闘技場より来る者は
外の世界から隔離された暗がり。
一部の裏の顔がある者たちだけが出入りする客席。
違法に行われる賭博。
飛び交う罵倒と歓喜の声。
混沌とした闘技場の中心に彼女はいた。
魔法で作られた光玉によって赤褐色の長髪がより赤みがかって見える。
彼女が足蹴にする敗者は無残にも切り裂かれ、闘技場を赤く染めた。
アベル·ラシエスタ。
リグノス地下闘技場において頂点にて座して待つ覇者である。
動きやすさを重視した盗賊のような軽装で、わずかに曲がった細見の片刃刀シャムシールを駆使する。
足蹴にした敗者を切り裂いたシャムシールは不思議と汚れておらず、血の一滴すら着いていない。
新品のような輝きのシャムシールを天に向けてに掲げた。
勝利の叫びはなく、アベルの顔には戦う前と同じ平穏な表情を浮かべていた。
それでも観客は大いに声援を送った。
わずかな罵倒は書き消され、アベルは闘技場を後にする。
変わらない日常、つまらない日課。
最後だというのにこれっぽっちの変化すらなかった。
闘士の控室へ戻る途中、アベルは大きなため息をつく。
先ほどの対戦で息を切らした訳ではない。
今回も期待はずれであっただけである。
遠くから未だに冷めない観客の歓喜の声が聞こえる
彼らに対してアベルは軽蔑を抱いた。
誇張されたエピソードを語る司会者。
手を抜いた事にすら気付かず、必死になる対戦相手。
勝敗が見えるはずなのに賭博に負ける観客。
このため息も最後と思えば悪いことばかりではない。
アベルの為に用意された、闘士としては豪華な部屋に戻ると、椅子に座った一人の男性が目にはいる。
顔は死人のように青ざめて、頬を一筋の汗が伝い落ちる。
体は震え、装飾の付いた服装には不相応な態度の人物。
アベルが、「カルシス?」と笑みを浮かべて話しかけると、おぼつかない口を必死押さえながら返事をした。
「な、なあ、アベル?きょ、今日相手は強かったよな?な?!次はもっと強い奴を用意する!本当だっ!」
カルシスは椅子から飛び退いて、アベルにすがり付く。
涙と鼻水を撒き散らしながら、必死に訴える。
「私の勝ちだな?」
「……へっ?」
カルシスには意味がわからなかった。
なぜアベルがずっと笑みを浮かべているのかも。
ただ、カルシスは相手の機嫌を取ろうと、いつも通りにおべっかを垂れた。
「そ、そうです!私の敗者です!どうか、どうか……」
カルシスに続く言葉はなかった。
アベルのシャムシールがカルシスを頭頂から両断する。
そのまま横に一線。切り上げ、半分になった首を跳ねる。
ぼとりと音を立てて肉片が散らばる。
カルシスはアベルとの約束を守れなかった。
強靭な相手との殺しあいを望んだアベルは、それが無くなればここを出ていく。カルシスはそれを承諾し、雇い、相手を見つけた。見つけ続けた。
これはアベルにとって約束ではなく、勝負であったのだ。
殺せる相手を連れて来れなかったカルシスの負け。
切り刻んで原型を止めないカルシスを見てアベルは笑う。
「五年間まあまあ楽しかったよ。じゃあねカルシス」
かつてはこの闘技場はアベルにとって素晴らしい場所だった。犯罪奴隷として捕らえられた後、闘士として買われ、ただひたすらに殺した。
生きる為に必要な食べ物も金も、ただ殺すだけで手に入った。向かってくる相手は自分と同じ境遇。お互いに生きるための試合。その頃の声援は心地の良いものだった。生きる為の技術を称賛されている気がして。
数を重ねるうちに、声援を送る観客は賭博に溺れた無能ばかり。試合ですらない試合をただ消化する一方的な作業。捌け口のない金銭で自分を買い直して以来、対戦相手として認識できるのはカルシスだけとなっていた。
勝利の快感が覚めないうちに、闘技場を後にする。
外界へ赴くアベルの足取りは軽く、自然と飛ぶように跳ねていた。アベルの思い描く未来は明るい。
「そうだ、どこいくにもお金がいるな……。ま、カルシスから貰えばいいか。私の金はどこにあるか知らないし。」
アベルは堂々と日の指す外へ出る。久方ぶりに浴びた日の光りは少し痛い。太陽を覗けば、より一層の暑さを感じられた。踏み出せば太陽の熱を溜め込んだ砂がアベルの体重で少し沈み、乾いた風が吹けばアベルの髪を乱雑に通り抜けた。風に混ざった砂は髪に絡み、多少の不快感を与える。
歩き様に見つけた砂まみれの布を叩き、赤褐色の長髪を縛った。馬の尾のように髪は纏まり、肩に掛かること無く、その不快感は感じなくなった。
「よし、んじゃいくかー!」
アベルは意気揚々と歩みを進める。
目指す場所はあるが、急ぎではない。
その道中に楽しい事もあるだろう。
そんな考えのもと、アベルは闘技場を後にした。