雨
時刻は夕暮れ。
それももはや過ぎ去り、段々と影が差していた。
空は赤から灰色へ色を変えていた。
日が暮れて来たのも一つの要因ではあるが、影が増す理由には段々と上空を覆う雲の存在もあった。
天気が傾く前兆か、少し湿度が上がったような感覚が襲う。
そしてそんな二つの要因に加えて、ここは雑居ビルとビルの間にある裏路地、尚更に光は届きづらかった。
だがそれでも、夜の帳は降りておらず、視界は良好の範疇にあるだろう。
そんなかビルの壁に背中を預けるようにして二人の男が紫煙を身体に纏わせていた。
「やっと、落ち着いたって感じだな」
二人いる男の内、湿気で暑いと言うのにニット帽をかぶった男が不意に煙を吹いて言った。
そしてそれを聞いた金髪の男は一瞬、短く息を吐いて返答する。
「ん、ああ。陽炎とかいう組織のことか」
「そ。まあ、正確には、その陽炎が喧嘩を売ったネクサス……いや、今は異能倶楽部だったか。そいつらに隙をついて攻撃を仕掛けようとしたここら辺の組織、その辺全部」
プリンの様に頭頂部が伸びた髪で黒くなっている金髪の男を横目に、ニット帽の男はそう言った。
あの日、正確には4月27日。
その日に突如として現れた陽炎という組織が様々なマスメディアを通して異能倶楽部を吊るし上げようとした事件のことを二人を思い出す。
いや、思い出すと言っても、つい先日のこと、ニット帽の男の語り口ではやっと落ち着いたと言っていることから今の今までその渦中にいたようなものだった。
ニット帽の男は続ける。
「騒動のごたごたが俺らにまで響いてたからな。当の六大組織は凄いことになってたんじゃないか?」
「かもな。でも、どうやら陽炎は異能倶楽部だけで壊滅させたって聞くし、他の五つの組織は様子見だけなんじゃないか」
金髪の男は言葉にそう返す。
別に詳しいわけじゃない。
だが、噂と言うのはこんな末端である男たちにまで聞こえてくるものなのだ。
だから、小さな情報一つ一つで推理とまでもいかなくとも、ちょっとした想像くらいは簡単に出来た。
「まあ、確かに六大同盟で全組織参戦は過剰戦力が過ぎるわな。噂だと、敵の最強幹部と陽炎のボスは異能倶楽部のボスであるルカが一人で対処したと言うし」
ニット帽の男は言いながら、雲行きが更に怪しくなった空を見上げる。
敷き詰められた白と灰色の中間みたいな色をした雲は、彼の加えた煙草の煙と同じ色でもしているのか、立ち上る紫煙は目を凝らさなければ見えない。
そんなことを思っていると、鼻先に冷たさを感じた。
「ん、雨か」
鼻の頭を人差し指でこするようにすれば、それが水であることはすぐにわかった。
だが、そんなことをするまでもなく、断続的に天からの恵みはポツポツ地上に振ってくる。
現代人、それも栄えた街中らは出ない男にはありがたみは全くないが。
「ちっ。だるいな。ここ微妙に風あると濡れるんだよな」
隣に立つ金髪の男は雨が降る空ではなく少し手前のビルの壁から突き出す屋根とも言えない縁を見てそう言った。
元々雨を凌ぐために作られたようには見えないそれは、経験上どう頑張っても濡れないと言う事は敵わない。
少し移動しようかと提案しようとして更に雨音が断続的にさらに大きくなる。
「おい、これマジで降るぞ」
身体に当たる雨粒が質量を増してもはや痛くなるほどに威力を増すのを想像してそう言った。
それはニット帽の男も察するところだ。
二人は息を合わせるようにその場から退散しようとして、耳をピクリと動かした。
「───」
耳を澄ませる。
普段なら無視するような事態。いや、気付くことすらないはずだった。
誰かの足音。
それが近づいて来る。
乾いた音が、降りしきる雨によってか水の跳ねる音にわずかに変わる。
もう視認できる位置にいた。
「ツヨイヤツ、シッテルカ?」
二メートル近くある身長。
膨れ上がるように隆起した筋肉で身を包んだ男が、片言な口調でそう言った。
いや、片言な日本語と言った方が良いだろうか。
男の姿は典型的な西洋人の特徴を持った造形であり、ネイティブ的な日本語を操らない所を見れば、外国人である考えるのが妥当だった。
「強いやつ?」
ニット帽の男はそう訊き返す。
いや、復唱してうっすらと笑った。
「それを知らないならやめた方が良いぜ。ここは六大組織が仕切ってる。喧嘩したいなら他でやった方が良い」
半分は親切心から来た言葉だった。
強いやつ、つまり六大組織を知らない時点でそこが知れている。
六大組織と言うのは、強力な異能者の集まりだ。
そしてその中には世界的な異能指名手配犯も含まれている。
興味がないならまだしも、それを目的にここにいるのだとしたら、それを知らないのは挑むには値しないだろう。
『強ければいいのか』
忠告を聞いた大男が次に何を言うのか男たちが意識を向けていた時不意にそんな言葉が耳を掠めた。
日本語ではない。
男たちが効く限りでは恐らく英語。
そんな言葉にニット帽の男は首を傾げる。
「悪いが英語はわからないんだわ。日本語で頼む」
「大学の英語必修なのにサボってるくらいだしな」
「うっせ。でなんつってんだ?」
「いや、俺も分からんけど。……多分、強ければオーケーかって聞いてんな」
金髪の男はなんとなくでそれを聞き取った。
「ふーん」とニット帽の男は大男を再度見る。
すで異能の片鱗が見える。
やる気だと言うことは言葉がわからなくとも察することが出来た。
「まあ、なんとなくでわかるわ。やる気満々じゃんコイツ」
構えてすらないが、威圧を感じる。
だが、男だってこの世界に片足を突っ込んでいる。
そう簡単によそ者に負ける気はなかった。
「まあ、異能なんてものがあるんだ。図体でどうにもなんねぇってことを教えてやるか。英語はからっきしだが、ボディランゲージは得意だぜ」
ニット帽の位置を直してそう言った。
◆
「かはっ!?」
強烈な一撃に空気を外に吐き出しうずくまった。
チカチカとままならない視界で地面に顔を擦り付ける。
雨にさらされた身体は重く、立つことが出来ない。
いや、雨で服が重くなったなんてそんな話ではない。
大男の拳の一撃が腹部にめり込んだことにより立つことが出来ないのだ。
出来ることは水溜まりに身体をうずめて腹を両手で抑えて唸ることくらい。
それだって男に向けた負の感情を募らせるのではなく、ただ痛みに耐えるための者だった。
曇り、濡れたニット帽からはみ出した髪の毛の間から何とか、数センチ先を視認しようとすれば、金髪の男も同様に地面に伏していた。
何とか手を伸ばそうとして意識が飛んだ。
『やり過ぎたか』
意味の分からない言語の呟きを遠くで聞いた。
◆
最近、雨が多い。
そんな風に実感した今日この頃、俺はいつものように学校へ向かっていた。
皆が傘をさしているせいか、ただでさえ背の低いこの身体であるのにより一層視界が悪い。
外にいるはずなのに見えるのは人と傘だけ。
まあ、視界が開けても映るのは曇天の空だけではあるのだけど。
まだ梅雨には早いだろう。とかなんとか思いながら一緒に登校するツムギちゃんに言葉を掛けた。
「本当に良いの?傘持ってもらっちゃって?」
と言うのも、今現在俺はツムギちゃんと相合傘をしているのだ。
無論俺が傘を持っていると言いたいところであったが、さしているのはツムギちゃんだった。
「うん。気にしないで。私から提案したことだし」
「ならいいけど」
歯切れ悪く俺は返事をする。
本当なら無理にでも俺が受け取って好感度アップを狙いに行きたいのだが、生憎それが出来ない理由と、この状況に至るまでの要員は一致していた。
それは何なのかと言えば、その問題は俺の小さな身体(身長136cm)に由来している。
俺の身長で傘を差した時に起こる問題と言う方が適切なのかもしれない。
何かと言えば、俺が傘を差した時、身長の関係でどうしても傘の位置がみんなの身体に当たるのだ。
そのため、一緒に歩くツムギちゃんに水が掛かってしまうことは避けられない。
だから、ツムギちゃんは持ってくれると俺に言ったのだ。
で、夢にまでみた相合傘しているのだが、如何せん申し訳なさが強い。
仮にも俺は男なわけだし。
と言うか、男女関係なくこれでは姉妹の域に達しそうではある。
「はあ」と小さく息を吐いて、再度ツムギちゃんを見た。
正直、この身体に不満はないのだが、今、この時ばかりは、男の姿でいたかった。
この身体では、ツムギちゃんを見ようとするだけで見上げなければ──透けっ!?
ツムギちゃんの顔を視界に収める過程で俺の目にはそれが映る。
俺が彼女を見上げようとする過程の中で、胴、胸、顔と移っていくわけだが。
何と言えばいいか透けていた。
俺は堪能する隙も自身に与えることなく顔を全力で背けた。
「ん?どうしたの」
「……なんでもないよ」
ツムギちゃんの質問にも答えることは出来ず、傘を持ってもらっていることと視線を何とか逸らさなければならない状況に、最高のシチュエーションであるはずのこの相合傘イベントを俺は気まずさ満点で過ごすこととなった。




