11.泉の真実
――その村には、ある言い伝えがあった。
森の泉には、古来より水神様が住んでいる。
ある時、その泉にあやまって斧を落とした一人の男がいた。
すると泉の中から水神様が姿を現わし、男に問いかけた。
『そなたが落とした物はこの刃こぼれしたボロボロの斧か? それとも、こちらの刃こぼれなど一切しないダイヤで作られた斧か?』
そんな意地悪な質問に、男は脇目も振らず正直に答えた。
男の誠実な心に気をよくした水神様は、褒美としてダイヤの斧を男に与えた。
それを知った村人たちは、こぞって泉に物を落とすようになった。
そのほとんどは古くなり使えなくなった道具や壊れた物。
運よく水神が現れれば、その問いに正直に答えて新しい物をもらえばいい――そんな浅はかな考えから、村人は不要な物を次々と泉へ捨てていった。
その行為に腹を立てた水神は、泉へ不要な物を捨てた人間を泉の中へと引きずり込んだ。
泉へと向かった人間が次々と消息を絶つ中で、ようやく村人は察した。
自分たちの身勝手な行為が、水神様の怒りを買ったのだと。
だから森の泉へは近付いてはいけない。
もしも不誠実な人間が泉に近付けば――その者は泉の底深くへと引きずり込まれ、死体すらも浮上しないだろう。
それは村に住む人間ならば、誰もが知っている事だった。
だから皆、決して泉に近寄ろうとはしなかった。
やがてその言い伝えは村の外にまで広まり、長い年月をかけて語り継がれた結果、少し形を変えて知られるようになった。
森の泉に落とした物は、忽然と姿を消すのだと――。
だから処分に困る物を捨てるにはちょうど良い場所だ。
たとえば――死体とか。
それは面白半分に広められた噂のようなものだった。
だが、そんな噂でも信じる者はいた。
追い詰められた人間ほど――真実味の無い話だとしても、それにすがりたくもなるのだろう。
故に、夫と共に森の中へと向かったミリアを見て、村人たちは密かに察していた。
――あの夫を泉に捨てに行くのだと。
今までに不要な物を泉に落とし、帰って来た者はいない。
面白半分でゴミを捨てた者も――自分を愛さない婚約者を捨てに行った者も――一人残らず姿を消した。
だからきっと、ミリアは二度と戻って来ないだろう、と。
そんな話をしていた最中、何食わぬ顔をしたミリアが村へと帰って来たのだ。
美しい青年と共に。
その光景を前にして、誰もが目を疑ったが、すぐに理解した。
――あの子は水神様の祝福を受け、新たな夫を授かった。
ミリアは水神様に気に入られた誠実な人間なのだと――。
それならばと、村人たちは二人を歓迎した。
そして前の夫が姿を消した事に対しても、誰も疑問を持たなかった――。
◇◇◇
「アクア様、大丈夫ですか?」
不安そうに眉を顰め、ミリアはベッドに横たわるアクアの額に滲む汗をハンカチで拭った。
「ああ。……ごめん。余計な心配をかけてしまったね」
力無い声で告げると、アクアはミリアを安心させるよう小さく微笑んだ。
今朝、目を覚ましたミリアは、アクアが家の中にいない事に気が付いた。
不安に駆られ、探しに出ようと玄関の扉を開け――その先で倒れているアクアを発見した。
その体が尋常じゃない熱を帯びている事に気付いたミリアは、なんとかアクアをベッドまで運んだ。
それから熱にうなされるアクアに付き添い、日が西に傾き始めた頃、ようやくアクアは意識を取り戻した。
「本当に情けないな……。でも、明日には治るから……そしたら仕事にも行けるよ」
「ですが、こんなに熱が高いのに……やっぱり明日も仕事をお休みしましょう」
「いや……本当に大丈夫なんだ。自分の体の事はよく分かっているから」
穏やかな口調でミリアに告げると、アクアは小さく溜息を吐いた。
(体は別の人間なのに、この体質は相変わらずなんだな……)
執念深いレベッカからミリアを守るためについた嘘。
それは今も変わらずアクアの体を蝕んだ。
覚悟をしていたとはいえ、昨日に引き続き今日まで仕事を休まざるをえなくなり、更にはミリアに多大な心配をかけさせてしまうという結果に、アクアは申し訳なく思い自分の体質を呪った。
(だが、それでも僕は君を守るためならば――きっとまた嘘をつくだろう)
――アクアにとって、ミリアとの出会いは奇跡だった。
昔から、アクアはその容姿の美しさから、女性関係にはいつも悩まされていた。
ある時はアクアに好意を持つ女性同士のいざこざに巻き込まれ、またある時は見ず知らずの女性の恋人から身に覚えのない言いがかりをつけられた。
色恋沙汰はもううんざりだった。
自分は誰も好きにならないし、好きになられたくもない。
そう言って、自分に近寄る女性を冷たく突き放した。
そんな自分が唯一好きになった女性がミリアだった。
自分の中に初めて生まれた恋心は、空っぽだったアクアの心をなんとも心地良い温もりで満たしていった。
何よりも大切で、かけがえのない存在。
愛おしくて堪らない彼女の事を、心の底から守りたいと強く思った――。
「アクア様は働き過ぎなのです。だから体が無理やり休ませようとしているのでしょうね」
「ふふ……君らしい考え方だな。それよりも、その様付けで呼ぶのはもういいんじゃないかな?」
「え……?」
「僕の事は、アクアって呼んでほしいな」
甘えるような顔と口調で告げられて、ミリアはアクアを可愛いと思った。
そしてその希望どおり、
「アクア……」
その名を口にした瞬間、急にミリアは恥ずかしくなり、高熱のアクアと同じくらい顔を真っ赤に染め上げた。
目を合わせるのも気まずくて、ミリアはアクアから視線を逸らした。
そんなミリアの耳に、泣きそうにも思えるアクアの声が響いた。
「嬉しいな……ありがとう、ミリア」
咄嗟にアクアへと視線を戻すと、その瞳に涙を滲ませながら、なんとも嬉しそうな顔でミリアを見つめていた。
「君といると、人としての感情を思い出す。それは全てが良いものだけではないけれど……僕は君と共に過ごせる事が何よりも嬉しくて――この上なく幸せなんだ」
その言葉に、今度はミリアの瞳に涙が込み上げた。
「私も……幸せです……。アクアが私の夫である事が、何よりも嬉しいです……」
それを聞いて、アクアは幸せそうな笑みを浮かべた。
そんなアクアを堪らなく愛おしく思い、ミリアは胸の内に秘めていた本音を口にした。
「アクア。もしも体調が回復したら……これからは一緒に寝ませんか……?」
「……!!」
ミリアの言葉に、アクアは笑顔を引っ込めて目を見開いた。
ミリアがアクアを好きになるまでは、別々に寝ようという決まり事だった。
それなのに、ミリアが一緒に寝ようと言い出したという事はつまり――。
その期待を抱きつつも、アクアは慎重に問いかけた。
「ミリア。それが意味する事を分かって言ってる?」
「はい。私も……アクアが好きなので」
「……!」
勇気を振り絞って告げたミリアの告白に、アクアは大きく目を見開き、更に顔を赤らめた。
一方でミリアは、表情に影を落として顔を伏せ、
「……ごめんなさい。アクア様の体が辛い時に、こんな事を言うなんて……」
これでもかというほど身を縮こまらせ、自信なさげに呟いた。
そんなミリアの耳に、凛としたアクアの声が届いた。
「ミリア。やっぱり明日の仕事も休みにするよ」
「……え?」
再び顔を上げると、ニッコリとご機嫌な様子のアクアと目が合った。
「前に言ったよね? 君が僕を好きになったら覚悟しておいてって」
「で……でも、体調がまだ……」
「それも問題ないよ。明日には絶対、体調は良くなっているから」
確信を持ってそう告げると「ああ……明日が楽しみだな……」と言いながら、アクアは幸せそうな笑みを浮かべて眠りについた。
その寝顔を見ながらミリアは思い出した。
アクアは嘘をつかない人間だったと。
つまり、アクアの言うとおり、明日にはきっと体調は良くなるのだろう。
そして自分も――明日は覚悟をしておいた方が良いのだと。
◇◇◇
それから数年後――。
アクアとミリアは二人の息子と共に、お弁当を用意して森の泉へとやって来ていた。
「えい! この!」
「ほっ! うりゃぁ!」
アクアが木を彫って作った玩具の斧を振り回し、泉の周りで息子二人が戦いごっこをして遊んでいる。
その様子を、少し離れた木陰でアクアとミリアは眺めていた。
「ふふっ……あの子たちはいつも元気ね」
「そうだね。あやまって泉に落ちなければいいけれど」
そんな会話を交わしながら、二人は肩を寄せ合い幸せなひとときに浸っていた。
「……ねえ。水神様は、今も私たちの事を見てくれているのかしら?」
「どうだろうね……あの人はいつも気まぐれだからな」
たとえ、水神に会う事はできなくても、時々、二人はこうして泉へ顔をのぞかせるようにしている。
アクアの話を聞いて、水神も泉に一人で寂しいだろうから……というミリアの提案だった。
息子がまだお腹にいる時も、無事に出産した時も――二人は泉に向かって報告をした。
そして感謝の気持ちも忘れなかった。
しばらくして、そろそろお昼にしようとミリアが声を掛けようとした、その時だった――。
「えいっ!」
「うわぁ!」
兄が弟の斧を弾いた瞬間、弟の手から斧が離れ――ポシャンッと泉の中へと落ちた。
「「あ……」」
アクアとミリアの声が重なった。
そして二人が見つめる視線の先には、金色に染まり煌めく泉。
間もなくして、その泉から現れた人物。
それは――。
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