第四話
「思っていた以上に、すんなりと入国できましたね」
「まあ、この国にもドラゴン絡みで山道が使えないという情報が入ってきているようだしな。あの辺りにいた奴らが大勢避難してきているんだ。身元がある程度はっきりしている奴らにかまっている暇はないということだろう」
フリックの疑問におっさんは何故か面白そうに答えたが、言い方と言っている時の顔がいかにも怪しげだったので、もしこの様子を兵士に見られていたら取り調べを受けることになっていただろう。
「まあ、無事に入国できたことだし、どこかでゆっくりとしたいところだが……少し前にゆっくりしたばかりだしな。それに、大勢移動してきたということは、それだけ治安が不安定になっていると思っていいだろう。出来る限り、早くここから離れた方がいい。ここも中々いい街だとは思うが、安心して休めるとは思えないからな」
人が集まれば集まるほど、その数に比例してトラブルも多くなるだろうし、何よりも避難してきたのがまともな奴ばかりだとは限らない。
今いる街は国境線のすぐそばにあるので、
普段よりも入国しやすくなっているということは、それを好機と判断したならず者が居てもおかしくはない。そう言った奴らが真っ先に狙うとすれば、女性の割合が多い俺たちだろう。
「おっさん、ここから先はしばらくの間、野営は止めた方が安全じゃないか?」
「ああ、そのつもりだ。ただ、その分移動時間が長くなるせいで、それぞれの負担が増えるから覚悟しろよ。もっとも、道中の比較的安全そうな町や村は調べてあるから、予想外のことがない限り夜は安全な場所で過ごせるだろう」
そう自信満々に言うおっさんを見て、いつの間に調べたのだろうかという疑問が湧いたが……おっさんは俺の疑問に気が付いたらしくニヤリと笑って、
「兵士に金を握らせて聞き出した」
と言った。しかも、複数の兵士から同じような方法で情報を聞き出した上で決めたとのことなので、かなり信用できるとのことだった。
「ただまあ、俺と同じように情報を仕入れている奴はいるだろうから、宿の取り合いになりかねん。そう言った意味でも、動き出すのは速い方がいい。そう言うわけで、行くぞ」
流石に経験豊富なだけあって、おっさんは食料や日用品を買い集める避難民をしり目に馬車を動かした。しかしよく見ると、おっさんと同じように動き出している馬車や冒険者らしき者もいるので、確かにこの調子だと宿屋の取り合いになりかねない。最悪、一つ二つ先の宿泊地を目指すことになるかもしれないが……動き出した馬車や冒険者は少ないし、街を出たところで別方向に行く者もいたのが関係しているのか、俺たちは予定通りの町で宿をとることが出来た。
しかし、予定通りに進めたのは最初の町までであり、予定していた次の町へ続く道の途中にある橋が、大雨の影響で壊れていたのだ。しかも壊れたのが運の悪いことに、俺たちがバルムンク王国に入った日だったとのことで、おっさんが金を握らせた兵士も知らない情報だったらしい。
「地図によるとここから川下にいくつか橋があるみたいだが、この橋よりも小さいものばかりだから、期待は出来ないな。そうなると……ここを目指した方がいいな」
おっさんが指差したのは、四本先にある橋だった。
この橋が架かっている場所は、地図の上だと丘のように描かれているので、他の端と比べて大雨の影響を受けていない可能性が高いとのことだ。
「とりあえず、この橋を目指すということで異論は無いな」
おっさんは確認と言う形で聞いてくる者の、もとより俺たちには別の進路を提案できる程の知識が無いので、いつも通り頷くだけだった。念の為に確認したアリアとアリスも、「またか」という表情をしただけで何も言わずに頷いたので、御者をしていたフリックがおっさんの指示を受けて馬車を方向転換させたのだが、その時に、
「フリック、少し遠回りになるが、この先のフランベルジュ伯爵領を通って行こう。このまま道の整備が不十分な男爵領を通るよりは、移動しやすいかもしれない。それに、このまま最短距離で進んで森を突っ切るよりも安全だし、開けているところの方が休憩できる町か村が見つかりそうだしな」
と言ったので、少し過剰に反応してしまった。
「どうした、ジーク?」
「いや……何か変な気配があった気がしたが……気のせいだったみたいだ」
「そっか……まあ、少し疲れが出てきているんだろう。開けたところに出たら少し休憩していいから、それまで警戒を続けてくれ。こういった障害物のある場所だと、俺よりもジークの方が気配を察知するのに優れているからな」
おっさんは俺がフランベルジュと言う名を聞いて動揺したことに気が付いたみたいだが、それ以上は何も言わずに、改めてフリックに指示を出していた。
そこからフランベルジュ伯爵領に入って少し進んだところにあった村で一泊し、半日近くかけて丘の上にあるという橋の目前まで迫った時に事件は起こった。
「おっさん! 後方から何かがすごい勢いで近づいてきている!」
「何っ! ……くそっ! チー! 速度を上げろ! 追いつかれる前に橋を渡るぞ!」
今いるところから橋までは、多分一kmも無い。しかし、後方から迫りくる影……ドラゴンは、馬車から三kmも離れていない。しかも、一直線にこちらに向かって走ってきている。
「直前で方向を変えてくれるといいが……無理だろうな。完全に俺たちを視認している。餌が逃げているとでも思っているんだろう……こりゃあ、覚悟を決めるか」
おっさんがそう言っている間に、ドラゴンは俺たちからその表情が見えそうなところまで迫って来ていた。しかも、まだ橋までは数百mも残っている。だから俺は、
「ちょっと、相手をしてくる。おっさんたちはそのまま橋を渡っていてくれ」
馬車から飛び降りて、ドラゴンに向かって走り出した。
「とりあえず、これはあいさつ代わりだ」
迫りくるドラゴンに対し、俺はその顔面目掛けてファイヤーボールを放ったが……ドラゴンは直撃しても怯むことは無く、前足を俺に振るってきた。
「ジーク!」
止める間もなく飛び降りたジークを馬車から見るしか出来なかったが、それでもジークなら何とかするはずだ。そう思っていたが、ジークの放った魔法が顔面に直撃したにもかかわらず、ドラゴンは前脚を振るって、無情にもジークを叩き潰した。
その瞬間、馬車から様子を見ていた女たちは悲鳴を上げて、何人かが気を失った。俺も悲鳴を上げたいくらいだったが、ジークがやられた以上、次は俺がドラゴンの足止めを行わなければならない。幸い、ジークのおかげでドラゴンは足を止めたので、このままいけば馬車は橋を渡り切るだろうし、フリックとチーが残っていれば、俺もいなくなったとしても依頼自体は成功させることも可能だろう。
そう思って、俺は神具を展開して馬車から飛び降りようとしたが……
「はぁっ!?」
馬車の縁に足をかけたところで、いきなりドラゴンが倒れた。しかも、躓いたとかではなく、全身から力が抜けたといった感じの倒れ方だ。
その光景に驚いた俺は、縁にかけていた足を滑らせてしまい、あわや地面に頭から叩きつけられそうになったが……ギリギリのところで反対の足で馬車を蹴って反動をつけて飛び上がり、空中で回転して無事に脚から着地することが出来た。
しかし、まだ油断はできない。倒れたとはいえ、いつドラゴンが動き出してもおかしくない状況なのだ。
俺はいつドラゴンが襲ってきても対処できるように警戒しながら近づくと……そこには驚くべき光景があった。
「ジーク、無事だったのか!?」
何と、叩き潰されたと思っていたジークが生きていたのだ。
しかもジークは、動かないドラゴンの頭部を触ったり叩いたりして遊んでいた。
「ん? ああ、怪我一つないぞ」
俺の……俺たちの心配をよそに、ジークはけろりとした様子で返事をし、またドラゴンを触り始めた。しかも、
「なあ、おっさん。ドラゴンって美味いのか?」
などと、のんきなことを言っているのだ。
「あ、ああ、肉が硬くて下処理に工夫がいるらしいが、超が付くほどの高級品だ。味もちゃんと処理したものは美味い……らしい」
そんなジークに対し、俺はあっけに取られていまいそんなことしか返せなかったが、ジークは「なるほどな」と言って、ドラゴンをマジックボックスにしまい始めた。
「いや、おい、ちょっと待て! 何でそんなデカ物が入るんだ?」
あまりの光景に茫然としてしまい反応が遅れてしまった、普通に考えると頭から尻尾の先まで十五mは優に超え、重さも十t以上はあるだろうとかいうのが入るマジックボックスなど、これまで聞いたことがない。しかし実際にドラゴンが消えているところを見ると、俺の見間違いと言うわけでもないようだ。
(これは……戦力面だけでなく、物流面でも軍に匹敵するな)
「どうした?」
「いや、あんなのが入るマジックボックスを持っているとなると、何人の商人が廃業に追い込まれるかなと思ってな……頼むから悪用するなよ。少なくとも、スタッツ関係ではな。マジで」
と言ってごまかしたが……それもマジでやりそうだから、そのことを知ったらベラドンナは頭を抱えるかもな。
などと、ドラゴンに襲われかけた後とは思えないくらい、能天気なことを考えてしまったのだった。
「それじゃあ、さっさと橋を渡るか。もっとも、元凶のドラゴンはもういないから、焦る必要も……」
「確かにそうだが、馬に無理をさせたからな。少し様子を見て、場合によっては休憩も……って、どうした?」
橋の手前まで進んでいる馬車に向かおうとしたところで、別の何かがこちらに迫ってきていることに気が付いた俺が立ち止まると、少し先を歩いていたおっさんが不審に思って足を止めた。
「おっさん、また何かがこっちに向かってきているぞ」
「何? あっちの方か! ……あれは……馬? いや、騎兵か? 遠くてよく分からんが、盗賊の類ではなさそうだな」
まだかなり離れているものの、数十からなる騎兵は綺麗な隊列を組んいることから練度の高い集団だということが分かり、この辺りでそう言ったならず者の集団があるとは聞いていないので、どこかの貴族の騎士の可能性が高い。まあ、ドラゴンを追いかけて来た傭兵の集団と言う可能性もあるが、数十の馬を揃えている傭兵団がこの国に居たという話は聞いたことがないので、可能性としては低いはずだ。
「貴族の兵にしろ盗賊にしろ、厄介なことになりそうなのは変わりないな……どうする、おっさん?」
「本音を言えばこのまま気が付かないふりして先を進みたいところだが、馬車と軍馬では速度が違い過ぎて、早々に追いつかれるのは目に見えている。ここは下手な動きは見せない方が無難だろう。ただ、馬車には戻った方がいいな。もしもの場合、馬車と分断されるのはまずい」
あの位置からなら俺たちの動きは見えているだろうが、馬車に戻るくらいなら見られていても何とでも言い訳はできる。
しかし、もしあちらに悪意があった場合、確実に馬車と俺たちを分断して対処しようとするはずだ。その場合、俺とおっさんはともかくフリックとチーだと、一対一なら何とかなっても護衛対象を守りながら多数を相手にするのは難しいはずだ。
「馬車が橋を渡っていたなら、まだやりようはあったが……今から渡らせるには時間が足りないな」
「もしも向こうが襲ってくるようなら俺が殿をやるから、その間に渡ればいい」
「ああ、分かった。でも、一人で大丈夫か?」
「むしろ、一人の方がやりやすい」
今の俺なら、ガウェイン相手でもおっさんたちが橋を渡り切るまでくらいなら時間を稼ぐことは出来る。まあ、ガウェインとランスロ―さんとディンドランさんの三人が相手なら難しいが、そんな化け物級が集まっている可能性は低いだろう。それに最悪の場合、橋を落とせばいいし。
走りながら簡単な打ち合わせをすると、俺は速度を落として向かってくる相手に備えた。すると、相手は俺を警戒したのか明らかに速度を落とし、半包囲するような陣形で近づいてきた。
互いに一触即発に近い状態になってしまい動きが止まったが、そのおかげでおっさんは馬車に合流出来て橋のすぐ手前まで移動させることが出来ていた。後は、馬車が橋を渡り切るまでこの集団をここに足止めしておけばいい。
そう思っていると、
「俺はフランベルジュ伯爵家当主、ドミニク・フランベルジュだ。そちらの所属、もしくは身分を明かしてもらいたい!」
集団の中央から、一人の恰幅のいい男性が前に出てきた。
(あの人がエリカの父親か……エリカからあまり話を聞いた記憶はないけど、評判自体はいいものが多かったな……表向きの噂だけど)
いくら友人の父親でいい噂が多い人物だとしても、俺が直接見て確かめたわけではないし、娘のエリカ自身も知らない裏の顔があってもおかしくはない。特に、今のように第三者の目がないところで、噂とは真逆のことをしていたとしても、全くありえないことではないのだ。
「こちらはトーワ国のスタッツの街にの冒険者ギルドに所属している冒険者一行で代表の名はバルトロ。バルムンク王国には、トーワ国及びマーノ国にまたがる山脈の山道が使えなかった為、迂回する為に入国した」
そう告げると、伯爵は一度橋の手前で停まっている馬車に目をやったが……すぐに俺に視線を戻して、
「ふむ……それで、お前の名前は何という? あのドラゴンを倒したのはお前だろう?」
そう問いかけてきた。
あのドラゴンを倒した時、少なくとも俺の見える範囲に伯爵の集団はいなかったはずだが……そう思って伯爵の後ろに控えている騎士たちに目をやると、伯爵は俺の視線に気が付いてニヤリと笑い、
「部下に目の良い奴がいてな、数km程度ならその表情までしっかりと見えるそうだ」
親指を後ろに向けながらそう言った。
つまり、ここでごまかすことは出来ない……少なくとも、ここで嘘をつくと不敬罪として、依頼人にも迷惑が掛かってしまうということだ。
「……ジーク・レヴァンティンだ。確かにドラゴンは俺が倒したが……それが何か?」
伯爵の質問に対し、失礼な言い方だったせいか騎士たちが少しざわついたが、伯爵自身は気にしていないようで、むしろ、
「いや何、遠目から見てもごく短時間……恐らくは一撃で倒したように見えてな、どんな奴がどんな方法で倒したのか気になっただけだ。ああ、別にドラゴンを寄越せとは言わない……いや、出来るなら素材の一部を買い取りたいのだが、交渉の余地はあるのか? もちろん、買い叩くようなことはしない。どうだろうか?」
と言った感じだった。
貴族としてはかなり下手に出ているようにも見えるし、こちらに気を使っているようにも思える。
ただ、こういった交渉ごとに関して俺は経験があまりなく、おまけにドラゴンとなるとどれほどの値が付くのか分からないので断ろうかとも思ったが……フランベルジュ伯爵に関しては貴族と言うよりも、友人の父親と言ったイメージの方が強く、
「……仲間と相談してきます。少し待っていてください」
と言った返事をしてしまった。
「ああ、構わない。ただ、あまり時間をかけないでもらえると助かる。この後、少し忙しいことになりそうだからな」
伯爵の後半の言葉が少し気になったが、ドラゴンによる被害の後始末などのことだろうと判断し、俺は橋の手前で待機しているおっさんのところに向かった。
「ドミニク様、あの者を一人で向かわせず、こちらから誰かつけた方がよかったのでは? それに、フランベルジュ伯爵領での討伐ということで、買取り交渉と言わずに強制的に買い上げることも出来たと思うのですが?」
などと、若い副官は言うが……それは無理な話だ。
「確かに、相手が普通の冒険者ならそれも可能だろう。しかしあいつ……ジークは他国の冒険者であり、しかも俺たちが苦労して倒したドラゴンの片割れを、瞬殺するような奴だぞ。そんな化け物じみた奴相手に、俺たちは貴族なんだから寄越せと言えるか? 出来るとすれば、せいぜい情に訴えて多少安くしてもらうくらいだ」
確かにジークがこの国で活動している冒険者なら、伯爵の名を利用して何割かの素材を半強制的に取り上げることも可能だろう。しかし、それはあくまでもこの国で活動している普通の……いや、俺たちの常識が通用する相手に対してだ。
少なくとも、ドラゴンを瞬殺するような奴は俺の知っている常識の中には存在しない。
俺の言葉に副官は驚いた表情をしたが、俺の言っていることは間違っていないと理解したらしく、謝罪の言葉を口にして大人しくなった。
(俺も化け物じみていると言われたことがあるが、あれと比べるとまだ常人の範囲内に入っているぞ。それにしてもあのジークと言う男……多分、間違いないだろうな)
そんな副官の様子を見ながら、俺はそんなことを思ったが……同時に、あれと並び立とうとしている娘が少し気の毒になってしまった。
あれは天に与えられた才能を人並み以上の努力で鍛えたからと言って、同じ景色を見ることが出来るとは思えない。それくらい底の見えない化け物だ。
「敵に回したくは無いな……」
「何かありましたか?」
「何でも……おっ! どうやら話がまとまったみたいだな。ジークともう一人、こちらに戻ってくるみたいだ」
あいつと戦うとなったら、ドラゴン程度の被害では済まないだろう。むしろ、ドラゴンを数匹相手にした方がよほどましだとすら思えるかもしれない。
そんな嫌な考えから出てしまった言葉に副官が反応したが、丁度ジークが戻って来るのが見えたので、そちらに意識を向かせることに成功したようだ。
(それにしても……髪も目の色も違うが、あれがエリカの言っていたジークだとして、会ったことを黙っておくのと教えるの……どちらが面白くなるのか、気にはなるな)
そんなことを考えているうちに、ジークともう一人の男は俺たちのすぐ目の前まで来ていたのだった。