第十話
「何とか間に合ったみたいだな」
ブラントン先生はまだ来ていないし、クラスメイトたちも思い思いに席を移動していたのでホームルームには間に合ったようだ。ただ、俺がクラスに入ったとたん、一斉にこちらに注目して静かになるのは止めて欲しい。
「おはよー」
などと、名も知らないクラスメイトに挨拶しながら自分の席に向かうと、仕方なくもしくはつられて挨拶を返してきたのと、様子見か完全に無視で黙っていたのが半々と言ったところだった。なお、エリカにも席の近くを通った時に一応あいさつしたのだが、俺と目が合うと気まずそうな顔をしてすぐに逸らしていた。ただ、昨日のように敵意がこもったような目では無いように感じたので、あの後で先輩と話したのかもしれない。
「お前ら、席に着け。ホームルームを始めるぞ……おっ! ヴァレンシュタインはちゃんと来ているな。さっきAクラス寮のおばちゃんから聞いたが、昨日の夕食と風呂に来なかったし、朝も見かけなかったから何かあったのかと心配されていたぞ。何があった? 早速家が恋しくなったか?」
などと、先生は笑って言っているが、茶化しているというよりは、昨日のエリカとの諍いが原因なのかを探っている感じだった。
「いえ、昨日部屋に入ったら急に眠気が来てしまったので、仮眠のつもりでベッドに横になったのですが、気が付いたら夜中でした。食事はおやつ代わりにと思って用意していた保存食があったのでそれですませたのですけど、その後で今日の準備が出来ていないことに気が付いてしまって……」
「準備をしていたら今度は眠れなくなって、朝寝坊をしたというわけか?」
「はい、そうです。それと、色々あったので、疲れがたまっていたんだと思います」
色々と言ったところで、エリカの体がわずかに反応したように見えた。
先生はそれに気が付いたのか、
「入学早々、一体何があったんだ? 普通だと入学の前後は、緊張から大人しくしているものだぞ?」
などと続けて聞いてきた。まあ、昨日部屋から出てこなかった原因がエリカではないと言っていることに気が付いたようだが、エリカを安心させる為なのかその原因を知りたいようだ。
「自分がヴァレンシュタイン家で世話になっているのは言ったと思いますけど、ヴァレンシュタイン家の使用人や騎士団を合わせた中でも最年少なので、色々といじられるしこき使われるんですよ。主にガウェインとかディンドランさんとか、ガウェインとかガウェインに……個人的な訓練に無理やり付き合わされるし、入学式の前日だというのに宴会をやって、夜遅くまではしゃぐわ巻き込むわで、しっちゃかめっちゃかの大騒ぎでしたよ」
と少しふざけて言うと、クラスメイトは全員驚いた顔をしていた。そう言えば、ガウェインとディンドランさんはかなりの有名人とのことだし、もしかするとディンドランさんだけでなく、ガウェインも憧れの的だったりするのかもしれない。しかし、
「ガウェインは未だに学生の頃と変わらんのか……ヴァレンシュタイン、お前も苦労しているんだな」
先生だけは同情してくれた。何でも先生とガウェインは同級生らしく、ガウェインには色々と苦労させられたそうだ。しかも、ガウェインは何を思ったのか、高等部の一年の時に自主退学したそうで、その時は周囲から仲のいいと思われていた先生は、何か事情を聞かされていたのではないかと様々な人から質問攻めにあったそうだ。なお、ガウェインの自主退学の理由は、当時一番強いとされていた高等部の三年生を子ども扱いした後、同じくその当時学園で一番強いと言われていた嫌われ者の教師(エンドラさんはこの事件の後で学園に来た)を病院送りにしたことで、学園でやりたいことが無くなったからだそうだ。
その後、数年の間傭兵として国内外の戦場を渡り歩き、傭兵にも飽きてきたところでカラードさんに誘われてヴァレンシュタイン家に来たとのことだった。
ついでに言うと、ランスローさんはちゃんと学園を主席で卒業し、ランスローさんの両親がヴァレンシュタイン家の関係者だった縁でそのままヴァレンシュタイン騎士団に入隊したらしく、先生は次席だったが座学ではトップだったので、卒業後すぐに学園に就職したそうだ。
「そういうことなら、疲れがたまっていたのも理解できるな。だが、あまり寮のおばちゃんたちに心配かけるなよ。あの人たちは、学園生活に置いて必要不可欠な存在だからな。皆も、絶対に敵にだけは回すな。分ったな」
最後は笑いながら締めた先生だが、クラスメイトの大半の視線は俺に向けられていた。これは先生と同じように同情……ではなく、異質なものを見るような視線だ。やっぱり、ガウェインを呼び捨てにしているのがまずいのだろうか? だけど、俺はあいつの呼び方を変えるつもりはないし……
などと悩んでいると、先生が今日の予定を話し始めた。
「これからすぐに着替えて、先輩たちの訓練を見学に行く。最初は第一訓練場で戦闘術、その後で第二訓練場に移動して魔法の実戦訓練だ。いくら見学とは言え、気を抜くなよ。先輩たちがからかって来るのはこの時期の恒例行事のようなものだし、そうでなくとも魔法の訓練では手違いで魔法が明後日の方向に飛んで行ってしまうのは割とあることだからな。まあ、そうなると減点されて、繰り返すと居残りさせられるがな」
先生はからかって来ると表現したが、実際は絡んでくるが正しいだろう。ヴァレンシュタイン騎士団でもよくあったことだ。俺に絡んできていたのは、主に二名の騎士団のトップクラスに位置する問題児だったが……あの二人に比べれば、この学園の先輩の絡み方は可愛いものだろう。
「誘いを受ける受けないは各自の判断に任せるが……お前たちはAクラスに入れるくらい新入生の中では優秀な部類ではあるが、学園での一年二年の差は大きい。たまにその差をひっくり返すような規格外が出てくるが、大抵は善戦できれば優秀というところだ。まあ、やる気があるなら胸を借りるつもりでやってみろ」
そう言って先生は、更衣室に言って着替えてくるように言ったが、そのすぐ後で俺の方に寄ってきて、
「ヴァレンシュタイン、お前だけは受ける前に俺に報告しろ。流石にガウェインに揉まれ続け、あいつと善戦できるようになったというお前と学園生では、それこそレベルの桁が違うと思った方がいい。それで何か言われたら、昨日ちょっとした騒ぎを起こしてしまったせいで、何かする時は全て担任に報告してからにしろと、学園長から言われたとでも言えば大丈夫だ」
「了解しました」
「それと、やる時は十分に手加減しろよ。ガウェインは首を切り落とすか心臓を破壊しない限り死にそうにないが、普通の人間はそうではないからな」
「ガウェインだと、それでもしばらくの間動いていそうですけどね」
「……怖いことを言うな。一瞬、想像してしまったじゃないか……とにかく、そういうわけだからヴァレンシュタイン、例え挑発されたとしても短気は起こさずに、一度深呼吸してから俺に報告しろ」
と先生は念を押して、早く着替えてくるようにと言って俺の背中を押した。
更衣室に急いでいくと、丁度着替え終わったクラスの男子たちと入れ違いになった。なのでAクラスの移動は、俺待ちになる可能性が高かった。そのことでエリカが突っかかってくるかもしれないなと思いながら急いで着替えて集合場所に行くと、案の定俺以外の全員が揃ってはいたが、心配していたエリカは大人しいままだった。と言うか、顔を合わせようとすらしなかった。
最初に向かった第一訓練場にいるのは二年のBクラスだそうだ。今年の二年は全てのクラスで入れ替わりがかなりあったらしく、Aクラスも進級の時に半分の十人が入れ替わったとのことだった。
今の二年生はここ十年の中では一番入れ替わった人数が多いらしい。だが、その分だけ学年内での実力の差は少ないらしく、平均的な実力はここ数年で一番かもしれないとのことだ。
「よく来たな新入生諸君! 私の担当するBクラスは、去年Aクラスに移動になった生徒が八人いる。残念ながらCクラスに落ちてしまった者が四人出てしまったが、実力では二年のAクラスに劣るものではない! 諸君らには、見学するだけでも勉強になることばかりだろう。先輩方の邪魔をしないようにしながら、この貴重な時間を無駄にしないように!」
なんだか、二年のBクラスを担当する教師は偉そうな奴だった。
「皆、先輩の邪魔にならないように、隅の方に移動するぞ」
先生も、あまりあの教師と話したくないのか、早々と俺たちに指示を出してあの教師と距離を取っていた。
そして始まった訓練だったがしばらくの間観察してみると、確かに技術的なレベルは高いように思えた。動きも綺麗だし、クラスメイトの話し声や表情から推測する限りでは、やはり一年と二年の間にはかなりの差があるのだろう。
だが、ヴァレンシュタイン騎士団で揉まれた俺からすると、学生としては強くても、ヴァレンシュタイン家で下っ端扱いされている騎士の足元にも及ばないと言った感じだった。
「どうだ、先輩たちは? すごいだろう?」
少し見学に飽きてきたところで、先輩たちの担任が何故か俺に話しかけてきた。
「そう言えば君は、学園長の秘蔵っ子らしいな? どうせなら、先輩たちに交じってみないか? いや、むしろ先輩たちに、秘蔵っ子の実力を見せてあげなさい」
決定事項のように言って俺の腕を掴んだ教師だったが、俺が動かなかったので徐々に力を入れ始めたが、それでも俺を動かすことは出来なかった。その間にブラントン先生に視線を送ると、
「カースホア先生、彼は個人的な理由で、学園長より今日は参加を見送るようにと言われております」
「個人的な理由? 学生が授業に参加するのを、学園長が禁ずるのはおかしな話だ。どんな理由があるかは知らんが、全て私が責任を持つ。それとも何か? 授業に参加すると、何かまずい理由でもあるのか? そう言えば彼は推薦で入学資格を得たそうだが、実は裏で学園長が入試の点数を改ざんでもしていたので、実力不足が露見するのが怖いのか?」
「今の言葉は撤回してください。彼にも学園長にも失礼です。そもそも、入試では実技のテストを行わないので、この授業に参加しなかったから合格は不正だったというのは、完全に言いがかりです」
ブラントン先生の言葉を聞いて、カースホアというらしい教師は顔を真っ赤にしているが、それでも俺の腕を離さなかった。どうやら引くに引けない状態になっているようだ。
「ブラントン先生、許可をください。どうやらこの人は、俺が戦わないと納得できないようですから」
そう言うとブラントン先生は少し悩んでいたが、最後には無茶をしないという条件で許可を出した。その条件を、カースホアは俺が無茶をしないと思ったようだが、先生は相手を無茶苦茶にしないと言いたかったのだろう。
ようやくカースホアの手から解放された俺は、軽く体をほぐしながら訓練用の武器の置かれているところへ移動し、目に付いたものの中から棒状のものを無造作に引き抜いた。
「これでいいか。長さも太さもちょうどいいし」
引き抜いたのは長さ一mちょっとある素振り用の木刀のようなもので、握り具合もよく片手でも振り回せるくらいの重さだったので、そのままこれを使うことにした。
それを見たカースホアは何やら呟いていたが、すぐに一人の男子生徒を呼び寄せて何か指示を出していた。
「ヴァレンシュタイン、彼は去年の年度末の試験でBクラスの九番目だった生徒だ。つまり、あと一歩でAクラスに入れるところまで行った生徒で、おまけにカースホア先生の影響をかなり強く受けている。早い話、カースホア先生が気に入らないお前を、全力で排除しようとするはずだ。気を付けろよ」
最後の『気を付けろよ』は、俺の身を案じてなのかそれともあの先輩の怪我させないようにとの念押しなのか分からなかったが、先程までの訓練を見た感じでは、まあ何とか怪我させないで済むだろう。
(相手はかなり大柄な先輩だし、武器も両手剣を模したものか……ガウェインの超劣化版というところだな)
体格だけを見たら将来的にガウェインとほぼ変わらないくらいまで成長しそうだが、あいつは両手剣を片手で自由自在に振り回すような馬鹿力の持ち主だから、年齢を考えると流石にあいつみたいな馬鹿な取り回しはしないだろう。
「多少の怪我くらいなら、学園の医務室ですぐに治るが、間違っても直撃だけはするなよ。流石に事故とは言え、後輩を殺したくは無いからな」
「ああ、心配ありがとうございます。でも、大丈夫だと思いますよ。先輩の方こそ、怪我には気を付けてくださいね」
いきなり挑発されたので、俺の方からも挑発し返すと、先輩は開始前だというのに掴みかかろうとして、カースホアに止められていた。その際、何か耳打ちしていたが、恐らくは開始前に襲い掛かれば事故として処理できなくなるみたいなことか、生意気な奴だから事故を装って大怪我をさせろとでも言っているのだろう。
「では互いに、何があっても恨みっこなしだ。始め!」
「うらぁっ!」
カースホアが合図を出す前に先輩は動き出し、両手剣を上段から思いっきり振り下ろしてきた……が、
「先輩、不意打ちなのに大きな声出して大振りしたら意味がないですよ」
先輩の両手剣が振り下ろされる途中で、俺は先輩以上の速度で両手剣に突きを入れて軌道を逸らし、そのままけん制の意味で木刀を先輩の方へと向けた……ところ、
「ぐげっ……」
勢い余った先輩が木刀に突っ込んできて、自分から喉に突きを食らっていた。
流石にこういった事態は想定していなかったので、一瞬だけ木刀を引くのが遅れてしまい、その分だけ先輩のダメージが大きくなってしまった。ただ、木刀から伝わった感触では骨が折れるまではいっていないようだが、ちょっとまずいことになっているかもしれない。
「ブラントン先生、すぐに先輩の治療をお願いします」
「分かった、すぐに行う」
先輩をけしかけたカースホアは、模擬戦の結果に茫然として動けそうになかったので、代わりにブラントン先生に頼んだのだ。だが、てっきり医務室から医者を連れてくるだろうと思っていたのだが、ブラントン先生は外ではなくこちらに向かって走ってきた。
「ジーク、そこをどけ! 俺は回復の魔法が使える!」
不思議に思っていると先生は少し苛立った感じで叫び、俺を押しのけて先輩の喉に手をかざした。すると先生の手が光り、苦しそうにしていた先輩の表情が幾分和らいだ。
「これでひとまずは安心だろう。おい! 誰かこの生徒を医務室へ連れて行け!」
まだ呆然としているカースホアではなく、周囲でこちらを見ていた先輩たちに先生が指示を出すと、少し慌てた様子で数人の男子生徒が担架を取りに走り、先輩を乗せて医務室へと向かって行った。
「ヴァレンシュタイン! あれほど気を付けろと言っただろうが!」
「いや、まさかカースホア……先生が合図を出し終わる前に攻撃を仕掛けてきた上に、攻撃が外れた時のことを何も考えていないとは思わないじゃないですか! しかも、けん制の為に向けた木刀に、自分から勝手に突っ込んでくるなんて……素人じゃあるまいし!」
先生の理不尽な言葉に、俺は思わず言い返してしまった。すると先生は、
「お前もガウェイン側の人間だったか……普通の学生では、けん制だとしてもあの速度で向けられた武器に反応するのは難しいぞ」
などと失礼なことを言いながら頭を抱えていた。
「き、貴様! やり過ぎだ!」
俺がとても失礼なことを言った先生に抗議していると、突然カースホアが騒ぎ出した。だが、
「あれは、どう見てもあの先輩の自爆でしょ? あんな卑怯な不意打ちをしてこなければ、俺ももっと上手に無力化出来ていましたよ」
「そもそも、互いに恨みっこなしと言ったのはカースホア先生で、彼も挑発の中でとは言え『殺す』と似たような発言をしています。それがたまたま、彼に返っただけのことでしょう。自爆という形で。今後彼が何と言うか分かりませんが、第三者が模擬戦の、それもあちら側が原因での事故に対し、文句を言うのはお門違いかと思われますが?」
俺だけでなく先生も頭に来ていたのか、きつい言葉も使ってカースホアとあの先輩を非難している。
「おや? そろそろ時間のようですね。カースホア先生、今回のことはあの生徒のことも含めて学園長に報告させていただきます。流石にあの不意打ちは頂けませんし、先生も審判をやっていた割には、少し公平性に欠けていたようですしね。全員整列、先輩方に礼!」
ブラントン先生はAクラスの生徒を整列させると、カースホアとは別のところに集まっていた先輩たちに礼をするように言い、次の訓練場への移動を始めさせた。
「ヴァレンシュタイン、次の魔法の訓練では、何があっても参加禁止だ」
「さっきのは俺じゃなくて、あっちが悪いんですけどね……まあ、了解しました」
と、もう一度念押しされたので、少し不貞腐れながら言うと、
「今の言い方、学生時代のガウェインもよく使っていたからな」
先生から、そんな聞きたくなかった言葉が返ってきたのだった。