達の反対は大きいだろうに。
「宜しいので?」
「良いよ。白い髪と赤い目だったら本物だと思う。侍女は焦茶の髪だったな」
遠い目で語る父に、ヴィクターはますます驚いた。
「会ったことがあるのですか?」
「昔ね。外宮の小屋、今は別の王子がいるそうだね。やっぱり侍女と赤子を国に送ったと聞いたよ。不思議なものだ。繰り返す運命なのかな」
「…デメルの王子と親しかったように聞こえますが」
「祖国を滅ぼされ、妻子も死んだと思って首を吊ったんだ。恨まれてるよ」
当時、皇太子だった父は併合に反対したが、覆せなかった。多くの反対を押し切り、領土拡大政策から宥和政策に転換したのは、即位した後だった。
「祖国が復活したら、彼も浮かばれるだろう。頼んだよ。ヴィクター」
「はい」
「太公は反対するね。覚悟しておきなさい。奴は拡大派だ」
「存じております」
恭順した国々を併合して、帝国貴族をそこに封じたい派閥だ。甘い汁を吸おうと、貴族の次男以下が群がっている。いつか必ず一掃する。父は笑って息子を激励した。
「早く孫も見せてよ。10位くらいまで、奴の継承順位を下げてやれ」
「善処します」
鎮圧の全権を委ねられた皇太子は、兵を率いてデメル地方に赴くこととなった。
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出発の前夜。小屋を訪れた偽の隠密は、暫く来られないとマリオンに告げた。
「そうですか…。では、これを」
と言って、彼はハンカチをくれた。素朴な草花が“勝利”という文字を描いている。流れるような文様が美しい。
「これは殿下に?」
「いいえ。貴方へです。お名前が分かれば、イニシャルにしたんですが。平凡ですみません」
皇太子より名無しの隠密を気にかけている。何故か少し腹が立った。
「殿下には差し上げないのか?」
意地悪く訊くと、マリオンは頬を赤くして下を向いた。
「実は帝国旗と殿下のイニシャルに挑戦しているんですが、難しくて。まだまだ完成には遠いです」
「…戻ったら受け取りに来る」
その時、覆面を外して正体を明かそう、とヴィクターは決心をした。
(彼は尻込みするだろうが、この庭では身分を忘れてくれと頼もう)
2人はいつもより長く散歩を楽しみ、別れを惜しんだ。その翌日、皇太子はマリオンにもらったハンカチを胸に、暴動の鎮圧へと出発した。
◇
背の高い隠密さんに会えない夜は長く感じられ、寂しさに気が滅入った。いつからこんなに人恋しくなったのだろう。マリオンは月を見上げて思った。メリー達が去ってからか。多分、皇太子宮を離れてからだ。
太陽のような殿下のお側では、ちっぽけなマリオンですら、価値ある存在に思えた。この身が女でなければ、何の負い目もなくお仕えできるのに。
「泣いてるの?」
不意に声をかけられ振り向くと、50ぐらいの金髪の男がいた。上品な雰囲気が父に似ていて、思わず、
「父上?」
と言ってしまった。すぐに気づいて慌てて謝った。
「す、すみません。つい」
「気にしないで。全然変わらないね、ここ。ちょっと見せてもらうよ」
気さくな男は庭側から小屋に入った。前の住人の知り合いかもしれない。マリオンはランプを灯して、よく見えるようにした。
「ありがとう。本当に1人の召使いもいないんだね。不便でしょ?」
狭い小屋を見終わった後、男はマリオンが出した茶を飲んで尋ねた。発音や立ち居振る舞いから高位の貴族だと分かる。彼女は失礼がないように気をつけて答えた。
「いいえ。必要なものは十分頂いております」
「この先長いよ?大丈夫?」
「幸い、仕事も順調ですし、友人もいますから」
何となく尋問されているようで、修繕課での仕事、アオキやトラとの交流などを正直に話すと、男は目を丸くして聞いていた。
「何と。最近の人質は働くの?凄いね」
「外宮の中だけです。賃金も頂けて助かります」
「賃金?なぜ?」
マリオンは誰にも言った事のない、ささやかな夢を口にした。
「いつか、メリー…元侍女のメリー・ショコラ嬢と彼女の娘に帝国のお菓子とか小物とかを送ってあげたいんです。クレイプでは高価なので」
男は何とも言えない表情を浮かべた。
「君、本当に王族?」
「その筈ですが、段々、怪しくなってきました」
悲しげなマリオンの返事に、男は吹き出した。そして急に真面目な顔で訊いた。
「もし、帝国がクレイプ王国を併合したら、君はどうする?」
王族は全員討ち死にし、メリー母子も死んだなら。悲観して死ぬか。それとも脱走して反乱を起こすか。そんな悲惨な話をされたが、マリオンは否定した。
「ありえません。父と兄は素直に降伏します。メリーはしっかり者なので、さっさと逃げ出すでしょう。クレイプ人は命を大切にする民族です。言語や文化を奪われない限り、抵抗はしません」
「…」
飄々とした雰囲気が掻き消えて、男は威厳ある眼差しでマリオンを見据えた。それが皇太子殿下に良く似ていらっしゃる事に、ようやく気づいた。
「お…お許しください。皇帝陛下!」
陛下のお言葉を否定してしまった。咄嗟に平伏したマリオンは床に頭をつけて謝罪した。
「ごめん、怖がらせるつもりはなかった…頭を上げて」
震えが止まらず、たらたらと脂汗を流して固まっているマリオンに、陛下は、
「良いんだよ。違うものは違うと言って。今夜は帰る。またね」
と仰って、小屋を出て行かれた。ようやく動けるようになったマリオンは、心の中で願った。
(もう来ないでください…)




