第十七話
「確認しました。ヴァレンシュタイン男爵、どうぞお通りください」
国境の砦に着いた俺たちは、エレイン先輩から貰った封書を砦の騎士に渡すと、簡単な確認だけで通行の許可をもらうことが出来た。
「あ~あ……ここでジークたちとお別れか。面白いことが起こりそうだし、俺も行きたかったんだけどなぁ~……」
何とかしてスタッツまで付いていけないかと粘るガウェインだったが、カラードさんの命令は国境までとなっているので、俺にはガウェインを連れて行く権利はない。
「おっさんがそんな風に言っても気持ち悪いだけだぞ。さっさと子爵家に戻って仕事しろ」
なので、俺が大人しく戻るように言うと、
「そうですよ、団長。ここから先は私たちに任せてください。団長の代わりに、美味しいものや楽しいことを責任をもって体験してきますから。それに、ちゃんとお土産も用意しますよ。私たちの旅の感想ですけどね」
ディンドランさんが楽しそうにガウェインを煽りだした。
それに続いてロッドたちもからかい始めたので、
「お前ら……調子に乗るなよ!」
ガウェインが飛び掛かってきそうになったものの、
「ガウェイン殿! そこから先はスオ国の領土です! おやめください!」
様子を見守っていた国爵家の騎士によって止められていた。
「そう怒るなって。ほら、これで美味いものでも食いながら帰れって」
公爵家の騎士に止められたガウェインを見て笑っているディンドランさんたちを無視して、俺はガウェインに小袋を二つ投げて渡した。
「なんだこれ……って! 金貨じゃないか!」
「ガウェインに支払われることになっている公爵家からの報酬だ。俺が代わりに払っておいてやる。もう一つは純粋に俺からの贈り物だ。帰りの道中で有効に使えよ。それじゃあ、行くからな」
エレイン先輩に要求したガウェインたちの報酬がいつ支払われるのか分からないので、俺が代わりに先払いした方がいいだろうと思い、昨日の内に用意していたのだ。
ガウェインに別れを告げて馬車に乗り込むと、
「ジーク、立て替えるのは分かるけど、追加で報酬を出す必要はないんじゃない?」
喜んで俺たちを見送っているガウェインをしり目に、俺と一緒に馬車に乗っていたディンドランさんがもう一つの小袋は必要なかったのではないかと言ってきたが……
「いや、別に中に金を入れているとは言ってないよ」
と答えた瞬間、俺たちの背後から「岩塩じゃねぇか!」という叫び声が聞こえてきた。
「ガウェインに対して俺が小遣いをやるのはどうかと思うし、ここまで付いてきたのはガウェインだけじゃなくて馬もだからね。水は川で飲めばいいし、草もそこら辺に生えているものを食わせればいいけれど、塩はそうもいかないしね」
「なるほどね、確かに塩は必要だわ。ただまあ……ちょっと意地悪なやり方だったけどね」
聞いただけではガウェインに同情するようなディンドランさんの言葉だが、実際は口に手を当てて笑いをこらえているので、ディンドランさんも満足する方法だったらしい。ちなみに、場所の外にいる四人も笑っているので、一時はこの話題で暇つぶしをすることになりそうだ。
「それで、ここからの進路だけど、予定を変更して少し大回りをしようか? 多分だけど、予定している山越えは道が荒れているだろうし、強引に行こうとする通行人を狙う不届き者も現れるかもしれないからね」
「確かに最短距離を進むよりも、途中で北上する道を選んだ方が安全だし、もしかすると遠回りした方が結果的に早く到着できるかもしれないわね」
遠回りになるがここは安全策を選んだ方がいいというと、ディンドランさんも賛成してすぐに他の皆にも伝えた。
そして、結論から言うとその判断は正しかったようで、宿泊するつもりで立ち寄った町で仕入れた情報によると、山の方で何か所か土砂崩れが発生したらしく、予定していた山道は通行不可能となっていて、その付近にある麓の村は川の氾濫などで陸の孤島となっているそうだ。
「大概こういった時は巻き込まれることが多かったけど、今回は逃れることが出来たな」
「ジーク、そんなことを言っていると、この先で何かトラブルに巻き込まれそうだから、変なことは言わないで」
最初に予定していた道や立ち寄る予定だった村が使えなかった話を聞いて、俺は宿でそんなことを呟いていたが、それを聞いたディンドランさんから不吉だと言われていしまった。
まあ、確かにそういった話はよく聞くが……今回に限ってはそんなことは無く、カレトヴルッフ公爵領のような足止めも食らわずにスオ国を抜けて、俺たちはスタッツのある『トーワ国』に入国することが出来た。
前回俺がバルムンク王国を出た時にも、同じようにスオからトーワに入ったのだが、その時はスオの南側にある山越えの道を選び、その際にアラクネの群れを発見し、奇襲をかけて身動きが取れない状態にしてから糸を採取したのだ。
ちなみにその採取方法はというと、アラクネの脚をすべて切り落としてから半殺し状態にし、お尻を刺激して出てきた糸を木の枝に巻き付けて集め、最後にアラクネの血に糸を浸したのだ。
アラクネの血に糸を浸したのは、アラクネの体液に糸の粘着力をなくして強度を増す性質があるからなのだが……今考えるとその作業を行っている光景は、傍から見るとかなり狂気的なものだっただろう。
まあ、実際にはその作業中の姿は誰にも見られていないみたいだし、そのヤバイ行動のおかげで今でも俺が使っている主力級の道具となっているので、アラクネの血に汚れた甲斐があったというものだ。
三日かけてスオを抜けた俺たちは、トーワに入って四日目にスタッツまであと半日というところにある町まで来ることが出来た。
これまでの俺の旅を考えると、ここまで何事もなく来ることが出来たのは奇跡……は大げさだが、かなり珍しいことだと思える程、順調な旅路だった。ただ、
「ジーク、今仕入れてきた情報によると、スタッツにはカドゥケウス聖国の聖女が滞在しているそうよ」
俺の幸運はここまでのようだった。
このままスタッツに向かえばクレアが騒ぐかもしれないが、親衛隊長のクーゲルが止めるだろうから大丈夫だろう。
そう思い、もう少しこの町に滞在して様子を見るかと聞いてきたディンドランさんに、俺は予定通り明日中にスタッツへの到着するつもりだと答えたのだった。
「お嬢様、男爵にあそこまで下手に出る必要はなかったのではないですか?」
ジークを見送って詰め所に戻り部屋で書類の整理をしていると、私の護衛であるシャーリーが不思議そうに聞いてきた。
「公爵家の私が男爵相手に頭を下げたことが、そんなに不満だった?」
シャーリーには悪いけど、私も今回の件でストレスが溜まっていたので少しからかってみることにすると、
「いえ、決して男爵を見下しているとかではなく、お嬢様と男爵は学園の中ではかなり親しい方だと聞いていましたので、もう少しやりようがあったのではないかと思いまして! あっ! 親しいと言いましても、男女の仲という意味ではなく、先輩後輩の仲がということでして!」
シャーリーは必死になって弁明を始めた。
まあ、ここで先程の発言はジークを馬鹿にしていることから来たものだと判断されれば、私の対応を真っ向から否定しているということになる。そうなれば、いくら私の直属の部下で子供のころからの付き合いとはいえ私からの印象が悪くなるのは必然なので、それは避けたいと必死なのだろう。
「私と男爵……ジークの仲が悪くないのは確かよ。ただ、それは私がジークに敵対行動をとったことがないのと、何よりもアーサー殿下の従妹だからと言うのが大きいわね。ジークはね、自分の身内やそれに近しい人に対してはかなり優しいわよ。それと、自分に無害な相手にはね。ただ、その分敵に対しては容赦しないみたいね。シャーリーは卒業していなかったけれど、ソウルイーターの事件の直後に起こったアコニタムの私兵の話は聞いているでしょう?」
「はい。信じられない話ですが、男爵がたった一人でアコニタムの私兵を全滅させた。それも、誰にも気が付かれずに、殺された者たちにろくな抵抗すらさせずに……と」
真偽のほどは直接聞いてはいないから分からないけれど、陛下が派遣した騎士や暗部の部隊が調べた結果、四か所に分かれて潜んでいた二百人近いアコニタムの私兵を、ジークは一人で全滅させたというのが判明した。
ただ、これについては色々な疑問が残っていて、ジークが陛下にも詳しい話をしていないからどこまでが正しいのか分かっていないのが現状だけど、それでもジークがその件に大きく関わっているのは確かとされている。むしろ、分からないことが多く、不可能に近いことばかりだけど、あの時動いたのはジークしかいない以上、私兵を全滅させたのはジークであると見た方が自然だと、陛下は判断したとのことだったわね。
「そういったこともあって、ジークが王城に行った時に暗部が監視していたそうだけど……隠れていた全員が居場所を突き止められたそうよ」
アコニタムの私兵騒動の後でお父様が教えてくれたことだけど、殺されていた私兵は大規模な魔法た毒でまとめてでは無く、一人一人刃物のようなものでとどめを刺されていたらしく、暗部の人間からは、「こんなのは人間に出来る業ではない」と評されたらしい。
確かに、ジークなら魔法で二百人をまとめて始末することも可能だっただろうけど、あの時の私兵は東西南北に分かれていたそうだし、魔法を使っていれば流石に誰かが音や光で気が付くはずだし地形も変化していないとおかしい。そんな証言がなかったということは、ジークが何かしらの方法で数十人を誰にも気付かれることなく始末しただけでなく、それを四回も繰り返したということになる。
「学園にある四か所の出入り口は、それぞれかなりの距離があるのにそれを短時間で移動して、その近くに潜んでいた数十人の私兵を誰にも気が付かれることなく全員を殺害。それを四回繰り返したのちに、暗部にすらその後の足取りを掴ませずに国外へと逃亡……ではなく避難した。専門家が調べた結果だと言われても、普通は信じられないわよ」
その話の全てが本当だったとしたら、ジークはその気になれば陛下すらたやすく暗殺できてしまうかもしれない。それがお父様がジークを警戒する理由の一つだろう。
「そうだとしても、逆に言えば味方に付いている限り、男爵は非常に頼もしい存在であると言えます。失礼を承知でお聞きしますが、なぜ公爵様は男爵に対してきつく当たるのでしょうか?」
確かにお父様はジークを厳しい目で見て警戒してはいるものの、近くで見ている限りではそこまできつく当たっているということは無いはずだ。ただまあ、シャーリーの言う通り、はた目から見るとそう見えてしまうのは仕方がないだろう。
「それなんだけどね。以前陛下が冗談で……本当に冗談での話でよ。私の婚約者に、ジークを選んではどうかと私とお父様に提案したことがあるのよ」
「えっ⁉ それは……確かに陛下にしてみれば、ご自身の姪と目をかけている子爵家の養子を引き合わせたいと思うかもしれませんが、その……身分的につり合いが取れないのではありませんか?」
確かに、公爵家の私と子爵家の養子であるジークは、身分的につり合いが取れていないかもしれないけれど、
「これはまだ確定ではないそうだけど、陛下は近々ヴァレンシュタイン子爵を伯爵にすることを考えているそうなのよ。子爵は縁が切れているとはいえ元をたどれば伯爵家の縁戚だし、奥様は伯爵家のご出身よ。それに加えて陛下の一番の親友だと言われているし、先代の陛下からの信頼も厚かったわ。陛下にしてみれば、そんな人物を子爵のままにしておくよりは伯爵にまで爵位を上げておいた方が、言い方は悪いけど色々と使い勝手がいいと言えるわ」
まだどうなるか分からない話だけど、そうなればジークは養子ではあるけれど伯爵家の嫡男と言うことになる上に本人は別で男爵位を持っていて、ソウルイーターを討伐して単独でアコニタム家から学園の生徒たちを守ったという歴史書にも載りそうな功績がある。それに伯爵位で本人の功績が十分となれば、公爵家の私が嫁いだとしてもおかしくはない。
「そうなると、陛下の最大の味方ともいえるカレトヴルッフ公爵家と、陛下が長年信頼しているヴァレンシュタイン家が縁続きとなり、次代の国王となられるアーサー王太子殿下の治世も強固なものとなるわけですね」
「ええ、そうなれば……ね。でも、それに反対したのがお父様よ。まあ、面と向かってではなく、それとなくではあるけれど。その理由も、ヴァレンシュタイン家を敵視しているのではなく、自分がガウェイン卿が嫌いで、そんなガウェイン卿に似たところのあるジークが気に食わないからという、到底貴族とは思えない子供じみた感情からよ。流石にこの話をお母さまから聞いた時には、お父様のことを軽蔑したわね」
一応それ以外にも、自国の貴族に私を嫁がせるよりも、他国の大貴族に嫁がせた方が王国と公爵家への利が大きいという考えもあるみたいだけど……それでも、真っ先に出た反対の理由がジークが気に入らないからだというのは馬鹿みたいな話だわ。せめてそれは第二の理由にしてほしいところよ。
「まあ、陛下としても、エマ王女よりは私を国外の有力者に嫁がせた方が利益があると考えたようで、冗談という形にとどめて強くは言わなかったけれどね」
それに、公爵家とジークを縁続きにしなくとも、ヴァレンシュタイン家は王家の派閥だし、ジークは敵も多いけどその分だけ実力も注目度も高い、それなら同じ派閥か中立や王家寄りの貴族の嫁を娶らせるように動いた方が、王家の派閥拡大につながるという考えもあるのだろう。
「お嬢様は残念ですか? 男爵がご自身の婚約者にならなかったことが?」
シャーリーの言葉に私は少し考えて、
「そうね、少し残念ね。ジークと結婚することになれば、慣れ親しんだこの国を出て行かなくてもいいし、公爵領にも遊びに戻ることが出来る。それに何よりも、退屈はしなさそうだからね」
その分苦労しそうだけど……とまでは言わずに笑って答えた。