第十七話
本日二話更新
その1
変則の授業が始まってから三か月が過ぎ、今年も夏季の長期休暇が近づいてきた。
変則授業が続いていることからも分かるように、ソウルイーターのものと思われる事件は未だ続いており、被害者も二十人を超えているというのに一向に解決の糸口が見えず、学園だけでなく王都の雰囲気はかなり悪くなっていた。
そう言った理由もあり、今年は領地に帰るという学園生が多いらしく、教師陣や生徒会はそう言った書類の処理で大変とのことだった。中には、領地への帰還の書類ではなく退学届けを出した生徒もいるそうで、特に中等部の一年生からのものが多く、すでに学年の五分の一近くの生徒から退学か休学の届けが出されているらしい。これは長期休暇を利用して他の領地、もしくは他国の学習機関へ編入する目的からだそうで、その全てが貴族出身の生徒なのだそうだ。
他の学年からは中等部の一年のような数の退学者は出ていないが、それでも転校を目的とした休学届けや留学の届けは例年以上にあるらしい。
俺は今年もヴァレンシュタイン家に戻るつもりだが、サマンサさんからは自分たちの治める領地に行ってみないかと誘われている。まあ、名目上は一度くらいはヴァレンシュタイン家の領地を見て来てはどうかと言うことだが、実際は明らかにソウルイーターから俺を遠ざける為だろう。
しかし、俺としては断る理由もないので一度くらいは気分転換もかねて連れて行ってもらうかと思って了解したのだったが、その話が出てからすぐにカラードさんとサマンサさんに用事が出来てしまったらしく、領地への出発予定日が少し遅くなるとのことだった。
「ジーク、あなたは今年の休暇どうするの?」
「ああ、今年はヴァレンシュタイン領に行くつもりだ。まあ、サマンサさんたちの用事で出発が遅れることになったから、あまり長くはいられないだろうけどな」
「そう、私も今年は実家に帰ってこいって言われているから、休暇中は会うことは無いでしょうね」
エリカがそう言うと、俺たちの会話に耳を傾けていたクラスメイトが驚いた顔をしていたが……別にデートなどと言う色気のある話ではなく、エリカの場合は俺を利用してディンドランさんに会うことが出来ないかと考えているのだ。
ことの発端は去年の夏季休暇で、たまたまヴァレンシュタイン家の買い物でディンドランさんと出かけている時に、同じく買い物に繰り出していたエリカとばったり出会い、そのまま一緒に喫茶店に行く機会があったのだ。
そして今年の初めにあった冬季の休暇の時も、ヴァレンシュタイン家の用事で買い物に出かけた際にエリカとまた出会ったのだが……その時俺と一緒に居たのがガウェインだったので、エリカはとても残念そうな顔をしてその場で別れたのだった。
「ヴァレンシュタイン領には護衛としてガウェインとディンドランさんもついてくるみたいだから、もしかするとまた買い物中に会うかもしれないけどな」
そう言うとエリカは目を輝かせていたが……そこでいつ買い物に行くのか聞かない辺り、まだ自制が出来ているようだ。もしこれがエレイン先輩なら、何とかして買い物に出かける日を聞き出そうとするかもしれない。もっとも、何らかの方法でその買い物の日が分かったとしても、その担当にディンドランさんが選ばれるとは限らないけどな。まあ、下っ端である俺は高い確率で選ばれているだろうけど。
「それにしても、先生遅いな。いつもならホームルームの半分くらいまで終わっている時間だぞ」
「そうね、何かあったのかもしれないけれど、授業のこともあるし様子を見に行った方がいいのかしら?」
そうエリカと話していると、
「席に着け! ……全員いるな。済まないが、今日の授業は全て自習となった。大人しくしているように。それと、ヴァレンシュタイン! 学園長がお呼びだ。俺と一緒に来い」
緊張した様子で教室に入ってきた先生は、皆が席に着いていないのを咎めずに急かすように席に着かせ、人数を数えただけで点呼を済ませた。そして、早口で自習を告げると、俺を呼んで速足で教室を出て行った。
「あなた、何をしたのよ」
「知るか」
呆れた様子のエリカに短く言葉を返して、俺は急いで先生の後を追った。
先に教室を出て行った先生は俺が付いてきていないことに気が付いたのか少し先で待っていて、俺が追いつくと改めて歩き始めた。
「先生、何があったんですか?」
「ここでは詳しくは言えないが、かなり良くないことが起こった。いいか、学園長の質問にだけ、正直に答えろ。周りが騒ぐかもしれないが、そいつらは俺が何とかして抑えてみよう。それと、何を言われようとも、絶対にキレるな。いいか、絶対だぞ!」
こんな先生は見たことが無かったので、かなり不味い状況になっているのだろうと思い、頷いた後は出来るだけ感情を落ち着けて集中することにした。
「ブラントンです。ジーク・ヴァレンシュタインを連れてまいりました」
「入りなさい」
学園長室の前で一度深呼吸した先生がドアをノックすると、中からいつもより硬い感じのするエンドラさんの声が聞こえた。
先生と共に学園長室に入ると、エンドラさん以外にも中には十名の教師と……明らかに教師とはかけ離れた雰囲気を持つ男がいた。
そんな中、俺は部屋に入って十歩ほど歩いた位置に立たされた。丁度エンドラさんの机の正面だ。ブラントン先生と他の教師たちに雰囲気の違う男は、俺を取り囲むようにして立っている。まるで裁判でも始まるかのような雰囲気だ。
「ジーク・ヴァレンシュタイン! 貴様には殺人の容疑がかかっている! 犯した罪を今ここで白状しろ!」
剣呑な雰囲気の中、最初に口を開いたのはバッケラーゲ教頭だった。こいつは入学式の日に絡んできてから、ずっとこんな調子で俺に敵意を向けてくるのだ。
いきなり何のことを言っているのか分からなかったが、とりあえず相手にしない方がいいと思い、ブラントン先生に言われた通り無視をしていると、
「教頭、ヴァレンシュタインは話を聞く為に呼び出しただけであり、容疑者とすら呼べる状況ではありません。それに、今の発言ではヴァレンシュタインを犯人だと決めつけていましたが、ヴァレンシュタインがその気になれば、名誉棄損で訴えることも可能ですよ」
すぐにブラントン先生が口を挿んだ。その言葉に思わず「名誉棄損で訴えます!」と言いそうになったが、先生が真剣な目で俺を見ているので、思うだけで言葉にはしなかった。
「だが、目撃者はヴァレンシュタインだと言ってるそうではないか!」
しかし、ブラントン先生の言葉に負けず教頭が言い返したが、
「証言は背格好がジーク・ヴァレンシュタインに似通っているというと言うだけのものであり、確定したわけではありません。そもそも、その目撃した者の言う条件に当てはまるのはジーク・ヴァレンシュタインだと言ってきたのは、この学園の関係者です。憶測だけで発言し、場を混乱させるのは止めてもらいたい」
今度はブラントン先生ではなく、一人だけ雰囲気の違っていた男に一喝されて、バッケラーゲはようやく静かになった。まあ、口を開かなくなっただけで、俺のことを親の仇でも見るかのような目で見てはいるけども。
「ヴァレンシュタインも薄々気が付いているとは思いますが、まずはこちらの質問に全て正直に答えなさい。まず、あなたは昨日の昼から夕方までの外出許可を取っていますね?」
「はい」
教頭を一喝した男が口を閉じると、今度はエンドラさんが話しかけてきた。いつもとは違う口調と雰囲気なので少し戸惑ったが、ブラントン先生からも正直に答えろと言われていたので肯定した。
「理由は?」
「午前中にヴァレンシュタイン家より手紙が届き、授業が終わってから屋敷に来るようにと書いてありましたので、正規の手続きで外出許可を取りました」
「ブラントン先生?」
「はい、私が担当しましたので間違いありません。担当した理由は、授業時間中にヴァレンシュタイン家より届けられた手紙を私が預かったので帰りのホームルームで直接渡し、その場で内容を確認したヴァレンシュタインに許可を求められたからです。外出に必要な書類は職員室で書かせてその場でチェックし、問題が無かったので許可を出しました」
「確かに書類に不備はないわね。ヴァレンシュタイン、学園を出てからの行動をなるべく詳しく話しなさい」
俺とブラントン先生の話を聞いたエンドラさんは、手元に置いていた俺の外出届に目を通し、不備がないのを確認してから他の先生に回した。
「一度寮に戻り着替えてからヴァレンシュタイン家の屋敷まで走り、一時間程で到着しました。屋敷に着いてからすぐにヴァレンシュタイン家当主代理であるサマンサさんに会い話を聞き、昼食を食べてから三時間程騎士団の訓練に参加しました。それからまた一時間程かけて学園まで戻り、門のところにいる警備員に戻ってきたことを報告し、寮でも寮母さんに帰寮したことを報告しました」
「確かに、今の説明と記録にある学園に戻ってきた時間と行動に間違いは無いようね」
そのまま、「どういった道を通って来たか?」「道中で同行者がいたり知り合いに会わなかったか?」などを聞かれ、思い出せる範囲で質問に答えていった。
「調査官、公平な目で見ても、ジーク・ヴァレンシュタインが事件に関与した可能性は低いように思われますが?」
「そうですね、道中での目撃者などを探してみないことにははっきりと言えませんが、ジーク・ヴァレンシュタインの言う通りならば犯行現場からはかなり離れているので、犯人という線は薄いように思われます。ただし、完全に容疑が晴れたわけではないので、しばらくの間……最低でも目撃者を見つけるまでは学外への移動は控えるようにお願いします」
そんな感じでエンドラさんと調査官と呼ばれた男が締めくくろうとすると、
「それでは、ジーク・ヴァレンシュタインとよく似た者を目撃したという証言はどうなるのだ? 被害に遭った生徒を、我が校の制服を着た男が黒い布のようなもので動きを封じ、その後殺害したと言っていたのだろう? それと同じ魔法が使える者は、そいつ以外にいないではないか!」
だから俺が犯人だとバッケラーゲが叫ぶが、
「そう言った証言があったことは確かですが、まだそれが魔法であるとは決まっていません。それに、一度私服に着替えたものをわざわざ制服に着替えなおして犯行に及ぶというのはかなりおかしな話です。普通は逆で、犯行時は少しでも正体を隠す為に普段とは違う服装を選ぶものです。それに、被害者とこのジーク・ヴァレンシュタインには力量にかなりの差があったと聞いています。なので、わざわざ犯行に特徴のある魔法を使ったというのも引っ掛かります」
と、調査官が落ち着いた声で反論した……が、そんなことよりも、無視できない言葉が調査官から出たのが気になった。
「エンドラさん、被害者は俺と関わりの深い人ですか?」
少なくとも、俺と力量を比較できる相手ということは、被害者は実戦形式で何度かやり合ったことがある人物ということだ。そんな人物は限られてくる。
真っ先に頭に浮かんだのはヴァレンシュタイン騎士団の団員だが、もし団員が被害者で俺が容疑者となっているならば、この場にカラードさんか最低でも騎士団のトップの三人のうち誰か一人が来ているはずだ。
だとすると被害者はそれ以外の知り合いということになり、ウーゼルさんが被害に遭ったのなら騒ぎはこんなものではないだろうしアーサーも同じだろう。
そうなると学園関係者と言うことになるが、今日の点呼ではクラスメイトは全員出席していたので、他のクラス……もしくは、
「被害に遭ったのはカルナディオ伯爵家の次男のシドウ・カルナディオ……ここ最近、あなたと一緒にいるところをよく目撃されている、高等部二年Aクラスの生徒よ」
先輩のうちの誰かというわけだ。
シドウ先輩は今学期の始めの方で訓練で一緒になったのが初顔合わせだったが、その後のアコニタムの一件からよく目をかけて貰っていた。
俺は同学年との付き合いが薄い分、貴族などに関する情報はエリカ頼みの状態だったのだが、生徒会もやっているシドウ先輩はそれを知ってから色々なことを教えてくれるようになったのだ。
知り合ってからの時間は短いが非常に世話になっており、それこそエレイン先輩と並んで尊敬できる人だった。だから、
「ジーク! 落ち着きなさい!」
感情が抑えきれなかった。いつ、どこで、誰に殺されたのかは分からないが、学園の制服を着て俺と同じような魔法を使ってまで先輩を襲ったということは、ほぼ確実に俺が関係しているだろう。もしかすると先輩は、俺が原因で犠牲になったのかもしれない。
「やはりお前は危険人物だ! お前と関わらなければ、カルナディオも死ななかったのだろうな、がふっ!」
わざわざ俺に近づいてまで何かを叫んでいた男がいた。そいつの言っている内容はよく聞き取れなかったが、とても耳障りな声だったので反射的にその喉を掴んでしまった。このまま握りつぶせば静かになるだろうし、俺も少しは落ち着けるかもしれない。
そんなことをぼんやりと思いながら手に力を込めようとした時、いきなり顔面に殴られたような痛みが走り、思わず手を離してしまった。
想定外の出来事に男の喉を握りつぶし損ねてしまったが、前に森でゴリラに叩きつけられた時よりはダメージが少ないのでもう一度掴めばいいか。
「ジーク、よせ! 落ち着け、ジーク!」
しかし、改めて尻餅をついている男に手を伸ばそうとしたところで、今度は後ろから羽交い絞めにされた。さらに続けて、
「いい加減にしなさい、ジーク!」
エンドラさんに正面から両手で顔を挟むような形で叩かれた。
「はい、すいませんでした。落ち着きました。もう大丈夫です」
「本当ね? 口からの出まかせだったとしても、自己暗示してでも感情を抑え込みなさい!」
「いいかジーク、このまま少し下がるぞ……よし、放すがそのまま動くなよ」
俺を羽交い絞めにしていたブラントン先生の動きに合わせ、何度も深呼吸しながらゆっくりと十歩程後ろに下がった。
その間もあのうるさい男を殺してでも黙らせろと言う気持ちと、エンドラさんとブラントン先生の言う通り気持ちを落ち着けなければという気持ちがごちゃ混ぜになっていたが、一歩後ろに下がる毎に殺すという気持ちは少しずつ薄れていき、ブラントン先生が俺を放す頃には「今は殺さなくてもいいか」くらいまで殺意を抑えることが出来ていた。
「や、やは、かひゅ……かふゅ……」
まだ尻餅をついていた男……バッケラーゲは今しがた命拾いをしたばかりだというのに、また何か俺の気に障りそうなことを言おうとしていたが、のどの痛みでまともにしゃべることが出来ないのか、途中から言葉になっていなかった。
その代わり、バッケラーゲの取り巻きと思われる教師たちが俺を非難していたが、
「今のはジーク・ヴァレンシュタインもやり過ぎではありましたが、先に挑発したのはバッケラーゲ教頭と言えるでしょう。事件とは無関係の可能性が高いと言われたばかりであり、親しくしていた先輩が亡くなったと知ったばかりの少年に対し、先程の言葉はひどいものでしたな。流石に今のは教師として……いえ、人としてどうかと思いますが? まあ、被害届を出すというのなら受付はしましょう。ただし、何故そうなったのかを事細かに記録する必要があり、様々な関係者に見せた上で判決を出すという形になると思われますが……どういたしますか?」
今のは殺人未遂とも取れる行動だったので、被害届を出すのなら受け付けることも可能だが、それをするとその前に起こったことも含めて記録として保存しなければならなくなり、そうするとことの発端がバッケラーゲが生徒である俺を先に挑発したことが原因だと、この先何年も正式な記録として残ることになると調査官は言っているようだ。
そういった記録は一般人は見ることは出来ないが貴族なら可能なので、バッケラーゲが所属している派閥と敵対している者からすれば、いい攻撃材料になるだろう。まあ、大したダメージは与えられないだろうが、仮にも学園で教頭をしている人物が学園生を挑発した結果だと一般人にバラされたら、所属している派閥の評判まで悪くなるかもしれない。
敵対派閥からすればちょっと調べて少し口を滑らせるだけでいいので、あまりリスクを負わずに攻撃できるのだ。バッケラーゲが被害届を出せば、敵対派閥は喜びながら即座に行動を起こすだろう。
「ぐっ……いや、いい……被害届は出さない……」
バッケラーゲも被害届を出した時の敵対派閥の行動が予測できたようで、悔しそうな顔をしながら調査官に被害届は出さないと言った。
「それでは、ジーク・ヴァレンシュタインはこの事件に関与した可能性は低いということでよろしいですね?」
「……ああ」
「ではジーク、教室に戻ってよろしい。くれぐれも寄り道などせずに、まっすぐ戻りなさい」
「分かりました、失礼します」
エンドラさんの言葉で、俺は学園長室を後にした。そして教室に戻る途中で、
「ん? 鼻血か?」
鼻から熱いものが流れてきたのに気が付いた。多分、バッケラーゲを吊るしあげた時に顔面に食らった何かか、エンドラさんに顔を叩かれたのが原因だろう。学園長室にいる時は鼻血は出ていなかったので今になって流れ始めたのは、もしかすると少し気が緩んだからかもしれない。
エンドラさんには寄り道をするなと言われたが、このまま鼻血を垂れ流しながら戻るのもおかしいので、一度トイレによって手と顔に付いた血を洗い、鼻をつまんで少し集中して魔法で治療を開始した。回復魔法はあまり得意ではないが、これくらいの怪我ならすぐに治るはずだ。
一分もしない内に血が止まったように感じたので、鏡で確認してみると、
「うわぁ……鼻血よりも、頬の方がひどいことになっているな。こっちも治療しておくか」
何かで殴られたような痛みを感じた右の方は、鼻血と同じく気が緩んだのが切っ掛けかは分からないが青く腫れ始めているし、左も左でかなり赤くなっている。多分、右の方はエンドラさんが魔法を使ったのだろう。それなら青く腫れるのは仕方がない。むしろ、これだけで済んでよかったというところだ。
そして左の方は……エンドラさんの手の形が分かるほどに赤くなっていた。流石に頬に赤い紅葉を残したまま教室に戻りたくはない。最低でも、左の手形だけでも消したいところだ。
鼻の時よりも集中して回復魔法を両頬に使ったが、五分程使用しても右は青いままだった。ただまあ、腫れも大分引いて青色も薄くなったようには感じるし、左は手形の指の部分が消えて少し赤い程度まで回復したので、これくらいならかまわないだろう。
ただ、この状態でもクラスメイトから何があったのかと聞かれるだろうが、その時はちょっとやらかしてエンドラさんにぶん殴られたと言えばごまかせるはずだ……半分くらいは本当のことだし。