運動
「ここを寝床にしてたみたいですね」
一人の男がしゃがみ込み、空になった缶詰の容器を持ち上げる。
どこにでもあるような市販品には特に変わった様子もない。
しかし、ここは薄暗く視界の補助のためにスマホを取り出そうとポケットに腕を回した時に背後から光を当てられる。
「助かります。ザンマさん」
男は背後で、スマホのライトを向ける猫背の男に礼を言う。
汚い金髪を手元の光でわずかに反射させたザンマは何でもないように口を開いた。
「いいさ。それよりも、志渡澤くんが来てくれて助かった」
「そんな。俺がボスの代理で良いのか不安なくらいですよ」
ザンマに声を掛けられて、志渡澤と呼ばれた男はそう返した。
頭を丸めた着飾らない男は、オオロクの代理としてここにいた。
謙遜する志渡澤に「俺一人じゃ到底無理だった」と言うザンマの口調は普段と比べ優しく見える。
彼を知るものが見れば違和感を抱えるだろう。
ただ、生憎彼と深い交流のあるものはそのすべてが肉塊と化していた。
そして、ザンマが推測したその犯人であるのが「無異」と言う話から、奴の所在を追うために彼らは動いていたのだ。
「それで、やっとの事痕跡を見つけたのがこの薄暗い下水道だったわけだが」
ザンマがあたりを見渡すように見れば、暗く湿ったコンクリートの空間が視界には映った。
そして今いる一角に、食べ捨てられた缶詰や薄い毛布が落ちていた。
「こりゃあ、暫くは帰ってないか」
「恐らく、そうでしょうね。でも、痕跡を残し過ぎている。意図的に引き払ったようには見えません」
ザンマに対して、志渡澤は言う。
残された缶詰に生活感のある毛布。
ここを引き払うつもりで離れているのであれば、これらの痕跡は処理するはず。
体よく流れる下水にでも放り投げれば取りあえずの偽装は容易い。
それがないと言うことは、何らかの外的要因によってこの場所に戻ってくることが出来なくなっている可能性が高い。
「そして、医療用の道具の類がないので、ザンマさんのところの事務所を襲った後にここに戻ってきている可能性は大分低いですね」
ザンマとオオロクの二人の見解は、実力者が集う組織を襲撃してその主力をすべて無効化したことから少なくとも無異は無傷ではいられない。
故に、応急処置のための何かしらの道具の後があってもおかしくはないと言う事だった。
そうでなくとも血痕くらい残っていると見るべきだろう。
「まあ、それらが必要のない異能である可能性もありますけど」
志渡澤が付け加えるが実際のところは分からない。
「わかるのはそのくらいか」
ザンマは言う。
やっと見つけた痕跡だが空振りに終わった。
そう結論をだしたのだが、志渡澤は何か思案気な顔をした。
「いえ、一つだけ」
「なにか」
「この缶詰のメーカーなんですが。自社ブランド製品なのでこれを手に入れるには、少なくともここから数キロ離れたスーパーに行くしか方法はないはずです」
手に持ったスマホで検索をした志渡澤は言った。
そして落ちていたレジ袋をゴソゴソと漁った彼はわずかに口元を歪めて何かをザンマに見せた。
一枚の長方形の紙。レシートだ。
「予想通りですね。それに日付を見てください」
それにザンマは「ほう」と声を出した。
「4月30日か」
それはニット帽の男と金髪の男が最初に無異に接触した日の翌日であった。
異能組織はその時点で常に監視を強化していた。
「今、各組織が無異に対して包囲網を張っていますが、最初に現れた4月29日の翌日にはすでに監視体制は整っていました」
レシートに書かれているのは10時49分。
時間も相まってそれは確実であると彼は言う。
「つまり?」
「確実に無異には協力者がいるはずです。異能組織間での監視を掻い潜ってこの缶詰を購入して彼の手助けをしている人が」
志渡澤は確信を持ってそう言った。
◆
「笹嶺。確かにそれであってるのね?」
『まあ、多分。確実に』
ツムギが電話口に問いかけた時に返ってきたのはそんな声だった。
声の主は異能倶楽部幹部である川原千佳だ。
彼女の声が妙に音質よく聞こえるのは彼女がスマホではなくPCと高額マイクを使っているからだろうか。
『近くの監視カメラとかもろもろは流石に消されていたけど、こっちで仕掛けた目に映っていた人間の特徴と雇われた男たちが吐いたっていう若い男ってことと背丈の情報を総合して考えれば十中八九って感じ。違かったらごめんけど』
「いいわ。信じてるから」
『勘弁』
保険を張っているのにも関わらず、情報をそのまま受け取ったツムギに千佳は声を洩らす。
『それより、篠塚舞だっけ。そっちは良いの?』
何か話を変えるように出したのは一人の少女の名前だった。
篠塚舞。
最近リオと交流を深めている一人の少女の名前だ。
「彼女は大丈夫」
『まあ、シラサヤが言うならいいけど。でも、確実に』
「治安維持組織の協力者でしょうね」
ツムギはそう言う。
今まで、篠塚舞の身辺を調査した際に判明したのは、ごく普通の高校生であるということ。
おしゃれが好きでたまにSNSで見たオシャレなお店に行くような。
ただ、それ以上の情報がつかめない少女でもあった。
一定以上の情報は開示されているが一線を越えれば足取りはつかめない。
故に、何らかの組織、いや、治安維持組織の協力者であろうと予想していた。
「それでも、あくまで協力者。異能を除けば一般人とさほど変わらないわ」
協力者は異能と言う技能一点によって採用される。
全くの訓練を受けていないと言う事はないが、それでも素人に毛が生えた程度だ。
「それは、笹嶺という男も変わらない」
所詮はその程度だと言った。
電話を終えて、ツムギはリビングへと戻る。
そしてアナの相手をするリオを見る。
ユキナの報告によれば笹嶺に呼び出された際に、いち早く篠塚舞を発見し一般人であれば危険である位置情報の届いた場所へユキナの部下である白腕たちを送った。
異能倶楽部のボスであるルカではなくリオとしての行動をしながらも異能倶楽部の影を極力表さないようにする作戦だった。
ただ、彼がユキナに下した雇われた男たちに攻撃を許したという命令の意図ははかりかねていた。
その場を上手く収めて、笹嶺の目が離れてから雇われの男たちから情報を絞るのが無難であるはずだ。
それであるのにも関わらず彼に異能倶楽部の存在を仄めかした理由は何か。
まさか、笹嶺本人が自身で推測して異能倶楽部への手がかりを得ることに意味があるのだろうか。
あくまでも白腕はその存在を隠して一見異能倶楽部の存在は見えない。
しかし、少し考えれば異能倶楽部の影は見える。
実効的な支配はしていないが大きなくくりで見た時にこの辺りを支配しているのは異能倶楽部だ。
それに笹嶺程度の実力があれば白腕の練度の高さくらいは察せるだろう。
そうなれば確実に異能倶楽部の存在を嗅ぎつける。
それが狙いなのだとすれば……。
リオは、いや、ルカは自分の手でことを収集しようと考えている。
笹嶺と言う不安要素を操り、自分で動いていると考えているであろう相手に対して手を打つつもりだろう。
と言う事は。
「リオ君。そろそろ動くの?」
「ほえ?」
◆
突然かけられたツムギちゃんの声に俺は変な声を出した。
「リオ君。そろそろ動くの?」と言う言葉に俺は何かの事柄に関連付けられることがなかった。
一体何に対しての言葉なのか。
そう思って聞き返そうとした時気付いた。
動く。
つまり運動だ。
動くと言われれば「行動」を指しているのだと考えてしまうが、そうではない。
ツムギちゃんは運動しないのかと聞いているのだ。
しかしなぜ運動と言う話になっているのかと言う事になるだろうが、恐らくそれは俺の自堕落な生活から来ているのだろう。
長期連休中の俺は『絶対の三日間』以外は全くと言っていいほど外出していない。
思い返せば、勉強会だって家でしたわけだし。
強いて言えば篠塚さんが誤送信したメッセージで少し外に出た程度だ。
それならば部活にも入っていない俺に対して少しは運動をしないのか訊いてきてもおかしくはない話。
それに勉強をするでもなくアナと遊んだりゲームをしているのだからなおさら目に着くのだろう。
まあ、とにかくそうと分かれば俺も嫌とは言わない。
TSする前ならともかく、このプリティボディで太るのは抵抗が大きい。
学生故にか目に見えて太ると言う経験はしたことがないが、女子は脂肪が付きやすいと言うし身長も低いから横に伸びた時のごまかしも効きにくそうだし。
俺は時計を見て時刻を確かめた。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「わかった」
日が暮れる前に行った方が良いだろう。
ツムギちゃんの頷きを見ながらふと思う。
それはアナについてだ。
先ほどまで一緒に日本語の勉強なんかをしただけあって彼女は当然俺の横にいた。
そんな彼女を見てふと思い立った。
「アナも連れてくよ」
「アナも?」
何か驚いた様子を見せるツムギちゃんだが、よく考えたらアナもずっと俺と一緒に家にいた。
特に子供と言う事もあるし先日まで日本語を喋れなかったことから考えても外を出歩いたこともそうないだろう。
聡明とは言ってもまだ子供。学校が始まればあまり時間が取れないかも知れないし、連休中の今のうちに一緒に外に出てもいいかも知れない。
頷くアナを連れだって俺は家を出た。




