02.泉に落ちた夫が美しい青年になりました
夫が泉に沈んだら、代わりに美しい青年が現れた――。
目の前で起きた出来事に、ミリアはただ首をかしげて固まった。
気付けば水神の姿は消え失せ、この場に残されているのはミリアと泉から現れた青年だけになっていた。
青年はしなやかな泳ぎを見せ、ミリアがいる陸へと上がった。
その姿は、さっきまでのおぼろげな姿ではなく、実在する人間そのもの。
唖然としたまま腰を抜かしているミリアの前までやって来ると、青年はその場で跪いた。
「ミリア、初めまして。僕はアクア。君に会えて嬉しいよ」
そう告げると、アクアはうっすらと頬を紅潮させ、嬉しそうに微笑んだ。
その姿に、ミリアは思わず目を見張った。
(本当に……凄く綺麗な人……)
正面から真っすぐ見つめられ、その容姿の美しさにミリアは目を奪われた。
そのまましばらく見つめ合い、次第に恥ずかしさと気まずさでいたたまれなくなったミリアは、なんとか声を絞り出した。
「えっと……初めまして、アクア様。……あの……私の夫はどうなってしまったのでしょうか?」
問われたアクアは、少し複雑な表情を浮かべて、自らの胸元に手を当てた。
「君の夫の体はここだよ。僕の魂が、君の夫の体を取り込んだんだ」
「……え?」
ミリアは瞳を大きく見開き、目の前のアクアを凝視した。
(でも……どう見てもケビンとは似ても似つかないわ……)
ボサボサで白髪交じりだった焦げ茶色の髪は、青みを帯びた艶のある銀髪となり、腰の辺りまで伸びている。
寝不足で淀んでいた褐色の瞳も透明感のある紫色になり、アメジストのように美しい。
そして何よりも若くなった。ケビンは三十半ばだったが、アクアはそれよりも十歳は若く見えた。
(やっぱり、別人にしか見えないのだけど……)
そう思った時、ミリアはアクアの右眉尻にある、傷痕を発見した。
それはケビンの顔の同じ場所にあったものとよく似ていた。
ミリアがそれを不思議そうに見ているのに気付いたのか、アクアは眉尻の傷痕を撫でながら口を開いた。
「ああ、これか……。姿形は変えられても、元の体にある傷痕は消えないらしいんだ」
「……そうなのですか……」
未だ信じられないといった顔で、ミリアは唖然としたままアクアを見つめた。
「そういう事だから……つまり、これからは僕が君の夫、という事になるかな」
「はぁ…………え?」
晴れやかな笑顔であっさりと言い放ったアクアに、ミリアは一瞬流されそうになったが、すぐに聞き返した。
「何か問題でも? まさか、前の夫に未練がある、なんて事はないだろう?」
「…………そうですが」
アクアの言う通り、自分を殺そうとした夫に未練なんてなかった。
ただ、少し冷静になり、自分の今の状況を誰かが見た時にどう思うだろうかとミリアは考えた。
突然、今まで一緒に暮らしていた夫がいなくなり、別の男……しかもこれほどまでに美しい青年と暮らし始めたとなれば……当然、皆が考える事は同じ。
――あの美しい青年と暮らすために、自分の夫を殺したのだと。
まさかアクアの体がケビンのものだとは誰も思うはずがない。
事情を説明したところで、信じてくれるとも思えない。
それに自分が夫からどのように扱われていたかを村人たちも知っている。
それだけで夫を殺す動機も十分にあった。
そんな自分を、村の人たちはどうするだろうか。
もしかしたら、村から追い出されてしまうかもしれない。
――と、深刻に悩むミリアにアクアが優しく声を掛けた。
「ミリア。何も心配する事はない。村の人たちはきっと、僕たちを受け入れてくれるはずだから」
「……」
そう明言するアクアを見て、
(なんでそんな自信満々に言えるの……?)
と、ミリアは不思議に思った。
だけどその言葉のおかげで不安が少し和らいだ。
(もし村から出て行けと言われたら、そうするまでよね……。大丈夫。何とかなるわ)
そう自分におまじないをかけ、ミリアは顔を上げた。
「分かりました。では、これからよろしくお願い致します。アクア様」
吹っ切れたようにそう言うと、ミリアはアクアに向けて深々と頭を下げた。
「うん。末永くよろしくね。ミリア」
アクアは自分を受け入れてくれたミリアに、心底嬉しそうに微笑んだ。
ではさっそく水を……と思った時、ミリアは「そういえば……」と、気になっていた事を問いかけた。
「アクア様はなぜ私の名前をご存知なのですか?」
「ああ、それはこの体の人物の記憶も、僕の記憶と同化するんだ。だから君の事はよく知っているよ」
「そうだったのですね……」
驚きつつも納得する。が、ミリアの頭の中に新たな疑問が浮かんだ。
(でも、泉の中で聞いた声も、たしかにアクア様の声だったはずだけど……あの時はケビンの体はまだアクア様のものじゃなかったわよね……?)
気になったものの、ミリアはこれ以上深く追求するのをやめた。
(アクア様は水神様が生み出した……えっと、スパダリ……? なのだから、きっと何でも分かるのね。あまり困らせるような事は聞かないようにしないと……でないと、きっと罰が当たってしまうわ)
そう納得して、ミリアは優しく微笑みかけてくれる青年を自分の新しい夫として受け入れる事にした。