第五話
「ジーク、そこに座りなさい」
「今のは流石にないわ……照れ隠しにしても、絶対にないわ」
エリカに吹き飛ばされた後、俺はサマンサさんとエンドラさんによって床に正座させられていた。しかも、盛大に噴き出た鼻血の治療も許されずにだ。
なので仕方なく、俺はガウェインと同じように鼻の穴に布を詰めて血を止めようとしているのだが……一向に血が止まる気配がないので、もしかすると鼻の骨が折れているのかもしれない。
そんな状況の中、カラードさんとアーサーは多少同情しているみたいだったが、下手に口を出してサマンサさんたちに睨まれてはたまったものではないと言った感じで、息を殺してこちらの様子を窺っていた。
そしてガウェインは……二人に気が付かれないようにニヤついた顔で俺を見ていた。
「あ、あの~……べ、弁明をさせていただいても……よろしいでしょうか?」
「「「何?」」」
正座している俺を見下ろすように仁王立ちしている三人に、俺は小さく手を上げて発言の許可を得ようとしたが……三人が声を揃えて返事する者だから、思わず手を引っ込めてしまった。
「何かあるなら言いなさい」
「もしもつまらないいい訳だったら……フランベルジュさん、許可しますからもう一発お見舞いしなさい」
流石師弟と言いたくなるような息の合った連携で、エンドラさんとサマンサさんが答えると、それを聞いたエリカが拳を握り、軽く素振りをし始めた。
「いえ、あの……俺はエリカが面倒臭いと言ったわけではなく……えっと……エリカに頼んだ場合、周りが騒ぎ立てるのが目に見えているので、それが面倒だという意味で言ったわけでして……」
なるべく慎重に言葉を選びながら、あの発言の意味を説明をしているというのに、何か言うたびにエンドラさんとサマンサさんが睨みつけてくるものだから、自分でもものすごく言い訳臭いことを言っているように思えてきてしまった。
「その……ですね。特に、フランベルジュ伯爵がですね……エリカをパーティーのパートナーに選んだということを知れば、その……大騒ぎしながら突撃してくるような気がして……ですね」
何とか説明し終えて三人を見ると……エリカは俺の考えたことが理解できたのか、少し気まずそうな顔でそっぽを向いていたが、エンドラさんとサマンサさんは、
「「それがどうかしたの?」」
と言いながら、睨むのを止めなかった。
「ジーク、あなたはすでに貴族の一員、それも爵位を持つ当主になったのよ。それなのに、女性に対して面倒臭そうだとか言ったのが他の誰かにバレてみなさい。少なくとも、貴族の半分近くを敵に回すことになりかねないわ。それが例え誤解だとしても。それに、それが誤解だったと理解してくれる人がいたとしても、ジークの信用は少なからず下がることになるわ」
「それに、ジークは貴族として一番の新参者。その分だけ目立つわ。そして貴族の中には、そう言った目立つ存在を嫌う者も存在する。それは敵対派閥は当然だけど、同じ派閥の中にもいるわ。むしろ、そっちの方が多いかもしれないわね。かく言う私も、今代の緑になった時にそれまでの功績と合わせて伯爵位を頂いたわけだけど……今でも嫌がらせを受けるくらいだから、伯爵になりたての時はすごかったわよ。もっとも、その時に嫌がらせして来た奴の何人かは、もうこの世にいないけれどね」
サマンサさんとエンドラさんがありがたいお説教をしてくれていたのは理解できたが……エンドラさんの最後の言葉で、何か全てを別方向に持っていかれた気がする。
「それに、フランベルジュ伯爵家は、ジークが伯爵家は敵対派閥に寝返ったわけではないという感じに持っていったとは言え、厳しい立場にあるのは間違いないわ。邪推する者は、自分に都合の良い情報しか信じないものよ。そんな中で、ジークがエリカさんをパーティーのパートナーとして連れて行けば、邪推したい者が何を言っても、信憑性は薄れるわ。何せ、ジークは陛下の代理を任されるくらいには、陛下のお気に入りと言えるからね。逆にジークがエリカさんを面倒臭いと言ったことが外に漏れた場合、邪推したい者たちは喜んであることないこと吹聴するでしょうね」
別にエリカが面倒臭いと言ったつもりはないが、あの言い方だとそう取られても仕方がないかもしれないし、サマンサさんの言っていることも理解できる。だけど、だからといて俺にどうしろと言うのだろうか? そう思っていると、
「そういった理由から、伯爵家はジークに多大な恩があると言えるわ。だから、悪い言い方だけど、それを利用するのよ」
サマンサさんが、俺の疑問に気付いたかのように、少々人聞きの悪いことを言いだした。
「利用? エリカを?」
「ええ、とは言っても、エリカさん……フランベルジュ伯爵家にも、十分見返りのある話よ」
そう言ってサマンサさんは、俺とエリカに視線を交互に向けて、
「まず、ジークはパーティーの参加を辞退したいけれど出来ないから、目立たないようにひっそりとしておきたい。でも、このままではどうあっても女生徒に騒がれてしまう可能性が高い。だけど、エリカさんにパートナーを頼むのは迷惑になるだろうし、周りが……特にフランベルジュ伯爵が違う意味で騒ぐだろうから、頼みたくても頼めない。そうね?」
何か少し違った気がするが、概ね合っているので頷くと、
「それなら答えは簡単よ。結論から言うと、エリカさんにパートナーになって貰ったとしても、ジークが思うような騒ぎにはならないと思うわ。まあ、完全にと言うわけではないでしょうけど」
予想外の言葉が返って来た。
「このタイミングでエリカさんをパートナーとしてパーティーに参加すれば、少しでも貴族の世界を知っている生徒から見れば、それは政治的なものであると分かるはずよ。具体的に言えば、陛下の派閥の中で孤立する可能性のあるフランベルジュ伯爵家を陛下のお気に入りであるジークがフォローしている。それはつまり、陛下から何かしらの指示があったということで、陛下はフランベルジュ伯爵家を必要としているというメッセージになるわ。とは言え、それが分からないか空気を読まない生徒はいるでしょうけど、そう言った生徒は、邪推するのが大好きな者の次の標的にされるでしょうね」
などと、サマンサさんは面白そうに笑っている。確かにそれなら、エリカに迷惑は掛からないし、フランベルジュ伯爵家にも見返りは十分あると言えるだろう。
「それに、そんな事情があるからと言っても、パートナーのいる人に軽々しく誘いをかけるのは恥ずべき行為と声高に批判することが出来るから、しつこい相手には多少強引な手段で遠ざけても文句を言われることは無いわ。ただ、いくら大義名分があるとはいえ、やり過ぎには注意よ。過去にパーティーで騒ぎを起こした生徒の卒業が取り消されたこともあるから、やり過ぎればジークもその例に倣って……なんてことになりかねないからね」
一体、どんな馬鹿がどんなことをやらかしたんだ? と思ったが、それは後で調べればいいかと思い、まずは、
「それならエリカ、申し訳ないが、頼めるか?」
とエリカに声をかけた。すると、
「ジーク、その誘い方は無いわね。ごめんなさいね、エリカさん。本当なら、こういったことは私が教えておかなければならなかったんだけど……ジークはこんな性格だし、ちょっと遠くまで家出をしていたものだから、女性に対する礼儀と常識が欠けているのよ」
と言って、サマンサさんは俺を睨んで、エリカに謝っていた。
そんなサマンサさんを見て俺は思わず、「おかんかよ!」と突っ込みそうになったが、よくよく考えてみると、サマンサさんは俺の養母だった。
「それはこちらからお願いしたいくらいですので、特に気にしてはいません。ジークの性格に関しては、今更なところもありますし……お父様には、私から事情を話して暴走しないように釘を刺しておきます」
「それじゃあ、お願いね。子爵家からもその旨の手紙を伯爵に送りますし、ジークからも出させます。アーサー様、そう言った感じでよろしいでしょうか?」
「へ? ……あ、ああ、了解しました。この件に関しては陛下より一任されていますが、一応私の方から陛下に報告して許可を貰っておきます。恐らくは問題は無いと思いますが、何かあればすぐに連絡するようにしましょう」
アーサーは我関せずだったところにいきなり話を振られたせいか少し驚いていたが、すぐに切り替えて返事をしていた。
あまり気にしたことが無かったが、こういったところを見るとちゃんとした王太子なんだな……と感心してしまう。
そんな感じで、ひとまず俺は正座から解放されたのだが……ガウェインはカラードさんからの許可が出なかったので、話し合いが終わり学園長室を出るまでずっと正座をさせられていた。
そして、途中から完全に気配を消して空気と化していたブラントン先生はと言うと、
「学園長、終わりました」
エンドラさんに書類整理をさせられていた。
「ご苦労様。ごめんなさいね、こんな仕事を押し付けてしまって」
「いえ、どうせ話に混ざることが出来なくて手持ち無沙汰でしたから……とりあえず、私が出来るところはやっていますが、学園長の許可が必要なところは別に分けてまとめています」
謝るエンドラさんに、ブラントン先生はにこやかに答えているが、あれは多分巻き込まれるくらいなら仕事を押し付けられていた方がマシだと考えている顔だろう。
「ご苦労様。ブラントン先生、ろくに構えないどころか雑用を押し付けてしまって、ごめんなさいね。戻っていいわ。ただし……」
「この部屋で見聞きしたことは、一切私の記憶にございません。不思議なことですが、それだけ仕事に熱中していたということでしょう。これで失礼させていただきますが、何かあれば遠慮なくお呼びつけください」
ブラントン先生はそう言って、そそくさと学園長室から出て行った。
「流石にミックは慣れているな」
部屋を出て行った先生を見て、ガウェインはそう言っていたが……その様子を見たカラードさんは険しい顔をして、
「ガウェイン……誰のせいでブラントン教諭に苦労を背負わせたと思っているんだ!」
ガウェインを怒鳴りつけていた。
「ブラントン先生には、子爵家から何かしらのお詫びをしないといけないわね。費用は、ガウェインの給料をつぎ込めばいいわ」
サマンサさんは、再度カラードさんに雷を落とされているガウェインを見ながら頭を抱えていた。
「そう言えば、エリカ。パーティーって言うくらいだから、それ相応の服じゃないといけないのか?」
「いえ、基本は学生服で出ることになるわ。そうでないと、平民出身や貴族でもお金に余裕のない家の生徒もいるから、生徒の自由にすると格差がすごいことになるからそうなっているのよ。ただ、例外もあるわね」
エリカがドレスで出るとなると俺もそれに合わせるべきかもしれないと思い聞くと、この学生服でいいとのことだったので一安心したが、エリカが最後に行った例外と言うのが気になった。すると、
「例外と言うのは、私のような者だな。それと、外国からの留学生だ。私のような王族は専用の儀礼服を着て出席するのが慣例となっている。まあ、実際に着るかどうかは本人が決めるとなっているが、歴代の王太子は全員が儀礼服で出ているな。そして留学生だが、この学園の制服を着る者が一番多いが、中には短期留学ということで国元の学園の制服を着たりする者もいる。他にも、私と同じで他国の王族だった場合は、専用の儀礼服で出席することもある」
「なるほど、それが例外か……とりあえず俺の場合は、この制服でいいということか」
学生服でいいのなら、そのパーティーの時に余程汚れていなければいいということだ。まあ、この制服が汚れたとしても、予備があるので問題は無いはずだ……と思っていると、
「殿下、あまり知られていませんが、例外はもう一つありますよ」
エンドラさんが不吉なことを言い始めた。
「もう一つと言うのは聞いたことが無いが、それは確かな話なのか学園長?」
アーサーも初耳だったようで、驚いた顔でエンドラさんに聞き返していた。
「それは本当ですか? 私も聞いたことがありませんけど」
さらにはサマンサさんも知らなかったそうで、興味深そうにしていた。
「ええ、本当ですよ。ただ、特殊な条件でのことですし、最後の事例が私が学園を卒業してすぐ後の話ですから、知らない人が多いのは仕方がないでしょう。ただ、当時の学園の記録を記した資料にも書かれていますし、確か王城の書庫にも同じようなことが書かれているものが残されているはずですから、確かめてみるのもいいかもしれませんね」
と、エンドラさんは楽しそうに笑っているが……間違ってもここで、「何年前の話ですか?」と聞いてはいけない。聞けば最後、後ろでカラードさんに怒られているガウェインよりも酷い目に会うのは、火を見るよりも明らかだ。なお、
「ジーク? 何か言いたいことでも?」
思うだけでも危険なので、すぐに記憶から消し去るか、別の話題で気を逸らすしかない模様だ。
「ええ、俺としては、速くその例外と言うのを知りたいんですけど……話の流れからすると、俺にも関係ありそうですし」
なので、全力でエンドラさんの気を逸らしにかかることにした。
「まあ、いいわ。その話は後にしましょうか」
効果は薄かったようだが……
「とにかく、もう一つの例外だけど、それは卒業するのが貴族の当主の場合ね。貴族によっては正式な場に出る時に切らなくてはならない儀礼服を持つ家もあるから、その前例の人も卒業パーティーでは儀礼服で参加していたそうよ」
貴族の当主として、正式な場に出る時には儀礼服を着る必要があるというのは分かったが……俺は儀礼服なんて持っていないぞ。と思っていると、
「そして今回、新たな例外が生まれることになるのよ。前例となっているのは、戦争や病気で先代の当主を無くし、急遽学生の身で家を継ぐことになった方々で、元々儀礼服が存在していたわ。それに、家を継いでからパーティーまで時間があったから、自分に合ったサイズを作る暇とお金があったけれど、ジークは子爵家の養子とは言え、単独で功績を挙げて別の貴族の当主になったから、新たな例外と言うことになるわ」
さらにエンドラさんの説明が続いた。
「つまり、同じような例外はあったけれど、俺の場合はそれに当てはまらないので……どうすればいいんですか?」
その説明でもどうすればいいのか分からなかったので、答えを聞くことにすると、
「つまり、似たような例外があるけれど、ジークは当てはまらないから好きに作っていいということよ。まあ、今から儀礼服を作るのは時間的に厳しいし、ジークは目立つことを避けたいみたいだから、学生服での参加でいいでしょう。ただ、貴族の当主ということで正式な場ではそれらしい服装をしないといけないけれど、時間もお金もないということで、家紋の入ったマントでも身に付けていればいいんじゃないかしら?」
と言われた。
一応、儀礼服を作るくらいの金は持っていると思うが、今後出るかもしれない後続の為にも、ここはエンドラさんの言う通りにした方がいいだろう。その方が俺も楽できるし。ただ、
「俺、家紋なんて持っていないんですけど?」
問題はこっちだ。マントならそんなに時間はかからないだろうが、マントに入れる家紋が無い。と言うよりも、貴族の当主になったから、自分の家紋を作らなければならないということを考えてすらいなかった。
「まあ、それに関して言えば、ジークが良ければだけど家紋はヴァレンシュタイン子爵家に似たものを作ればいいと思うわ。それに、もし後々ジークと同じ状況の生徒が現れたとしても、マントが重要ということにして、別に家紋入りでなくてもいいと資料に残せばいいだけの話だし」
それなら俺も無地のマントで……と思ったが、それだともしかすると俺とヴァレンシュタイン子爵家の仲がに何か問題があるのではと邪推されるかもしれないので、ここは大人しく家紋を借りるかまねた方が無難だろう。
「そう言うことなら、子爵家のものに似せて作ります。ヴァレンシュタイン子爵家の家紋は、確か鷲でしたよね? それなら俺は、鷹にします」
これで後はデザインを決めて、マントに刺繍でもすればいいので時間はかからないだろう。それで、肝心のデザインだが……
「サマンサさん、家紋のデザインはどうやって決めるんですか?」
「貴族の家紋は、紋章官の管轄ね。自分でデザインを考えて紋章官に提出する人もいるけれど、もしも似すぎているものが存在していると新しい方が却下されることがあるから、担当する紋章官に家紋の希望を伝えて何種類か考えてもらい、その中から選ぶというのが基本と言えるわね。子爵家のも、紋章官に作成してもらった中からカラードが選んだはずよ……そうよね?」
「ああ、俺が陛下に爵位……男爵位を貰った時に担当してくれた紋章官に鷲を使いたいとだけ希望し、いくつか考えてもらった中から、岩にとまっているものを選ばせてもらった」
カラードさんは昔を懐かしむように話していた。
「鷲を選んだのは何か理由があったんですか?」
「鷲は何と言うか……空の王者という雰囲気があるだろ? まあ、実際にはワイバーンやドラゴンや他の魔物もいるから、強さで言えば王者とは呼べないかもしれないが、そう言いたくなるような気品のようなものを俺は感じてな。それに、ドラゴンは王家の許可なしには使えないという事情もあったし、だからと言って他の魔物を使う気にもなれなかったというところだ。ついでに、岩にとまっているデザインを選んだのは、鋭い視線で周囲を見守っている感じで考えたと言われたからだ」
ヴァレンシュタイン子爵家の家紋にはそう言う意味があったのか……と思いながら、エンドラさんに視線を向けると、
「私のは杖にとまるフクロウで、デザインは私が考えたものよ。杖は魔法を使うものが好んで使う道具で、フクロウは知恵の象徴ということで選んだわ」
フクロウは森の賢者とも言うらしいから、エンドラさんの家紋はエンドラさん自身を現しているとも言えそうだな……って言うか、
「エンドラさんの家名ってなんでしたっけ?」
未だにエンドラさんのフルネームを知らないことに気が付いた。
流石にこれはヤバいと思い、さり気なく皆の様子を窺ってみたところ……どうやらエリカも俺のお仲間みたいで、俺と同じように皆の様子を窺っていた。そして目が合った。
「その様子だと、ジークだけでなくフランベルジュさんも知らないようね」
エンドランに言われて、エリカは申し訳なさそうな顔をしていたが……エンドラさんはどこか楽しそうだった。
「まあ、フランベルジュさんが知らないのは仕方がないわ。学園では私のことを名前で呼ぶ生徒は少ない……と言うかジークしかいない状態だったから、むしろジークが知らない方が驚きね。あれだけ面倒を見てあげたというのに」
と、エンドラさんはエリカとは違い、俺には鋭い視線を向けて来た。そこに、
「師匠、それは仕方がないと思いますよ。師匠は家名を持っていないのですから、そもそも知りようがありません」
サマンサさんが驚きの発言をした。
「サマンサ、そんな簡単にばらさなくてもいいじゃない。もう少しジークの反応を見て楽しもうと思っていたのに」
確かに、家名自体が存在しないのなら知りようがないが……家名がないのは貴族として大丈夫なのか? そう思っていると、
「ジーク、エンドラ様は特別に許されている。そもそも王国に置いて、貴族に家名が必要なのは領地や歴史に財産と言ったものの管理と次代への受け継ぎをしやすくする為だ。あった方がいいのは事実だが、絶対に無ければならないというわけではない」
アーサーがそんな隠し技みたいなことを教えてくれた。
「殿下の言う通り、私には引き継がせるようなものと言えば、家とお金と家財道具などの収集物に研究資料くらいかしらね? それらも私の死後はサマンサに処分を頼んでいるし、領地や歴史を持たない一代貴族だからこそ出来ることね」
いや、それっぽっちみたいな言い方をしているが、エンドラさんの研究資料や収集物なら、それこそ国が管理するようなものが含まれているのではないだろうか? それに、家や家財道具がどれほどのものかは分からないが、エンドラさんのことだから妥協して選ぶとは思えないし、お金も今代の緑で学園長をしているのだから、一般人の数回分の人生を足したくらいの金額を持っていてもおかしくはない。
「そう言うわけだから、ジークとエリカさんが私の家名を知らないのは当然だけど、無いことくらいは知っておいて欲しかったわね」
確かに、エンドラさんの家名を答えろと言われたとしたら、答えのない問題を出した方が悪いと言えるかもしれないが、それでも家名がないと答えることも可能だったわけで、勉強不足……とは少し違うが、恩人の基本的なことを知らないのは恩知らずと言われても仕方がないかもしれない。
「え~っと、それでフランベルジュ伯爵家の家紋はどんな感じなんだ?」
ただ、そろそろこの話を切り上げないとどこまでいじられるか分からなかったので、少し強引に話題を逸らすことにした。
「うちは二頭の狼ね。狼は群れで行動する生き物だから、領民と一丸となれるようにと言うのと、二頭は夫婦を現していて、子供らを守るように立ちふさがっているところを現していると聞いたことがあるわ」
その子供らは家族と言う意味もあるのだろうが、もしかすると領民も同じように守るという決意も含まれているのかもしれない。
「アーサーのところはどんな感じだ?」
「王家は獅子だな。ただそれとは別に、父上はグリフォンのものも使っている。つまり、獅子は王族なら使えて、グリフォンは王のみが使えるということだ」
この世界でも獅子は獣の王者として扱われることがあるので、この国の王家が使うにふさわしいと言える。それに加え、地を駆け空を飛ぶグリフォンが王様専用と言うのも十分納得できる。
グリフォン以外で地上と空の王者はと言われればそれはドラゴンだろうということで、ドラゴンを家紋に使うには王家の許可がいるというのも納得だ。
ただそうだとすると、
「カラードさん、空の王者の鷲を家紋に使うと言った時、周りから何か言われませんでしたか?」
空のみとは言え、王者の風格を感じたからと鷲を選んだカラードさんは、下手をすると危険人物だとみなされた可能性があったのではないだろうか? そう思い聞いてみると、
「方々から言われたな。空の王者みたいだからとか言う理由で、王家や公爵家を差し置いて鷲を選ぶとは何事か! ……と言う具合にな。ただ、確かに最終的には自分で鷲を選んだが、元々は先代の陛下から提案されてのことだったし、選んだ理由を当時の王太子だったウーゼル様が周囲に説明してくれてな。渋々ながら、陛下のご提案ということで表向きは収まったんだ」
案の定、周りからのやっかみがすごかったらしい。まあ、当時の国王陛下から提案されたとしたら、断るのは逆に不敬ということで周りは納得したのだろう。
それにしても、学生時代からウーゼルさんと仲がいいのはよく知っているが、今の話からするとカラードさんは、先代の陛下にもかなり気に入られていたということになる。それこそ、個人的な感想とは言え、空の王者を家紋に許されるくらいに。