第十九話
「た、頼むから、普通に、走って、くれ……」
俺がダイカイギュウの相手をしていると、ようやくおっさんが追いついてきた。
おっさんはかなり急いでいたようで、息も絶え絶えという感じだった。なお、グランドは怪我の影響かはたまた体格のせいなのか、まだ姿が見えない。
ちなみに、今いる場所は本来関係者しか入ることが出来ないところらしく、野次馬は大分離れたところで足止めを喰らっている。
「別にゆっくり来ても問題なかっただろうに……っと、すまんな」
おっさんに気を取られていると、水面から水しぶきが上がった。
「な、何だ?」
かなり大きな音だったので、肩で息をしていたおっさんがとっさに身構えたが、俺が焦っていないのを見て警戒を解いた。
「ダイカイギュウがキャベツを寄越せと言ってるんだよ」
おっさんの疑問に答えた俺は、箱ごと出していたキャベツを一つ取り出して、四つに切り分けてから海に投げた。
「ダイカイギュウを餌付け中というわけか……てか、何で餌をやってるんだ? ……ああ、あれのお返しか」
息を整えたおっさんが不思議そうに海を覗き込んで、俺の行動の意味を理解した。
「なんか、また昆布を持ってきてくれたんで、そのお返しになりそうなものがあったから試しにやってみたんだが……ものすごく気に入ったみたいでな」
助けたダイカイギュウ以外にも、少し小柄なダイカイギュウが三頭ついて来ていたのだが、そいつらもキャベツを気に入ったらしく、先程から何度もキャベツを切り分けて投げているのだ。
なお、ダイカイギュウたちは丸のままのキャベツでも問題なく食べることが出来ていたが、丸ごとだと食べかすが多く出てしまったので、ダイカイギュウにとっての一口サイズに切り分けているのだ。
「ふ~ん、そうだったのか……じゃなくて! 何で海の上を走れるんだ!?」
おっさんはダイカイギュウがキャベツを食べているところを腕を組んでみていたと思ったら、急に思い出したかのように俺に詰め寄って来た。
「お前、目立つことしたくなかったんじゃないのかよ!」
「いや、確かに目立ちたくはないけど、あんな人ごみの中をかき分けて行ったらもみくちゃにされるだろうし、そもそも理論的には水の上を走るのは難しくないぞ。それに、あのサメを倒したところからここまで直接来たわけではないし」
水面は、水と風の魔法が使えれば走ることが出来る。簡単に言えば、二つの魔法がぶつかる時に生まれる反発力を利用するのだ。
先程俺がやったのは、足の裏に風魔法を発生させた状態で片脚が着水する場所に水魔法で板のようなものを作りだし、それを連続で行うことで水面を走るという方法だ。ただまあ、それだけだと波の影響などで変な方向に弾む可能性があったので、踏み込んだ時にバランスが崩れそうになった場合は、手のひらから風魔法を使って修正していたのだ。
それに、水と風の魔法を同時に使えるという条件があるものの、魔法の難易度としては高いものではないので、やり方を知っていれば割と出来る人は多いと思う。
おっさんにそう説明すると、
「いや、そもそも実用可能レベルの魔法適性を二種類持つというのは限られるし、別々の属性魔法を同時使用は難しいぞ。ジーク、誰も彼もがお前みたいに規格外だと思うなよ!」
おっさんに指差しで指摘された。指を差されてイラっと来たので、その指をひん曲げてやったけどな。
「ふぅ、ふぅ……流石にまだ全力が出せんな……ジーク、バルトロさ……」
おっさんが指を押さえて悶えていると、グランドやって来た。その後ろには、組合長の奥さんもいる。
グランドは怪我の後遺症がまだあるようで辛そうな様子だったが、一応走ることが出来るくらいには回復しているようだ。そんなグランドは、俺とおっさんに声をかけようとして、悶えているおっさんを見て驚いていた。ただ、ある程度おっさんに慣れてきたようで、すぐに無視していたけど。
「それでジーク、ダイカイギュウがまた来たと聞いたが……餌をねだりに来ただけなのか?」
グランドはここに来る途中でダイカイギュウのことを聞いたらしく、何があったのかと心配していたみたいだが、キャベツを食べているダイカイギュウを見て問題があったというわけではないことに気が付いだ。
「いや、ダイカイギュウたちがまた昆布を持ってきてくれたんだが、そのお返しで持っていたキャベツを渡したら、なんか気に入ったみたいでな」
おっさんにしたのと同じ説明をグランドにもすると、
「また昆布が!?」
グランドよりも、組合長の奥さんの方が反応した。
「ああ、そう言えば、サメのことで義母さんも連れて来ていたんだった」
グランドはすっかり奥さんのことを忘れていたようで、思い出したかのように組合長の奥さんがいることの説明をしてくれた……が、そんなことよりも俺が気になったのは、組合長のことは『親父』と呼んでいたのに、その奥さんに関しては『義母さん』と呼んだことだった。まあ、大した意味があるわけではないだろうが。
「すみません。こんなに短期間で完璧な形の大王昆布を見ることがあまりなかったもので……それで、サメの食べられる部位の知りたいとのことでしたが、基本的に骨を除いた全ての部位を食べることが出来ます。ただ、血のように臭いが強かったり、エラのように汚れがひどいということがありますので、大体は心臓、肝、胃、腸だけということが多いですね。もっとも、場合によっては胃や腸も臭いが酷かったり、心臓や肝に毒を持った寄生虫が潜んでいることもありますので、程度によっては諦めなければならないことも多々あります」
とのことだった。
なので、後ほど昆布を分ける条件でサメの仕分けを手伝って貰えるように交渉した。しかし、
「それだとこちらが貰い過ぎなので、何か用意します」
と言われた。
ほぼ解体済みになっているサメの仕分けを手伝うだけで、高級品である大王昆布は釣り合わないとのことらしく、俺がまた買い物すると聞いて、その時に何かおまけを用意してくれるということになった。
ちなみに、何故今すぐではなく後ほどなのかと言うと……
「ジーク、ダイカイギュウが餌をくれと腹を叩いているぞ」
ダイカイギュウに昆布のお礼をする為だった。
組合長の奥さんの言葉を借りるなら、俺こそ昆布の代わりにキャベツを食べさせているのは釣り合いが取れていない。もっとも、ダイカイギュウにとっては、昆布よりもキャベツの方が勝ちがある可能性もあるけれど。
最終的にダイカイギュウの残りの仲間も来た為、俺は全てのキャベツを放出することになった。まあ、それでも値段的には俺のぼろ儲けになるので問題は無い。
その後はサメの仕分けと下処理を手伝って貰い、食べられる状態にして保存し、それから魚を買い集めた。ついでに買った魚をさばくのも手伝って貰い、おまけも沢山いただいた。
港が人で溢れていたのを見た時はどうなることかと思ったが、最終的にはかなり満足の行く結果となった……アキノが来るまでは、
「ジーク様、申し訳ありませんが、商業組合の事務所までご一緒願います」
アキノはどこからか俺が組合長の奥さんたちの作業場にいると聞きつけたみたいで、息を切らせながらやって来て、有無を言わせぬ様子で俺を事務所まで連行した。
断っても問題ないとは思ったのの、かなり厄介なことが起こったみたいだったので、大人しくついて行くことにした。
そして商業組合の事務所のいつもの部屋に通されてすぐに、
「ジーク様、今代の雷をご存じですか?」
真剣な顔でそんなことを聞いてきた。
「いや、聞いたことは無いな。ていうか、ついに雷属性でレベル10になった奴が現れたんだな。しかしそれよりも、黄じゃなくて雷なのはなんでだ?」
通常だとレベル10は色で例えられるので、雷属性の場合は黄色で表される。例外があるとすれば、まだ定義されていない属性が発見された時だと聞いたことがあるが、残念ながら雷は風から派生したもので、かなり珍しい属性でありこれまでにレベル10に至った者がいないと言われているが、新発見ではないので今代の黄と呼ぶのが通例のはずだ。
関係のない者からすれば、別に黄だろうが雷だろうが関係ないかもしれないが、俺自身が今代の黒であるせいで少し気になってしまった。
そんな俺の質問に対しアキノは、
「……本人の強い希望だそうです」
と答えた。
まあ大方、呼び名としては今代の黄よりも今代の雷の方がカッコいいとでも思ったからなのだろう。
「それで、その今代の雷がどうしたんだ?」
話が逸れてしまったので元に戻すように質問すると、
「ジーク様に対して、もしかすると今代の雷の名で招集がかかるかもしれません」
「何でだ?」
会ったことも無いし、俺が今代の黒であることは極一部を除いて隠されていることなので、当然向こうは知る由も無いはずだ。
それなのに、俺に招集がかかるかもしれないという意味が分からない。
「まだ決まったわけではありませんが、もしかするとバルムンク王国と戦争が起こるかもしれません。この国はバルムンク王国とは長年同盟を結んでいますが、実際のところは国力にかなりの差がありますし、帝国に侵略されそうになった時は助けてもらうという約定がある為、むしろ属国に近いと言う者もいます。そんな中での今代の雷の出現であり、その今代の雷はこの国の中央政府が確保しています。その為、中央政府がこの国の立場を向上を目的に、バルムンク王国に対して強引な手段に出るかもしれないという噂が出ているのです」
「それで、戦力になりそうな奴を集めるかもしれないというわけか」
しかも、招集と言って俺に選択権があるように見えて、実際のところは命令に近いものということだろう。
「ジーク様はドラゴンを倒していますし、多くの人の目の前で大きなサメの魔物も倒しています。話半分としても、戦力としては十分だろうと判断させると思います」
他国の者であっても、冒険者なら金さえ積めば引き抜きは容易いはずだと思われてもおかしくはないし、もし断られても、今代の雷の力で無理やりにでも従えさせればいいと考えているかもしれない。
「相手の実力がどれほどのものか分からない以上、戦いは避けた方が無難か……おっさん、悪いが俺は明日にはジモンを出ることにする」
「いや、ジークだけでなく、俺たちも出た方がいいだろう。自分で言うのも何だが、俺は他の国でもそれなりに名が知られている方だし、フリックも実力と経験を備えた冒険者だ。チーは……女というだけで連れて行かれる可能性がある」
確かに俺だけこの国を出た後で招集がかかり、その時におっさんたちが残っていた場合、この街の人間がわざと逃がしたなどと難癖を付けられる可能性がある。
それよりは依頼を終えたのでスタッツに帰ったという風にした方が自然だし、そうすればスタッツに追いかけてきてまで難癖を付けるような真似はしないだろう。
「なら決まりだな。すぐにフリックとチーにも伝えないとな……とその前に……アキノ、今代の雷はどんな奴だ? 性格とか容姿とか、知っていることを出来るだけ教えてくれ」
何かあった時の為に、少しでも情報を仕入れておかねばならない。
そう思って聞いたのだが、
「そうですね……一言で言うなら、クソガキですね」
アキノは間髪入れずにそう答えた。
流石のクソガキ発言に、俺もおっさんもどういう意味なのか分からずに言葉を失っていると、
「失礼、つい汚い言葉を使ってしまいました。先に言わせてもらいますと、私は直接今代の雷を知っているわけではありません。今のはこの情報を持ってきてくれた仲間から今代の雷に関する話を聞いた時につい口に出してしまったのがあの言葉だったものですから……ちなみにですが、その仲間は今代の雷と会って言葉を交わした者から聞き、自身も話はしていないもののも直接その目で確かめたそうですが、私と同じことを思ったそうです」
アキノが聞いた話では、今代の雷はわがままで粗暴な行動が目立ち、自分の気に入らない者には高圧的になり暴力を振るうことも珍しくないそうだ。
今のところ今代の雷に殺されたという者はいないとなっているそうだが、それは中央政府によって隠蔽されているだけで、犠牲者は相当数存在しているとアキノたちは考えているらしい。
「一応公表されているのは、今代の雷はこの国の出身者であり、今年二十になる男性。地方の小さな村の孤児で、その才能をたまたま訪れた政府高官に見いだされ、今はその高官の養子となっているとのことです。しかしながら、その村の詳細や誰の養子になっているかなどは非公開とされています。表向きは莫大な利権が発生する可能性が高い為、その村や高官、そして今代の雷を守る為の措置だとされていますが……」
「信じている奴は少数ということか?」
「その通りです。その為、我々は今代の雷が異界人ではないかと睨んでおります。その根拠として、今代の雷はこの国の常識を知らなすぎます。例え、長年にわたり世間から隔離されて育てられてきたのだとしても、あそこまで一般常識が欠けている、もしくは間違っているとは考えにくいのです」
アキノが言うには、周辺の国やこの国の主要な都市の名前や、この国では誰もが知っているような話や食べ物を知らないのに、時折誰も知らないような知識を披露することもある。
それだけなら隔離されていたせいだとも言えるのだが、明らかに政府から発表された経歴とは違うこと(幼い頃の経験や家族について)を口走ることもあるらしく、そういったことからこの国で生まれたというよりも、ある程度の年齢、それもここ数年のうちに突然別の世界から現れたと考えた方がしっくりくるそうだ。
(おまけに、勇者や魔王がどうのこうのって言っていたのが本当なら、間違いなく異界人だろうな)
俺と同じ世界か同化までは不明だが、今代の雷は異界人と見て間違いないだろう。
「とにかく、この国の中央政府がそこまで力を入れているとなれば、他国の人間でも強引な手段で自分たちの陣営に引き入れようとしてもおかしくは無いな」
「この国を出れば手を出して来ないと思いますが、気を付けてください」
「まあ、出来るだけ周りには気を配っておこう」
この国から出て行けば、中央政府も手を出してくることは無いだろうが、それはあくまでも表立ってのことだろう。
むしろ、本気で俺を戦力に加える気なら、スタッツに戻っても秘密裏に接触してくると思った方がいい。もっとも、そいつらの移動距離が延びれば伸びる程、道中で不幸な事故が起こる確率は上がるので、無事に帰ることが出来るのかは神のみぞ知るというところだろう。
商業組合の事務所を出て宿に帰る途中で、フリックたちを発見した。どうやら二人も宿に戻る途中のようだ。
「なんだ、結局チーは駄目だったのか?」
「バルトロさんにジーク……ええ、二人に押し付けられて迎えに行くと、道の端で蹲っていました。限界が近かったようなので、近くの店でトイレを借りて……休ませたんですけど、ご覧の有様でして」
おっさんが声をかけると、俺たちに気が付いたフリックがじろりと睨んだ後で、チーの状態を説明した。
チーは俺たちに気が付いたようだがあまり口を開きたくないようで、死んだ魚のような目を一瞬俺たちに向けた後、すぐに下を向いて吐き気を堪えているようだった。
「色々と話したいことがあったが……まあ、詳しい話は宿でするか。それに、こんな道のど真ん中でするような話じゃないしな」
おっさんの含みを持たせた言葉にフリックは何かあったと感付いたらしく、おっさんに続いて移動しようとしたが、
「おげぇ……」
顔のすぐ横で発せられた音を聞いて動きを止めた。多分、あのまま一歩でもチーを移動させていたら、大変なことが起こっていただろう。
「仕方がない……フリック、そのまま動くなよ」
このままだと宿に着くのがいつになるのか分からないので、少しでもチーの状態を改善する為に、昔よく使わされていた方法でチーの体から少しでも酒を抜くことにした。
その結果、
「フリック……トイレ……」
フリックはチーをトイレに連れて行かなければならなくなった。まあ、運よくすぐ近くにあった雑貨屋で借りることが出来たので悲惨なことにはならなかったが……確実にお店の人にフリックとチーは夫婦か恋人かと勘違いされていたし、戻って来る時にはチーの顔色はだいぶ良くなっていたが、その代わりフリックは大きな紙袋を抱えていた。
流石にただでトイレを借りることは出来なかったようだ。
ある程度回復したとはいえチーの体調は不完全だったので、チーは宿に戻るとすぐに部屋に引っ込んだ為、三人で情報を共有することになったが……やはり今代の雷の出現にはフリックも驚き、更にこの国の戦力に組み込まれるかもしれないという可能性には腹を立てていた。
その為、明日この国を出発するというおっさんの提案に、フリックは即座に賛成したが……その直後に、もしチーが動けなかったらどうするのか? という話が出た。まあ、すぐにその場合は本人の希望を聞いて、置いて行かれるのがいいか無理やりにでも連れて行かれるのがいいかという二択を突き付けることに決まった。
話し合いの後は念の為周囲を警戒しながら休憩し、チーが起きてから挨拶を兼ねた早めの夕食をラヴィアンローズで食べることにした。
チーはまだ少し具合が悪そうにしていたが食欲は戻ってきているようで俺たちについてきたし、例の二択を突き付けると即座に戻ることを選択したので、明日は四人揃ってジモンを出ることが決まった。
いつもより早い時間帯だったのでローズさんたちは驚いていたが、明日の早朝にスタッツに戻らなければならなくなったと伝えると、いつもより豪華な食事を用意してくれた。
アリアとアリスが急に戻ることになった理由をしつこく聞いてきたが、流石にこの国の中央政府に目を付けられそうだからと教えるわけにはいかなかったので、バルムンク王国の貴族からドラゴンの一部を買いたいという連絡があり、その交渉に行かなければならなくなったと教えた。
これなら二人が誰かに話して行き先を探られたとしても、道中で落ち合って交渉したが取引はご破算になったと言えばいいし、相手の貴族は代理人を寄越して正体を明かさなかったのでどこの誰なのか知らないと誤魔化すことも出来る。
今代の雷は聞いた話だと少し頭の弱い奴のようだが、戦力になるかもしれないという程度の認識では国外まで出張って来ることは無いだろう。
その夜は、急なことだったのにもかかわらずローズさんが別れの宴を開いてくれて、最後の夜にこの街で食べた中で一番美味しい料理を堪能することが出来た。
そして次の日、
「ジーク! すぐに来てくれ!」
まだ日が昇らないくらいの早朝から、俺はグランドの襲撃に遭った。
「おい、俺は後数時間でこの街から出て行くつもりだったんだが?」
襲撃に遭ったと言っても、グランドは宿の受付でちゃんと手続きをしてから来たので、騒がしくはあったものの争いごとが起こったわけではない。
ただ、想定の時間よりも大分速く起こされることになったのだから、少しくらいは愚痴を言っても罰は当たらない……と言うか、当然のことだろう。
「それは確かにすまないと思っている……だが、本当に緊急事態なんだ! すぐに漁港に来てくれ!」
行き先が漁港ということは、またダイカイギュウ絡みの問題なのか……と思い、おっさんに馬車の準備などを任せ、戻ってきた時にいつでも出発できるようにしてもらうことにした。
そして、グランドを置き去りにして全力で漁港に行くと……
「確かにこれは緊急事態だな」
湾内では、ニ十頭程のダイカイギュウが泳ぎ回っていた。確かにこれでは舟を出すことが出来ないので、漁業組合にとっては緊急事態だろう。
俺が岸壁の近くまで行くと、いち早く助けたダイカイギュウが俺に気付き、他の仲間を蹴散らす勢いで近づいてきた。そして岸壁のギリギリで止まると、
「……何かを伝えたいのは分かるが、それが何なのかは分からないな」
立ち泳ぎの状態で、胸鰭を動かして何かを伝えようとしていた。
その動きからダイカイギュウの伝えたいことが何なのかを知ることが出来ないかと思ったが、結局分からないままだった。そんなところに、
「ジークさん、来てくれたんですね」
組合長の奥さんと、もう一人の女性が駆け寄って来た。その二人のかなり後ろには、組合長がこちらを見ている。
「紹介しますね。この子は私のもう一人の娘で、グランドの妻でもある『フユミ』です」
「フユミです、夫が色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
娘と言われると、確かに組合長の奥さんやアキノと似通っているところがある……と、この時になって、組合長の奥さんの名前を知らないことに気が付いた。
「ああ、そう言えば名前を言っていませんでしたね。私は『ナツキ』と申します。ちなみに、あそこでこちらを見ているのは、夫の『ゴンタ』です。迷惑と言うのなら、うちの方が色々とやらかしてますね」
前々から思っていたが、ジモンで聞く人名は前の世界の日本に似ている。もしかすると大昔に、同じ世界から来た異界人が住んでいたのかもしれない。
「それでですが、多分ダイカイギュウが集まってきたのは私のせいなのかもしれません」
「と、言うのは?」
ナツキさんの言葉の意味が分からないでいると、
「昨日の夜のことなのですが、遅くにそのダイカイギュウがまたやって来たので、用意していた野菜をあげたのですが……その時に、どうやらジークさんが明日早くにジモンを出て行くみたいだと言ってしまったのです。その時は大人しく帰って行ったのですが、どうやら私の言葉を理解していたみたいで……」
「朝早くから、ダイカイギュウが仲間を引き連れて邪魔をしている……と?」
「恐らくは、そうだと思います」
俺の呼ぶ為に湾内で泳ぎ回っているのだとしたら、その目的は俺の引き留めなのか……と思っていると、
「……また何か持ってきたみたいだな。しかも大量に……」
助けたダイカイギュウが水面を叩いたかと思うと、他の仲間たちが一斉に何かを持って集まってきた。
「これはまた、沢山持ってきてくれたもんだな」
ダイカイギュウたちはいつもの大王昆布に加え、沢山の貝のようなものや汚れた武具を持ってきていた。
それらをシャドウ・ストリングで引き上げていると、ダイカイギュウが持ってきてくれた武具の中には、なかなかよさそうなものが含まれているようだった。
ついでに貝のようなものだと思っていた中には、ウニやヒトデも交じっていた。ただ、ナツキさんに聞くと、そのウニ(形が俺の知っているものではなかった)とヒトデは食用として扱われているとのことだった。
ダイカイギュウは、俺が持ってきたものを全て受け取ると、満足したようにお腹を一度叩いて湾内から出て行った。本当に俺を呼ぶ為に騒ぎを起こしていたらしい。
ウニとヒトデはそこまで数が多くなかったので一部を除いてマジックボックスに収納し、大王昆布の半分はナツキさんにあげることにして、残りの半分は加工して送ってもらうことになった。そのついでにウニとヒトデの食べ方を聞いて試食してみたのだが、ウニは形こそ俺の知っているものと違った(サッカーボールくらいの大きさの丸くて黒い見た目をしていた)が、味は知っているものと同じかそれ以上だった。ヒトデの方は……正直言って、ウニよりも美味しくて驚いた。
そして、日が昇り辺りが明るくなった頃に漁港でやることの全てが終わり、おっさんたちと合流しようというところでグランドが到着した。
グランドは俺たちを見送るつもりだったようで、もう一度宿の方に戻らないといけないことを嘆いていたが、ナツキさんがあらかじめ馬車を手配してくれていたおかげで、グランドは胸を撫で下ろしていた。
ナツキさんのおかげで(グランドたちと行動を共にしていたにしては)宿に速く戻ることの出来た俺は、心配しながら待っていたおっさんたちにことの顛末を伝えると、三人は大声で笑っていた。
そのまま俺たち四人とグランドにフユミさん、それとナツキさんに組合長とジモンの入り口まで移動すると、そこにはアキノとローズさんとアリアにアリス、それとジモンまで護衛した女性たちが待っていた。
皆も俺たちの見送りに来てくれたらしいのだが、アリアとアリスからは予定よりもおそくなったことについて文句を言われた。まあ、その理由を話すと、皆おっさんたちと同じように大笑いしていたけれど。
最後の最後で想定外のトラブルがあったしムカつくこともあったが、総合的に見たらジモンではいいことの方が多かったように思う。
今代の雷のことが無ければ、また来たいと思うくらいにはこの街を気に入ったのだが……それはいつになるのか分からない。
もっとも、アキノとの契約が続く限りは、ジモンの海産物などは手に入るのだが、それでもダイカイギュウに会えないことは少し寂しい。
それくらいには、俺にとって有意義だったと言える、初めての長距離移動の依頼だった。
決して口に出すつもりはないが、おっさんたちには感謝をしている……かもしれない。