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櫛鬼『時戻りの呪術書』

 忘却から逃れるには過去へ旅立つしかない。それが許されるのは特別な存在のみ。しかし、それが幸せとは限らない。



『青月市』の来たのはいつだったかはもう思い出せない。いや、正確に言うと思い出す事を拒否させられている方が近い―― 私の身体がどうにかなってしまった? という考えなどは既に捨てている。『水面市』での記憶と比較すれば、『青月市』での経験は短い。此処は、夜しか時間として存在していない。『ダーク―ムーン』=青い月が一番美しい時間帯がこの世界の全て。そして――残酷な出来事しか望まない。


 私に出来る事は、この世界で祈ることだけ。時と場合では真逆な行動を取ったとしても。

『青月市』の行く末を考えながら『時戻りの呪術書』を呼び出す。この本を受け継いだ事に後悔はない。ただ、私がこの世界に来たばかり抱いていた感情を一切思い出せないのは悲しかった。文字が青く輝き、その粒子が本から漏れる。


 誰も居ない路地。血が酸化して汚れた壁、埃、いつの時代のモノか分からない服の切れ端が丸くなっている。壁を汚した本人が流したモノで固まったに違いない。足元を青く照らす粒子はアスファルトに落ちる前に消失する。儚い光を見つめ、ゆっくりと顔を空へ向ける。見えるのは周囲に立つ建物によって切り取られた夜空。形は三日月。しばらく見つめ、溜息を一つ。本を元に戻し、黒のタイトスーツの腕を捲る。両腕上腕部にタトゥー。胸の前で二つを合わせる。形となったタトゥーは三日月の中に青い宝石が描かれていた。その場で膝を折り曲げ、座り込む。青い月が見える方向、光で照らされている建物を見ながら祈りを捧げる。次第に腕のタトゥー内に描かれた青い宝石が淡く輝く。



『月栄地区』の企業ビルの屋上で櫛鬼は祈っている。ビル風が吹き、群青色の長い髪が舞い上がる。夜風と月光で照らされた私の顔。気持ちと真逆に両目に映る景色は魅力的だった。

 突然背中に感じた殺気。

 素早く立ち上がり横へ移動。そのまま続く殺気に合わせて身体を動かす。視界の端に見えたのは黒い鎌。


 ヤバいな―― アイツと出会うとは。


 体勢を整え、「待って、邪魔をしたのなら直ぐに消える。だから攻撃を止めてもらえるかな」丁寧に極力申し訳なさそうに言う。


 規則正しい金属音がゆっくりと止む。何も無い空間に影を集めた鎌が戻っていく。風切り音が一つ。その後に空間に生まれた垂直の切れ目。ゆっくりと進んで来る可愛らしい白い椅子。細い腕が持ち、フリルとリボンを多く使った白のミニワンピースを着た少女が現れた。ピンク色に銀色が混ざった長い髪が綺麗に巻かれ、動く度に青い光の粒子が舞う。彼女の影から伸びていた鎌が空へ伸びると、メトロノームの様に揺れ始める。その少女が優雅に一礼する。

 少女の名前は知っている。

『下弦上月』前回起きた『青月市』に取り残され、『水面市』で行方不明になった存在。

 少女の目は『青い命の光』と名付けられていた。眼球は無く、そこに有るのは微かな青い光を明滅させる三日月。影の部分では細い形をした何かが動いている。私にはそれが何か分からなかった。異様な見た目よりも、一番恐ろしいのは『下弦上月』はダークムーンの一部になったという事。この世界で起きる事を全て有利に進めることが出来る。だが、少女にはその意思が少ないようで、趣味さえ邪魔されない限りは事を起こさない情報を持っている。


 礼を止め、顔を上げると少女と視線が合う。いや―― 実際視線が合っているのか分からない。目が普通じゃないので。即死させられるプレッシャーで身体が硬直する。


「ねえ……どうしてココに居たの?」


「たまたま……いや、此処なら祈りが届くと思ってだよ」


「……そう。ワタシよりも先にココに誰か居たこと苛立ったけど、アナタもココが良い場所と感じていたのなら少し許せる」


「それなら良かった。失礼するよ」と、言い終わると同時に踵を返し、歩き出す。二歩目、背中に感じた鋭い殺意に上半身を前に倒す。わずかに顔を捻り、見たのは黒い鎌だった。方向転換した鎌が再び私を襲う。さすがに早すぎる―― 口では少し許せるとか言っていたが、本心は全く許していない。前傾姿勢のまま地面を転がり、着地の同時に地面を蹴る。屋上の狭さなどは大して役には立たないが、左右に移動しながら出口に向かう。鎌が振られる度に両脇の建物が切り刻まれる。恐ろしほどの切れ味だが、広い場所で私だけを狙うのとは違い、無駄な物を斬る行為が、私が生き残る可能性を高くしていく。

 無傷で建物に戻り、落下と方向転換を繰り返しながら、階段を下りていく。その間にも鎌は執拗に攻撃を繰り返してくる。エントランスを転がり、入口のガラスを突き破って通りに飛び出す。とにかく出てきた場所から死角になる位置を探し、そこへ滑り込む。呼吸を落ち着け、ゆっくりと先程の場所を見る。


 優雅に出て来た『下弦上月』の姿を見て、建物の影に隠れる。気配を殺し、呼吸を止める。この行為に意味があるかは分からないが、何かしていないと簡単に見つけられてしまうと、嫌な予感が消えない。


 周囲を見渡す少女の姿を見るだけで心拍数が上がる。もう一人の少女、『下月上弦』が居なかっただけでも救いだ。同時に二人を相手するのは不可能だ。

 しばらくすると『下弦上月』はビルに戻って行った。

 安堵で、大きく息を吐く。無理矢理膨らませていた肺が元に戻る。早く此処から逃げないと―― 足音を極力立てず、ゆっくりとこの場から離れた。



 ビルの屋上に戻った『下弦上月』が呟く。「やっぱり殺すべきだったワ」不機嫌な声。俯き加減に歩いていた少女の視界に椅子が入る。手を伸ばし掴む。そのまま気に入った位置まで椅子を移動させ、美しい『青月市』の絵を描く準備を始めた。

 


『櫛鬼』は逃げながら考える。少女は絵を描きに来ただけ。その行為さえ邪魔しなければ殺されない――はず。私が知っている『ダークムーン』の一部となった少女らは、美意識が高い。

その場で適切だと思う行為、誰もが一度は考える行動が、自身で美しいと感じられなければ絶対にしない。揺るがなく強い存在に見えるが、その思考を逆手に取られる事もある。


 先程の私の様に――


『下弦上月』は汚らしく逃げ惑う虫の様に見ているに違いない。それでいい、私はお前達に危害を加えるつもりはない。今は――

 あの場所から大分離れ、追撃してくる鎌が完全に無いことを確認した後、足を止める。乱れた呼吸を整える為、その場にしゃがみ込む。


 なんとか逃げ切れた―― 以前はここまで気性が荒くなかった。原因は何だ? ――この世界に呼ばれた存在の影響か――? 身体を起こし遠く見る。大通りの歩道には『影の人』が歩いているだけ。車道は乗り物を運転している体勢の『影の人』が移動している。その数は少ない。この様子だと『青月市』の一日は終わりが近い。

 ――とりあえず近くの繁華街で情報を収集するかな。

 精神が安定してきたのを感じながら、歩を進めた。

 


 一日が終わる時に見せられる光景。

 私が触れる、もしくは言葉によって力が解放される人。『ダークムーン』が喜ぶ結果を出させる為だけに。

『青月市』での『櫛鬼』という名を持つ存在の役目。視界には、私に非常に似て、それでいて異質な存在が立っている。様々な格好で。何これ――? と考えるのは止めている。何故なら、相手も同じ気持ちだろうから。私が消えたら、代わりの私が背負う事になるのだろうか? なら簡単に消えられない。自分が困る様な事をわざわざする自身はいないのだから――

 祈る、『時戻りの呪術書』を抱き締めながら。今の私となってしまった出来事の前日に戻れる日を願って。


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