第一話
「おい、聞いたか? 何でも、ギルドにアラクネの素材が大量に運ばれたそうだぞ!」
「は? あのアラクネの素材が? 何か違う魔物のやつじゃないのか?」
「かもしれないけどな。何でも、アラクネ最大の特徴である人間の上半身は見つからなかったそうだからな」
「それなら俺も聞いたぞ。なんか、見つかったのは脚の部分だけらしいけどな」
「脚だけだと、大量とは言えないんじゃないか?」
「だから、脚だけでも数体分が見つかったんだよ。詳しく調べないといけないみたいだが、少なくとも四~五匹分あるらしいぞ」
「はぁ!? アラクネって言ったら、一匹だけで田舎の村が餌場に変わるとか言われているだろ? この町の騎士だと、十人いても倒せないかもしれないとか言う強い魔物じゃないか! それが四~五匹!?」
「見つかった脚の数を合わせれば、四~五匹分と言う話だ。もしかすると、その倍以上いたのかもな」
「十もいれば、大きめの街でも壊滅しかねないぞ! ……でも、素材ということは誰かが倒したということだろ? 誰が倒したんだ?」
「それが不思議な話で、アラクネの群れは何かに襲われたみたいだと、素材を持ち込んだ奴は言っていたらしいな。何か、アラクネよりもデカくて強い魔物に食われたんじゃないかと。だから、比較的柔らかいとされている上半身や胴体を食べる時に、邪魔な脚はもがれて残ったんじゃないか? ……ってな。今頃ギルドでは、素材が発見されたところを調査する為の部隊を作っているはずだぞ」
「へぇ~……参加できるならしてみたいな」
「やめとけって。もしアラクネを食った魔物とやらがいるとすれば、それは間違いなくお前の手におえる奴じゃないぞ。気が付いた時には腹の中だな! そんなのがまだその近くに潜んでいるかもしれないんだ。それに、そんな魔物が居なかったとしても、見つかった素材はギルドに提出しなければいけないだろうし、そうでなくても危険な魔物のいた森の中を長時間調べなければいけないんだ。引き受けないって言うのが賢い選択ってやつだ」
「それもそうだな。おっ! ちょっとあっち見てみろよ! 丁度その話をしている奴らがいるぞ。しかも、その依頼に乗り気のようだ」
「ん? どれどれ……ああ、あいつら新人かそれに毛が生えたような奴らだろ? 断られるのがオチだ。まあ、もし依頼を受けることが出来たとしたら、それは何かあった時の捨て駒用だろうな。ちょっと、忠告だけはしといてやるか」
「優しいねぇ~」
「貴重な後輩だしな。それにあいつらは、ちょっと前に他の街に行ったあいつと違って素直そうだしな」
「素直じゃなくて、使いやすそうの間違いじゃないのか? あいつも、そんなお前の本性に気が付いたんだろうよ」
「そんなんじゃないって、俺はただギルドの為にもなると思ってだな……」
「ギルドの為なら、お前も調査の依頼を受けたらいいじゃないか。それよりも、早くいかないとあいつらギルドに行ってしまうぞ」
「おっと、いけね。ちょっくら行って来るわ」
もう一年が経つのか……時間が経つのは速いな……
俺は慣れない道を歩き、目的の場所へ向かう為にバス停を目指した。その場所に行く為のバスは数が少ないので、次を逃すと一時間以上待たなければならなくなる。
その途中で花屋に寄ることを忘れずに、店員に頼んで花束を作ってもらった。
花を買うことなどほとんどないので、この花束の値段が高いのか安いのか分からないけれど、これくらいなら問題ないなと思える金額だった。後で調べて知ったことだが、先に値段を伝えておけばその範囲内で作ってくれるところが多いそうなので、忘れていなければ次からはそうすることにしようと思う。
時間に余裕を持って家を出たので、このままだとバス停で少し待つことになるかもしれないな。
そう思いながら歩き、バス停まであと少しというところまで来たところで、運悪く信号に引っ掛かってしまった。時間に余裕があるので、そのまま信号待ちをしても良かったのだが、何となく歩道橋を渡って行こう決めて階段を上り始めたところで、上から降りてくる人に気が付いた。
その日とは女の人で、お腹が膨らんでいるように見えたので、もしかすると妊娠中なのかもしれない。
俺はその人の邪魔にならないように反対側を通ってすれ違おうとしたが……すれ違う少し前に、女の人が足を踏み外してバランスを崩してしまった。
「危ない!」……そう思った俺はとっさに腕を伸ばして女の人を支え、反対の手で手すりを掴んだ。
女の人を支えた俺もかなり危険な体勢になってしまったが、運良く俺も女性も階段を転がり落ちることは無かった。
女の人は思った通り妊娠していて、後少しで出産予定日ということらしい。
一応、階段を降りる手伝いをしたが、特に怪我はないそうなので歩道橋の下で少し話をしていたのだが、ふと遠くの方を見るとの目的のバスがやってくるのが見えた。
俺は慌てて女の人と別れ、またも信号が赤になっていたので歩道橋を走って渡り、丁度到着したバスに乗り込んだ。
バスに乗ってふと歩道橋の方を見ると、こちらを見ていた女の人と目があったので会釈した。その後、走り出したバスは目的の場所に近いバス停へと走り出したが……その途中で俺はいつの間にか寝てしまっていた。
前の席に座った人の音で起きた俺は、バスが目的の場所とは違うところを走っていることに気が付き慌てた。どうやら俺が慌てて乗ったバスは、目的のバスではなかったらしい。
そんな俺に気が付いた前の席に座っていたおばあさんが声をかけてきたので訳を話すと、おばあさんは気の毒そうな顔をしながらも俺の目的地を知り、それならこのまま乗っていればその目的地の近くまで行くことが出来ると教えてくれた。ただ、これから山道に入るので遠回りになってしまうし、降りても少し歩かなければならないそうだ。
それくらいなら仕方が無いかと思い、携帯の電波も入りにくくて暇だったのでバスの中を見回すと、山の中を走っているというのに、バスは半分近くの席が埋まっていた。
結構人が利用するんだなと思っていると、聞こえてくる話の内容からこの先に温泉施設があるらしいというのが分かった。そう言った理由から、このバスはお年寄りの利用客が多いのだろう。
そうしているうちに、バスは少し開けた場所にあるバス停に到着し、前の席に座っていたおばあさんを始め、バスに乗っていたほとんどの客が下りていった。
降りていった客と入れ替わりで、十人近い人が乗ってきたので、その温泉施設とやらは結構人気なのかもしれない。
そんなことを考えながらぼんやりと乗って来る客を見ていると、若い男性が一人お年寄りに交じってバスに乗って来た。始めは誰かの連れかと思ったが、その男性は誰とも話さずに空いていた運転席のすぐ後ろの席に座ったので、もしかすると一人で温泉に来ていたのかもしれない。
詳しい年齢は分からないが、俺よりも少し上といった感じなので、大学生か新社会人くらいだろう。
大きな荷物も持っているし、そのくらいの年齢なら温泉に来るにしても車を使いそうだなと勝手な想像をしていると、バスは再び山道に入って行った。道路のすぐそばはちょっとした崖になっているようで、離れたところに湖が見えるので、多分川になっているのだろう。
俺の座っている席からもいい景色が見えるので、こんなことなら反対側に座っていればよかったなと思っていると……前の方に座っていた若い男性が急に立ち上がり慌て始めたかと思うといきなり大きな爆発音が聞こえ、バスが急に蛇行し始めた。
そしてバスは崖を転がり落ち……そこから先の記憶は無かった。
次に気が付いた時、俺は病院のベッドに横になっていて、視界の半分は包帯で覆われて、腕には数本の管が繋がれている状態だった。
意識を取り戻した俺に気が付いた看護士が医者を呼ぶと、その医者は俺の体を触ったり質問してきたのだが、俺は声が出せなかったので小さく頷くことしか出来なかった。
そんな状況の俺に、医者は何故俺がここに居るのかを話してくれた。
それによると、俺の乗っていたバスが運転を誤って崖に落ちてしまったとのことだ。
その話を聞かされた時は、「あの時バスが大きく蛇行したのが原因か」と思ったのだが、しゃべれなかったので伝えることが出来なかった。そしてしばらくして、「それなら、あの蛇行寸前に聞こえた爆発音は何だったんだ?」とも思ったが、やはりそれも声が出なかったので聞くことが出来なかった。
それから、体の痛みで眠れない日々が続き、疲れから眠ることが出来てもすぐに体の痛みで起きて……というのを何日も繰り返し、ようやく体の痛みに慣れてきた頃、俺の病室に強面の男たちがやって来た。
明らかに普通の人ではないと言った感じの男たちだったが、話を聞く限りでは警察のようで、あの事故のことを聞きに来たそうだ。
一応、医者が同席して俺が満足にしゃべることの出来る状態ではないとは伝えたが、男たちはかまわないと言った感じで質問をしてくる。それが何日か続いた。
始めこそ事故の原因が分かっていないから焦っているのかと思ったのだが、二日目三日目と続くうちに焦っているのではなく、俺が事故の原因ではないかと疑われているのではないかと思うようになった。
そして四日目、しゃべることの出来ない俺にイラついたのか、警察の一人が「乗っていた全員が死んだというのに……」と呟いたのが聞こえてしまった。
もっとも、俺一人が生き残ったからと言って容疑者扱いされる意味も分からないが、同時にそれくらい事故の手掛かりがないのかもしれないとも思ってしまった。まあ、思っただけで、警察に対する不信感が消えるわけではなかったが……ただ、唯一の救いは、その警察官の呟きが医者の耳にも届いたようで、俺の容体に悪影響を与える恐れがあると言って警察との面会に制限を付けてくれたのはありがたかった。
そして、その医者から苦情でも行ったのか、次から来る警察は全てが入れ替わっていて、表面上は穏やかに接してくるようになったのだった。もっとも、あくまでも表面上はというだけで、俺を見る目が鋭くなることがよくあったけれど。
目が覚めてから一か月、事故から一か月半が過ぎようとしても、俺の体は歩くまで回復するには至らず、声も満足に出せないままだった。
寝ている分には体の痛みはほとんど感じないけれど、リハビリの為に少し無理してでも動く必要があり、その時間は地獄とまでは言わないがかなりきついものだった。
最初は病室の中で立つことから始め、ようやく廊下を歩行器を使って歩いてみようかと思った時、ちょっとした事件が起こった。
何と俺の病室を知ったどこかの記者が、病院に侵入してきたのだ。
幸い、俺の病室がある階に行くには病院の許可が必要で、俺に面会に来る人が警察以外いないと知っていた看護師によって阻止されたそうだ。
それからしばらくして、警察に持って行かれていたという自分の携帯を開き、事故に関する情報を片っ端から集めてみると……思ってた以上に酷いものだった。
二流三流と言われるような記者もどきが書いた記事だけでなく、よく知られている雑誌や新聞の記者まで、『?』を付けている者の俺を犯人であるかのように憶測ばかりで書いていて、通っている学校の掲示板には、同じ学校の生徒と思われる奴らがあることないこと面白おかしく書いていた。
さらに掲示板では、俺の人格を否定することから始まり、やっていないことを誇張し、身内に起こった事故ですら俺が黒幕ではないかと書いている奴までいたのだ。
そんな、知らないうちに知らないところから向けられていた世間の悪意に気が付いた俺は……
「いつの間にか寝ていたみたいだな……ん? 涙?」
開けっ放しにしていた窓から差し込む朝日に起こされた俺は、寝ている間に涙を流していたことに気が付いた。最初こそあくびでもしたのかと思ったが、あくびにしては量が多いので、何か悲しい夢でも見ていたのかもしれない。
もっとも、どんな夢を見ていたのかは、全く覚えていないのだけれども。