仮面を付けた男 『処刑人ノ誇り』
境界無き夜。数える事が出来ない夜。途切れなく続く夜。『青月市』の別な夜。
人の命を奪うことで、自分が生きることが出来る。その権利を得ることが出来る。そう知ったのは子供の頃だった。両親がクズで、俺を残して消えた。孤独から這い上がるにはあまりにも幼く、ただ過ぎる時間と減り続ける腹。簡単に死を覚悟すれば楽になれたのに、小さな俺は僅か希望を捨てられなかった。
回想
両親が帰ってくるかもしれない。この状況なら誰もが一度は抱いてしまう願い。長い時間を少ない過去の写真を見つめ続け、消費した。それも長くは続かない。限界が訪れ、俺は恨んだ。
何で迎えに来てくれない。どうして俺を捨てた。何かしたわけでもない、普通に生活していた。許さない、絶対に許さない―――。数分もしない内に考えが変わる。
ごめんななさい。もっといい子になるから。お願い、迎えに来て。わがままも言わない。寂しいよ、寂しいよ。精神のぐらつきが激しく、少し残っていた胃液を吐き出す。何度もえづきながら身体をくの字に曲げる。咳き込み過ぎて咽が切れた。血の味が広がり、それが死のイメージに直結する。恐怖が全身に広がる。身体の中心から生まれる恐怖が波の様に何度も広がっていく。その衝撃に衰弱した身体は耐えられない。歪なダンスを踊り続ける。途切れ途切れになる意識。次第にその間隔が長くなる。次の瞬間、世界が闇になった。
全てが終わった―― 闇に落ちるに寸前に浮かんだ言葉が消える時、聞いたことも無い音で世界が再構築される。覚醒した意識の中に見つけた希望が、残りカスの命を燃やす。
「おい、大丈夫か?」低い声で問いかけられる。
希望が成就に変わった。俺は「おどぅざん。おどぅざん」と父親の足に絡みつく。もう二度と離れないように、捨てられないようにと。
「俺は、お前の親父じゃないぜ。此処に薄汚いガキが居るって聞いたから来てみただけだ」
「ぇ?」目を擦り、見上げてみる。全く知らない人だった。子供の自分が見ても分かる高そうなスーツ。それも、夜の繁華街を怖い顔をして歩いている人達が着ている物だった。再び絶望に襲われる。身体から力が抜け、その場に座り込んでしまう。
頭上から言葉が落ちて来る。「お前、こんなボロの一軒屋に住んでいるのか……誰か此処に来て荒したりしたのか?」
俺は力無く首を振る。溜息が聞こえた。
「両親が出て行った理由。それはお前だ。この家の荒れ具合、他人がしてなければ異常だ。此処にある物で何かを経験しなければ死ぬみたいな壊し方……」
「俺は少し普通と違う力がある。いわゆる『異能』ってやつだ。何だその顔は? お前が考えているほど世界は簡単じゃない。……まあ、俺の話はもういい。お前の力は、異常な程の身体能力。それの対価が常に何かを経験してなければならない。そうしないと存在が消えるからだ。 生きる為に様々な経験をする、お前の両親はそれに気づいて殺そうと考えた。この家で経験出来ることなどたかが知れている。どうすればこの場に繋ぎ止めておけるかと考えた時、親愛が一番と。お前に対して愛情を注ぐ。思い出と愛情がお前と家の楔となった。大体、一年間も飲まず食わずで生きられる人間なんていない」
「あっぇああああああああああああああああああ、あぐぁ!! あがぁ!!! ああああああ!!」俺は絶叫する。そのまま手当たり次第に周囲の物を破壊。全身から溢れる狂気と力。コントロールする事が出来ない暴力により、数分で一軒屋は破壊された。瓦礫に埋まってしまった身体を起こし、荒げていた呼吸を整える。
「気が済んだか。お前を縛っていた物は無くなったが、これからも何かを経験しなくては生きていけないお前は何をして生きていく? 大きな経験をしなければ簡単に死ぬぞ」
突然聞かれても答え見つからない。
「両親に会いたいか?」
意外な言葉に驚くが、ゆっくりと頷く。この人は両親を知っているのか? と考える。
「なら俺の仕事を手伝え。依頼内容は全て殺人だ。人を殺す事が出来るのなら、お前の両親を見つけてやる。ただ、お前をこんな風に殺そうとする親だ、簡単に見つけられると思えないが。ただ、絶対に見つけてやる」
人を殺す。この力を使えば簡単に出来ることは分かる。でも、犯罪者になった俺を両親が許してくれるだろうか――余計に離れてしまうのではないか。この提案を受け入れていいのか分からない。でも、両親に会えるという条件を捨てられない。
「分かった……手伝う」小さな声で答える。瓦礫の山に向かって男が歩いて来る。上半身だけを起こした状態で待っていた。そして、見上げる形になった。スーツの上着に左腕を入れ、次に出された時には歪な面を持っていた。それを目の前に差し出される。俺は視線を下げ、面を見つめる。しばらく見ていると、何故かこの面に複数の目が貼り付けてられているのが正しいと思い始めた。
「面はお前を認めているようだな。ほら、受け取れ。お前はこれから誇りある『処刑人』になるのだから」
「処刑人……」反芻した言葉を口にする。
「立て、とりあえず風呂だ。お前は臭すぎる。その後は身だしなみを整えて飯にするぞ」
此処から離れようとする男の後ろ姿を見て、俺も立ち上がる。一定の距離を保ちながら男の後を付いて行った。
この世界に存在する経験は膨大。しかし、それを与えてまで彼を生き残らせる意味が有るのか無いのかは『ダークムーン』しか知らない。支配者が無意味と判断すれば死。突き付けられた必然を返すだけの力があり、破壊という経験を得たとしても、最後は死。何処を目指しても死しかない。それなら、途切れなく続く闇に身を落とせばいい。そこなら死から逃げられる。終わり無き世界だから。