第十四話
「腹も膨れたし、そろそろ帰るか」
「そうですね」
「ちょっと待って! まだ私のデザートが来てないから!」
その日の夜、俺たちはラヴィアンローズで食事をしていた。
ラヴィアンローズでは今日から新しい女性(スタッツから移籍してきた女性)たちが働き始めるという噂で、元々人気の店だった(らしい)のにさらに人が集まってしまい、かなりの待ち時間が発生している状況になっていた。
なので、食事が終わった後は速やかに帰ろうと思っていたのだが……チーはここぞとばかりに(女性たちを連れてきたと言う理由で、かなり割引してもらえることになっていた)おっさんよりも食べ、さらには食後のデザートまで頂こうとしていた。
「おっさん、後で払うから俺の分も一緒に頼むな」
「どこに行くんだ、ジーク?」
チーが食べ終わるまで待つことも無いと思った俺は、おっさんに支払いを任せて先に店を出ることにした。そんな俺にフリックが声をかけてきたが、
「フリック……ジークも男と言うわけだ。行かせてやれ」
などとフリックに説明し、それを聞いたフリックは驚いた顔で俺を見たが……すぐにおっさんの嘘だと分かったらしく、呆れたような顔をしていた。しかし、
「何? ジークってば、エッチなお店に行くの? 病気だけは貰って来ちゃだめよ! それと、変な臭いをさせて帰ってこないでね!」
チーはおっさんの戯言を信じたらしく、真面目……とは程遠い顔をして、面白い話(もしくは弱みになりそうな話)を聞いたいう感じで俺をからかっている。
そんなチーに少しイラっとしていたら、
「お待たせしました~! 果物の盛り合わせと、お店自慢のチーズパイで~す!」
アリスがチーの頼んでいたデザートを持ってきた。
確かに両方デザートではあるが、その組み合わせだと食べているうちに味がぼやけてしまうのではないかと思ったが……
「アリス、少しそこで止まれ」
「何、ジーク? ……って! それ、チーさんの頼んだやつだよ!」
仕返しするのに丁度いいので、アリスがチーに皿を渡す前に立ち止まらせて、その隙に果物をいくつか口に放り込み、三つあったチーズパイの内の二つを掴んで店を後にした。
店を出る少し前に背後からチーの叫び声が聞こえたが、チーが外まで追いかけてくることは無かった。
チーが追いかけてこないことを確認した俺は、奪ったチーズパイを食べながらぶらぶらと気の向くままに街を歩き続け……いつの間にか、漁業組合のある港の端の方にある磯場の近くまで来ていた。
今いるところは足場が荒れていると言う程ではないものの転べば大怪我を負いかねないし、街からの光が遠いので周囲がかなり暗いので、普通の人では歩くことすら難しいはずだ。
そんな場所に近づく奴がいるとすれば、俺のように暗闇に強い奴か足元を照らす魔法か道具を持っている奴……もしくは、普段から夜の暗闇になれている奴くらいだろう。
「おい、そろそろ姿を現したらどうだ? せっかく人気のないところまで来てやったんだから、かくれんぼは終わりの時間だぞ」
そう振り返って言うと、俺の後をつけ回していた奴はバレていないと思っていたのか、隠れたままなのに動揺している気配が手に取るように感じられた。
「ここまで言ってもまだ出てこないか……仕方がないな」
隠れたまま一向に出てこようとしないので、俺はそいつの方に向けて拳ほどの大きさの火の玉を飛ばした。すると、
「うわっ!」
隠れていた奴は攻撃されたと勘違いして、火の玉を当てた場所のすぐ後ろにあった大きな岩から慌てて飛び出て来た。
「さて、何のつもりで……って、まあ、大体の予想はついているんだけどな。一応、本人の口から正解を答えてもらおうか?」
俺をつけ回していた人物……それは、ダイカイギュウ騒ぎの時に、俺の乗った小舟を操舵していた男だった。
「昨日もつけ回していたみたいだが、そんなに自分の悪事がバレるのが怖かったのか?」
確信とまでは言えないが、俺をつけ回していたこいつが冒険者ギルドに与して何らかの犯罪に関わっていたのだろうと考えて鎌をかけてみると、
「くそがっ!」
と叫びながらナイフを構えて突っ込んできた。
流石に常歩ごろから漁師の仕事で体を鍛えているのと夜に慣れていることで、この暗闇の中を躓くことなくすごい勢いで一直線に俺目掛けて走り込んできているが……それはあくまでも素人としてはと言ったレベルでの話だ。
あいつの目には俺は自分よりも体の小さいガキで、犯罪仲間から運よくドラゴンの鱗を手に入れただけの冒険者とでも聞いてそれを信じたのか(まあ、それだとそのお仲間たちが壊滅状態に陥った説明がつかないが)、男の攻撃は素人の喧嘩自慢が力任せに突っ込んできているだけにしか見えなかった。現に、
「なっ!? がぐっ!」
当たる瞬間に少し足を引いて躱し手刀でナイフを叩き落すと、男は勝手に転んで負傷した。
俺の目でもはっきりとは見えないが、勢いをつけていたせいで数m先まで転がっていたので、かなり酷い怪我をしていることだろう。だが、男の怪我の具合など俺には関係のない話だ。
重要なのは男が俺と敵対した犯罪組織の一味であり、自身も俺を殺そうと襲い掛かってきた中で勝手に怪我をしたというだけで、今はまだ争いの最中であるということ。つまり、男は戦闘の最中で敵に対して無防備な状態でいるので、その隙を突いて攻撃するのは当然だ。
なので、俺は男に止めを刺すべく剣を抜くが……またしても背後から飛び出して来た奴がいた。
そいつは体が隠れる程の大きな盾を前面に構え、先程の男よりの数倍の勢いで突っ込んできていた。
盾の大きさと速度から、持っている剣では太刀打ちできないのがすぐに分かったので魔法で対処しようかと思ったが、どうやら俺に対して体当たりを仕掛けるというよりは、俺と男の間に割って入ることが目的のようなのでその場から飛び退いてかわしたが……その時に見えた盾持ちの正体は、またしても俺の知る男だった。
「こんなところで奇遇だな、グランド……それで、お前も犯罪者の仲間だったのか?」
実際のところ、男のさらに後ろからグランドがついて来ていたことは気が付いていた……と言うか、気が付いていなければ、俺はグランドを避けるのではなく受け止めることになっていただろう。それくらいあの突進はすさまじいものだった。
「いや、無関係……とはこの状況では言えないな。ただ、こいつとは顔見知りでな。出来れば俺に預けてもらえると助かるんだが……その様子だと、交渉決裂みたいだな」
俺の問いかけに、グランドは俺から目を離すことなく答えた。
「なあ、敵対する気はないけど俺の敵を寄越せって、都合が良すぎると思わないか? そいつは犯罪者で、おまけに俺の命を狙ったんだけど、それでも渡さないというのなら……死んでも文句言うなよ?」
その言葉で戦いが始まると感じたのか、グランドが盾を構えなおしたが……武器は構えるどころか取り出してすらいないので、俺が諦めるまで攻撃を防ぐつもりらしい。
「お望み通り、正面からやってやるよ」
「ぐっ!」
俺は盾を構えるグランドに対し、正面から何度も剣を叩きつけた。
グランドは時折盾を前に出して俺を押し返そうとするものの、武器を出したり盾で殴ったりはしなかった。その内、
「壊れたか」
剣が衝撃に耐えきれなくなって半ばから折れた。まあ、二度目か三度目くらいから刃が欠け始めていたので、よく持った方だろう。
「ジーク、そろそろ……」
「諦めてくれないか」とグランドが言う前に、マジックボックスから新しい剣を取り出した。剣に関しては壊れるか使い潰すのを前提としているので、俺のマジックボックスの中には剣やその他の武器が山のように入っているのだ。
「まだ時間はある……武器もな」
実は、ここからまだ離れている場所に、こちらを目指している数人の気配を感じていた。
普段の俺では気が付かないかもしれないが、気が高ぶっているのかそれとも夜の暗闇の中で調子がいいからなのか、かなり離れたところの気配でも感じることが出来ている。まあ、それなりに大きな生き物の気配限定みたいではあるが、それでもありがたい。
ここまでは適当に歩いてきただけなので正確な道筋などは分からないが、少なくともこちらに向かってきている奴らが到着するまで数分はかかるだろう。
「死ぬなよ、グランド」
そいつらが来るまで、グランドが死ななければいいけどな。
「おい、フリック! 本当にジークはこっちに向かったんだな!?」
「確かです! ただ、ここから先は暗すぎて、俺だと明かりなしでは進めませんでした!」
確かに、ここから先は足場がかなり悪いし、慣れない奴では歩くだけでも難しいだろう。
俺たちがこうして走っていられるのは周辺を魔法で明るくしているおかげだが、それでもかなりギリギリだ。現にチーは、ここに来るまでに何度か躓いて軽い怪我をしている。
冒険者である俺たちですら苦労している状況なのだから、漁業組合の連中は死に物狂いで付いて来ているといった具合だろう。
組合の連中は、組合の資料を調べなおしているうちにおかしなところを見つけたらしく、日が暮れる前にその不正に関わっている可能性が高い組合員の家に行ったところ、母親からどこかへ出かけていると言われたらしく探している最中に俺と鉢合わせたのだ。
始めは言い渋っていた組合の連中だったが、ジークが漁業組合の内部に裏切者がいる可能性が高いと睨んでいることと、さらにはいた場合ジークを害そうとだろうと言っていたと伝えると、ようやく組合内での不正のことと行方をくらませた組合員のことを教えてくれたのだった。
ただ、俺たちと組合員たちでは、心配していることが大きく違っていた。
それは、組合員が若い冒険者であるジークの身に危険が迫っていると考えていることに対し、俺たちはその消えた組合員の命が危ないと考えていたことだ。
もっとも、襲われて返り討ちにした場合、相手が大怪我を負ったり死んでしまったりしたとしても、この街(と言うか大抵の街)では正当防衛が適用されるので、無罪か大した罪にはならないのだが、どんな理由があるにせよ他所の街の連中が自分たちの街で暴れたとなればよくない感情を抱いてしまうのは仕方がないだろう。もしかすると、完全に消えた男に非があったとしても、余所者と言うだけで犯罪者でも庇う奴も出てくるかもしれない。
もしそういう輩が現れた場合、その矛先が向けられるのは恐らくラヴィアンローズに来たスタッツの女の子たちだろう。
そんなことはジークとしても望んでいないはずだ。それに下手するとそんな行動に出た輩を、ジークが排除しようと動きかねない。
「フリック、先に行くぞ。大分目も慣れてきた」
「分かりました!」
こんなことなら、明るいうちにジークが罠を仕掛けそうなところを下見しておくんだったと思いながら、俺は神具を纏って速度を上げた。
目が慣れてきたのと神具で感覚が鋭くなったおかげで、全力とまではいかなくともそれなりの速さで走ることが出来る。
そのおかげで、俺は二分足らずでジークが視認できるところまで近づけたが……そこで見たのは、ジークが一方的にグランドを追い詰めている場面だった。
「あいつ、あんな戦い方も出来たのか⁉」
これまで俺が見て来たジークの戦い方は、魔法で圧倒するか、今代の黒としての能力を活かして相手の虚を突くようなものだったのだが……今のジークは盾を構えるグランドを正面から圧倒しているのだ。
実のところ、もし二人が戦えば十中八九の確率でジークが圧勝するだろうとは予想していた。あとの一割で多少の苦戦、残った一割で苦戦かジークが面倒臭がって逃走するかわざと負けるかと言った感じだった。
だが、この戦い方は予想していなかった。
グランドは見た目からも分かる通り、その恵まれた体格とそこから生まれる力を活かす戦い方が得意だったはずだ。具体的には、その大きな盾で相手の攻撃を防ぎながらけん制、もしくはぶつけるなどして相手の態勢を崩したところで強力な一撃を叩き込むと言うものだ。
だから、攻撃を受けることに関しては俺よりも慣れているはずだ。なのにもかかわらず、今のグランドはジークの攻撃を防ぐので精一杯、それも片手ではなく両手を使って何とか持ちこたえているというように見える。
それに対してジークは、俺が得意だと思っていた魔法も、相手の虚をつく戦法も見せていないのだ。
「本物のバケモノかよ……」
今になって俺は、本当の意味でジークが今代の黒だと理解した気がする。あの森でちょっかいをかけた時、俺はジークのほんの気まぐれで見逃されたのかもしれない。その結果だけを見て、得意な場所に万全の状態で誘い込めば勝てるのではないかと勘違いしていたのだ。
もしも本気のジークを敵に回したのなら、なりふり構わずに逃げるか、相当な腕利きを数十数百単位で集めるのが正解だった。ただまあ、それでも生き延びれるという保証はないだろうけどな。
そんなことよりも、今はジークを止めなければいけない。
そう思い、ジークとグランドの間に割り込もうと脚に力を入れようとした瞬間、
「あいつ、何をして……なっ! ジーク!」
それまでグランドの後で震えていた男が、急に何かを思い出したかのように体を探り始め、懐から何かを取り出してグランド越しにジークの方へと投げた。
ジークはグランドの背後から何かが投げられたことには気が付いたようだが、避けるよりも前に投げられたものから煙のようなものが広がり……次の瞬間に、グランドの盾による横薙ぎがジークの胴体を捕らえたのだった。
「おい、ジーク!」
グランドの盾が振り抜かれると同時に、投げつけられた煙のようなものがジークの体を隠したので、ジークが避けたのかまともに食らったのかは分からないが、もし食らったのだとしたら、いくらジークでも無事では済まないだろう。
それと気になるのは、あのグランドの表情だ。てっきり二人は共謀して、ジークの隙を伺っていたのだと思ったのだが……あの驚いたような顔からすると、グランドにとっても予想外だったようだ。
とにかく、ジークの安否を確かめる為にもあそこに行かなければ……と走り出した時、
「グランド⁉」
グランドが後方へ吹き飛んだのだった。
「ちっ! 三十秒も持たないか!」
脆い武器にイラつきながら、大きく欠けた剣を放り捨てて新しい獲物を取り出して攻撃を続けた。
グランドの盾に剣を叩きつけ始めてから数分しか経過していないが、その間に八本……いや、たった今九本目の剣が駄目になってしまっていた。
「この速度はおっさんだな。時間が無いか」
別におっさんが到着する前にグランドを殺したいわけというわけではないが、せっかく思いっきり力をぶつけることが出来る相手が敵に回ったんだ。試してみたいことがあったんけど……正直、がっかりしていた。
(大分強くなったつもりだったが……ガウェインはまだまだ遠いな)
ガウェインと比べれば、俺の体格は小さい分だけ腕力も体力も劣るし経験も及ばない。勝っているものがあるとすれば、魔法と速度だけだ。しかも、それで勝てるかと言われれば分からないとしか言えない。
だからこそ、今の俺がどれほどなのかを知る為に、腕力だけでグランドを倒せるか試してみたのだが……武器の差を差し引いても、まだまだ及ばないというのが分かったのだった。恐らくだが、ガウェインなら数回で盾かグランドの腕の骨を破壊するだろう。
そんなことを考えながら十数本目の剣を取り出した時、
「おっさんが来たか……」
あと少しでここからでも見えるという所までおっさんが近づいて来ていた。
(おっさんが割り込んでくるまで、あと一分あるかないかと言うくらいか?)
また新しい剣を取り出しながら、グランドの盾に打ち付けていると、
(? おっさんが止まった? 何かあった……ちっ!)
急におっさんが動きを止めたので、何かあったのかと気を取られたせいで、それまでグランドの後で震えていただけだった男が不審な動きをしていることに気が付くのが一瞬遅れてしまった。
そのわずかな隙に、男は懐から皮袋のようなものをグランド越しに投げて来た。中身が何なのかは分からないが、どうせろくなものではないだろう。切り払うのは止めた方がいい。
それならばこれは避けるのが一番だろうと判断した瞬間、投げられた袋が破けて中身が空中に舞い散り、煙のように俺を包もうとしたのだ。
予想外の出来事で俺の攻撃の手が緩んだ瞬間に合わせて、グランドは盾を横に薙いできた。
それが初めから狙っていたものなのかは分からないが、その一撃は鋭く正確に俺の胴体を狙っている。直撃すれば、致命傷は免れないだろう。しかし、
「なっ!」
俺は暗闇の中なら、不十分な体勢でも影に潜って躱すことが出来る。
そんなことを知る由もないグランドからすれば、俺が急に目の前から消えたようにしか見えなかったのだろう。
俺は盾をやり過ごしてすぐに影から元の位置に飛び出たが、グランドは盾を振るったせいでバランスを崩していたので、
「うごっ!」
体当たりするかのような勢いで懐に潜り込み、がら空きの胸部に掌底を叩き込んだ。
グランドは一瞬遅れはしたものの、俺が何らかの方法で盾を躱して攻撃を仕掛けようとしていることに気が付いたみたいだったが、どうすることも出来ずに俺の掌底を受けて後ろに飛んで行った。ただ、少し手ごたえがおかしかったので、不完全ながらも威力を殺そうとしたのだろう。まあ、それでもかなりのダメージを負っていることには違いないだろうが。
しかしそんなことよりも、
「あの袋の中身は何かしらの毒だったみたいだな。目と口の中がピリピリしている」
猛毒と言うわけではなさそうだけど、毒への耐性が強い俺がはっきりと感じるくらいだから、常人には危険な毒かもしれない。
念の為水魔法で目と口の中を洗浄し、飛んで行ったグランドの方へと視線を向けると……そこにはグランドと男が揃って気を失っていた。
グランドは俺の掌底が原因だろうが、男の方はどうやらグランドの下敷きになったみたいだ。
「さて、この後どうするか……グランドはともかく、男の方は抵抗できないように脚の骨でも折っておくか?」
などと考えていたら、
「ジーク! 殺すのはまずい! 命だけは助けてやれ!」
などと叫びながら、おっさんが登場した。
「元からグランドに関しては殺すつもりはない。ただ敵側に付いたから仕方なく戦っただけだ。それよりも、遅かったなおっさん。近くまで来たのに、何で向こうの方で呆けていたんだ?」
グランドが俺の敵を守ろうとしたので戦っただけで、別に命が欲しかったわけではない。まあ、そう意味ではおっさんが来るまで粘り切ったグランドの勝ちとも言えるかもしれない。
「グランドを無力化したから次は男の始末だと思ったが……もういいや。面倒くさくなった。それに、ここで引いておけば、何人かにそれなりの恩を売れそうだしな」
おっさんが来た方角から走ってきているフリックや漁協組合の連中を見て、俺は男の始末を保留することにした。