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09.大丈夫

「あとは君も知っているように、水神様の問いに正直に答えた君へ、僕が贈られたという訳だ。君の夫だった男の体を乗っ取る形となってね」

「……」


 アクアが話し終えるまで、ミリアは静かに聞いていた。


 その話はとても信じ難い事ばかりで、とても驚きを隠せなかった。

 だが、アクアが嘘をつけない人間だという事は、この一ヶ月を共に過ごし、ミリアも薄々勘づいてはいた。

 だから今の話は全て真実なのだと……ミリアは信じる事にした。


「そうなのですね。アクア様は……私の事を前から知っていたのですね……」


 そう呟いた途端、ミリアは急に恥ずかしくなった。


 今までは、アクアが自分を愛してくれているのは、水神様がそうなるようにアクアを創造したのだと思っていた。

 だが、アクアは人格を持った一人の男性であり、出会う前から自分に対して好意を寄せてくれていたと知り、嬉しい気持ちと同時になんとなく気恥ずかしくていたたまれなくなった。


 頬を赤く染めてソワソワするミリアとは対照的に、アクアは表情に影を落とし、口を開いた。


「失望しただろう? 僕は本当は、君が死ぬ事を望んでいたんだ。君が泉の中に落ちた時、もしも君の体に触れられたのなら、僕はきっと――」 

 

 ――浮上する君の体を引き止め、この手で殺めていただろう。


 その言葉は、唇を噛みしめて喉の奥に押し殺した。


「アクア様……」


 辛そうに顔を歪めるアクアを前にして、ミリアも冷静になった。

 アクアが正直に話をしてくれたおかげで、ミリアにもその気持ちは理解できた。


「私もきっと、アクア様の立場ならば同じ事をしていたと思います」

「いや、君なら絶対にそんな事はしない。君は人のためなら自己犠牲も省みない人だから」

「そんな……私はそれほど立派な人ではありません」


 苦々しく笑いながらアクアの言葉を受け流すミリアを見て、アクアはフッと柔らかく微笑んだ。

 それは今までに何度も見てきたはずの笑顔なのに、ミリアの心臓は大きく跳ねた。

 ドキドキと高鳴る心臓の鼓動をなんとか鎮めたくて、深呼吸をしようと大きく息を吸った時、


「ミリア。僕は君に二度、惚れたんだ」

「え……?」


 突然告げられた言葉に、ミリアはキョトンとしたまま固まった。

 その様子を見て、クスッと小さく笑うとアクアは言葉を連ねた。


「一度目は、初めて君がここに訪れた時。そして二度目は、君が自分の本音を吐き出した時だよ」

「……!!」


 その事を思い出し、ミリアは恥ずかしさのあまりカァッと顔が真っ赤に染まった。

 

 あの日、自分の家で夫と愛人の情事を目撃した後、行き場を失ったミリアは無意識のうちに泉へと足を運んでいた。

 そして溜まりに溜まった夫への不満を、泉の中へ吐き出したのだった。

 それをアクアと水神に聞かれているとは知りもせず――。


「あの……できればそれは……忘れてください……」


 手で顔を覆い隠し、ミリアは泣きそうになりながらアクアに懇願する。

 アクアはというと、そんなミリアをこの上なく愛しげに見つめ、顔を寄せて囁いた。


「ミリア。悪いがそれはできない。だって僕は嬉しかったんだ。誰にも見せる事のない、本当の君の姿をこの目で見られたのだから」

「え……?」


 思わず顔を覆っていた手を解き、ミリアはアクアと目を合わせた。

 自由になったミリアの手をアクアがすかさず絡め取ると、再び囁く。


「僕は本当は、嘘をつく人間が嫌いなんだ。偽りの姿を見せ、都合の良い言葉で相手を欺こうとする人たちを何人も見てきた。こんな体質だからか、僕はそういうのにも敏感なんだ」


 自分の娘との婚約を断られ、村人を人質に取りアクアを脅迫した侯爵も、表の顔は善人そのものだった。

 だが、アクアは最初からそれが偽りの姿だと分かっていた。

 その令嬢も、父親と同様に表と裏の顔を使い分けている事にも――。

 

 そのいびつな姿を前にして、アクアは気持ちが悪いとさえ思った。


 そんな相手と結婚など、とても考えられなかった。

 自分と相反する人間と、上手くいくはずなんてない、と。


「だが、君が嘘をつくのは嫌いじゃない。君が『大丈夫』と言うのは、いつも相手を気遣っての事だから。村の人たちの手を借りようとしなかったのも、村長が君たち夫婦の事を良く思っていなかったから……下手に手を借りて、迷惑をかけたくはなかったのだろう」


 そう優しく告げられて、ミリアの胸は熱くなった。

 嬉しかった。自分を理解してくれる人がいた事が――。


「だが僕の前だけでは、本当の君を見せてほしいんだ。何も我慢してほしくはない。辛い時は辛いと言ってほしいし、望むことがあればなんでも言ってほしい。僕たちは夫婦なのだから、遠慮する必要は何もないんだよ」


 その言葉に、必死に堪えていた涙がミリアの瞳から流れ、頬を伝った。


 アクアは嘘をつかない。

 だからこそ、その言葉が嘘偽りのないアクアの本音なのだと分かったから。


「ミリア。僕はずっと君の事が好きだったんだ。そして今も――君を愛しているんだ」


 自分を心の底から愛してくれる人が目の前にいる。

 それが何よりも嬉しかった。


 堰を切ったように、ミリアの瞳から涙が溢れ出した。

 それはずっと張り詰めていた緊張の糸が解かれたからなのか。


 『大丈夫』――それはミリアの口癖のような言葉だった。


 本当は大丈夫ではなかった。

 ずっとギリギリの状態で生きてきた。

 とにかく必死で、他の事を考える余裕なんてなかった。

 働かなければ食べる物がない。

 水がなければ生活もできない。

 夫は何もしてくれないけれど、自分にとってたった一人の家族を見放す事もできなかった。

 だから自分が頑張るしかなかった。

 生きていくために、できる限りの事はしてきた。

どんなに体調が悪かったとしても……水を汲みに行く事も、仕事も家事も休んだ事はなかった。

 夫に心無い暴言や暴力を浴びせられても、何の抵抗もせず受け入れた。

 身も心もボロボロで、何のために生きているのかも分からないまま、毎日を乗り越える事に精一杯だった。


 それでも『大丈夫』と言い続けてきたのは――それを認めてしまったら、その場で崩れ落ちて立ち上がれなくなりそうだったから。


 まるで呪いのように、自分にも言い聞かせ続けてきた言葉。

 その呪縛から、ようやくミリアは解き放たれたのだ。


 辛い時は辛いと言える。

 しんどい時は、寄りかかれる相手が目の前にいる。

 もう、大丈夫なふりはしなくてよいのだと――。


 子供のように泣きじゃくるミリアの体を、アクアはできる限り優しく、それでいて強く抱きしめた。

 

「ごめん。もっと早く伝えるべきだったのに……君に嫌われるのが怖くて、ずっと伝えられなかったんだ」


 申し訳なさそうに告げるアクアだったが、ミリアは少しもアクアを嫌悪してはいなかった。

 それどころか、愛おしい気持ちが溢れて胸が一杯だった。

 

 それなのに、嗚咽交じりにとどこおりなく涙が溢れてその事を伝えられない。


 やがて涙も枯れ果てた頃、今度は顔を上げようにも上げられなくなっていた。

 あまりにも泣きすぎて瞼が腫れたせいで目がよく開けられない。

 きっと酷い顔をしているだろうと思うと、とても顔を合わせられなかった。


 それを察したのか、アクアがミリアの耳元で囁く。


「ミリア、僕の前では本当の姿を見せてほしいって言ったよね」


 そんな言葉に後押しされて、仕方なくミリアはおずおずと顔を上げた。

 二人の視線が合うと、アクアは嬉しそうに目を細めた。


「ふふ……可愛い」


 零れそうなアクアの笑顔を前に、ミリアはまた胸がぎゅ~っと締め付けられた。

 

 やはり恥ずかしく、再び顔を逸らすミリアにアクアは顔を寄せると、


「ミリア」


 その耳元で甘く囁く。

 

 ミリアの顔は瞬時に発火しそうなほどの熱を帯び、ドキドキと胸を打つ心音が激しさを増す。

 そんな中、微かに生まれた期待と共に覚悟を決めたミリアはアクアに顔を向けた。


 刹那、二人の唇が重なった。


 長い口づけを交わし――唇が離れ、顔を見合わせ頬を赤らめるミリアを満足気に見つめたアクアは再度ミリアの唇を奪った。

 また離れ、重ねられ……何度も啄まれるうちに、ミリアは再び涙を瞳に浮かばせた。


「アクア……もう……」


 恥ずかしさでいっぱいで、半泣きになりながら両手で顔を覆ったミリアが、アクアは可愛くて堪らなかった。


 それからしばらくして、二人は寄り添い手を繋いで家へと帰っていった。


 そんな二人を祝福するように、泉はキラキラとひときわ煌めいていた。



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