白浜梨露『虚妄の意思』
一日目
私は極力他人に関わらない様にしている。何故なら、私は他人を『漂白』してしまう。
衣類の染みを薄くする様に、もしくは消してしまう様に。対象になった人間は――
この異能に気づいたのは昔ではない。ただ、奇妙な事件が私の周囲でよく起きていただけ。真っ白になった人。経験、性格、個性が真っ白になってしまえば、後は何でも染まる事が出来る。いや、してしまう事が出来る。
『漂白』された人は、私の傀儡にすることも出来る。馬鹿だった頃、これは凄い力だと思っていた。でも、すぐに気づいた。家族、親しい人が全て思い通りになる存在になってしまう事がどれだけ悲しく、虚しいことだと――
気づいてから誰にも関わらないようにしていた。同時に他人から染められたい気持ちも強くなった。孤独を感じる中、特にやることもなく入り浸っていた廃ビルで眠っていた。
身体が痛い。壁から背を離し、瞬きする。視線の先、窓ガラスが無くなった空間から見えていたのは夜の景色。見ていたのは数秒間。青い光で照らされ、世界に違和感を覚える。
知らない―― こんな光を放つ月。――月? 何故、私はこれが月光だと思ったんだ――?
思う言葉に続くのは疑問ばかりだった。
激しい頭痛。その痛みに思わず頭を抱えてしまう。ゆっくりと痛みが伝わっていく。四肢の先端まで届いた時、異常な確信を得てしまう。そんな事は絶対に無いと思っても、それを否定する言葉で飲み込まれる。否定が肯定。肯定を疑ってみても、疑い切れずに肯定に戻る。ループを繰り返し、辿り着いた場所にあった考え。
この世界が私の願いが叶う場所―― 私は、私が望む者になれるの――?
問い掛けに『青月市』が答えた。囁くように。
興奮と期待が再度全身を巡る。身体が震え、思わずバランスを崩してしまう。床に倒れ、膝近くまで長さがある金髪がフワリと跳ねて落ちる。
強くなった青い光が強烈な眠気を連れて来る。意識が途切れた。
目が覚め、ゆっくりと身体を起こす。どれぐらい眠っていたのだろうか―― その最中、脳内に響く声。その内容は『水面市』と『青月市』は表裏一体。誰が言ったのかは問題無かった。
この世界の支配者は青い光を放つ月『ダークムーン』だと分かった。そして、その存在に対して興味は少ない。願いを叶えてくれるのなら何でもよかった。
ゆっくりと立ち上がる。純白のレザーハーフコート。首元の白いファーに長い金髪が落ちる。その下の素肌は怪しいほどに白い。両足を包む純白のレザーパンツ。コンクリートを踏み締める靴も純白。身体を見下ろし、以前なら、嫌う白を身に纏う姿に矛盾を感じ、落ち込んでいた。だが、今は違う。これが私の正装なのだと。
此処は青月市の南西三丁目に在る『月見廃墟地区』。解体が止まっている状態。私の様に勝手に入り込んでいる人達もいる。『水面市』の時は何度か顔を合わせた事がある。互いに後ろめたい気持ちがあると思い、無視をしていた。その人達もまだ居るのかな? と、考えながら部屋を出る。解体途中のため、所々危険な場所がある。この三階から降りる階段は、フロアの奥と手前にある。手前は危険なので奥へ向かう。靴音が響く中、通り過ぎる部屋を目の動きだけで覗く。中に居たのは人影が立体化したものだった。身体の中心に青い光があり、私にはそれが命の炎の様に思えた。記憶を辿る。『水面市』の時、此処を頻繁に使っていたのは中年男性だった。脳内で影と男を合わせてみると、一致した。
勝手な推測だが、若い人なら青い光は強い。
部屋の前を通り過ぎながら再び身体を見下ろす。以前と同じ姿だ―― 私の様に『青月市』来た以外は、先程の影の様な姿をしているのか――? あの光―― アレに触れると一体どうなるのだろうか? 『漂白』の力で相手の全てを消してしまうのか? 興味が沸いてきた――
自然と笑みを浮かべてしまう。私の中で肥大化した嗜虐心が刺激される。
他人を『漂白』して何が悪いのだろう。間違った生き方をしている人を変えて何が悪い。そうだ、そうだ。今まで何を迷っていたんだ。悩んでいた頃が馬鹿馬鹿しく思う―― そして、私にはもう一つ異能がある。『変身能力』、それも使ってみたい――
脳裏にイメージが流れる。指先をナイフの様に鋭くさせ、袖から出した右前腕の一部を切る。白い肌から流れる血がコンクリートに落ちる。強いアルカリ性を無視して血液が酸化し、血が三日月のマークを描く。鈍い赤色が沸騰し、そこから青い光が生まれる。
これはトラップ。人影の存在が此処を通れば、私の力でアノ光がどうなるかが分かる。離れてもいても作動と変化が知ることが出来る。さて、移動するか――
ビルから出るまでにトラップを何個か仕掛けた。その結果を楽しみにしつつ、入口から少し離れた場所から見上げる。周囲には似たビルが乱立している。北西方向には解体が此処よりも進んでいる。あの辺りは、このビルよりも人が多い。
楽しみだ―― 私の力でどれだけの数の人を変えられるのか――
振り返り、歩き出す。此処から近く、人が多い場所。『水面市』と『青月市』の地図が同じなら『月の刃公園』から『青月駅』に移動すると決める。
いつもなら冷笑し、何もかも諦めた様な態度しか取れない私が完全に消えた。
狂気で顔が歪むのが分かる。両手で顔を隠し、指の隙間から地面を見る。くぐもった笑い声が漏れる。そのまま歩き出し、両手を開放する。左右の指が全てナイフになり、そのまま顔を切る。傷は数秒もせずに全てが再生。そのまま両腕が夜気を掴む様に振り抜かれる。
「アハハハ、私は何を悩んでいたんだ! 望めば手に入る世界が近くにあったのに! この可能性は私だけなのか? いや、他にも居るはずだ! ならこの世界に迎えてくれた『ダークムーン』の意思は何だ!? 知りたい、知りたい、知りたい! 私の力で、私にとって正しい世界に!」偽りを脱ぎ去った本心が、夜に響く。
『月の刃公園』に着き、園内には青い光を持つ老若男女の姿がある。それ以外には誰もいない。軽く何人か触れてみるかと考えた。一歩踏み出した時、突然園内の雰囲気が変わった。同時に弱々しい光を持っていた老人が消える。そのまま人影は地面に崩れ落ち、生暖かい夜風に乗って飛ばされる。老人だった物は闇に消えた。
何が起きた――?
金属同士が擦れ合う耳障りの音。キイキイと音を出しながら視界の端から何かが進んで来る。ゆっくりと顔を向ける。見えたのは車椅子。ただ普通の物では無かった。金を多く使い、荘厳に装飾されていた。車輪は三日月の形。乗り主はフリルとリボンを多く使った黒のワンピースを着た少女。十二歳ぐらい見える。前髪は切り揃えられており、ストレートのセミロング。青色に銀色が混ざった髪色。車椅子が揺れる度、動いた髪から青い光の粒子が漏れる。
少女に合わせてしまった視線を外せない。『青月市』に来てから初めて見た、自分と同じ様な存在。しかし、本質は明らかに違う。それを分からせるような圧力で呼吸が上手く出来なくなってしまう。
そんな私など無関心だった少女が気づき、顔を向ける。その動くは車椅子と同じでぎこちない。
「ん……? お前は誰だ?」首を傾げながらしばらく考えた様子でいると、「新しい奴か……せいぜい楽しませてくれよ。遠慮なんていらないから好きにやってくれ。残酷な世界にしてくれれば何も文句は言わない」終わると同時に離れて行こうとする。
聞きに難い声とプレッシャーで口が渇く。無理矢理出した唾液で口を湿らせ、声を絞り出す。
「お前は誰だ……?」
言ってから後悔した。もう少し挑発しない言葉を選ぶべきだった。そして、後悔は目に見えた形で現れた。車椅子の車輪。三日月が消え、少女の両手には同じ形の鎌が握られていた。
「お前? 口の利き方に気をつけた方がいいなぁ~ 簡単に首を斬り落とすぞ」同時に一本の鎌が振り抜かれる。周囲に居た影達が切断され、青い光が消えながら身体が崩れる。
慌てて私は弁解する。
「いや、あの、すまない。初対面の人に対する言葉使いではなかった。だから許してほしい」
両腕を上げ、戦う意思は無いとアピールする。その後、すぐに両腕を後ろに隠す。
少女は、私の動きをしばらく見つめた後、鎌を下す。武器は車輪に戻る。
「それならいいがな」
私は、後ろに向けている腕、その両指を武器に変化させておいた。それも重要だが、少女に『漂白』の力が通用するかだ―― しかし、判断するには使用しなければならない。
ただ、無意味に力を使って最悪な結果だった場合、逃走ルートを確保しておかなければならない。併せて、今後、この少女に出会わないようにしなければならない。リスクを二つ犯してまでも、この場で少女に対してアクションを起こす必要があるのかと、再度考えてしまう。それでも、私の目は周囲の状況を確認し、情報収集を止めない。
ここだ――! 『漂白』の力を使用する。しかし、その行為を少女の鋭い声で制止される。
「私は残酷な事が大好きだ! お前が今、それをしたいのなら付き合うが? 一方的な暴力なるが、十分に楽しめる」動いていた車椅子が止まり、少女と視線が合う。歪んだ笑み。笑い声を出していないのに、狂気を染みた笑い声が聞こえてくるような気がする。
言葉と表情だけで十分理解出来た。私は『変身能力』を解き、両腕の力を抜く。
互いが無言になり、金属同士が擦れ合う嫌な音がゆっくりと遠ざかっていく。去って行く姿を見ることもなく、立ち尽くしていた。そのまま思考が加速する。出た結論はこの園内に罠を仕掛けおけば勝てた。あの程度の存在が『漂白』出来ないはずがない! おそらく精神に攻撃をしていたに違いない。何か基準を変えるような類の―― そうと決まれば何処かに大規模な罠を張る。影の人を利用した罠を――
公園の出口に向かって歩き出す。そのまま東に向かって歩き出す。目指す先は『青月駅』
一歩踏み出した瞬間、強烈な眠気に襲われ意識を失った。
二日目
『青月駅』で影の人の光を奪い、その中から情報を得る。その行為を続けているがあの少女に繋がる情報が手に入らない。苛立ちに任せて、無駄に光を奪ってしまう。
こんな事をしても意味が無いのは分かっているが、少女に対して何も出来なかった私自身に対する怒りを何かの形で発散しないと耐えられなかった。
「こんばんは」
驚愕よりも背筋に寒気が走った。この『青月市』で私の様な存在に声を掛けてくるのは、同じ様な存在以外はいないから。友好的に近づくのは限りなく少ないはず――
振り返ると同時に後ろへ跳躍。相手と距離が出来るはずだったが、声の主も同時に跳躍をしており、私は恐怖する。
明るめのブラウンカラーのボブ。清楚なワンピースは青と白フリルが付いており、小さな鞄を一つ持っている。その少女が艶やかな唇を開け、真っ白い歯が見える。その間に存在する唾液の糸が不気味に見えた。
「私の名前は、桜 三月。あなたを一目見た時から恋に落ちました」
告白よりも、少女の身体の一部が内側から光っている事が気になる。気づく、その光は私が罠を仕掛けた時に出る光と同じ。となると――輝いている部分に特殊な力がある。
この距離は絶対に危険だ。視線を外さず、後方へ跳躍。両足に力を入れた瞬間、少女の顔が消えた。
え――? 一秒も掛からない内に左手に激痛。
何をされた! 急いで手を確認すると指が全て無くなっていた。鋭利な刃物で切り取られていた。突然起きた事に脳がついていけず、再び現れた少女の顔を見る。口元で綺麗に並んでいる私の指が、吸い込まれ、口内で咀嚼される音が聞こえる。ゴクリと大きな音を立て嚥下。
「好きな人の身体はとても美味しい。どんな部分でも美味しい。私の愛が大きければ大きいほど格別」開いた口から見えたのは、青い光を放つ歯。光の中で移動するマークは三日月の中に小さな腕と口があった。
脳内でアラームが鳴る。コイツは危険すぎると―― 全力で振り返り、そのまま逃走する。
何故だ! 何でなんだ! 私の周りには危険な奴しかいないのか! まさか―― この『青月市』に居る存在で最弱は私なのでは――?
嫌な予想で思わず吐きそうになるが堪える。違う――! そんな事があってたまるか! 私の『漂白』の能力は最も強いはず。何故なら、私を追い掛けてくる奴を『漂白』してしまえばいいだけ。触れてしまえば形勢は一気に変わる。
「触れられると危険ぐらい分かります。だって好きな人ですから」
囁かれた恐怖の内容。耳を嚙み切られた。
「あああぁ!!!」
髪ごと持って行かれ、頭皮と耳から血が流れる。白い肌と白い服が赤く染まっていく。激痛の中、身体は時間が経てば再生する。以前、顔に付けた傷が瞬時に治ったこと思い出す。それなら嚙み切られた指ももう少しすれば元に戻るはず。今、どれぐらい伸びたのかを見てみる。そこには受け入れがたい現実があった。指は一切元に戻っていない。血は止まっていたが。
「何故だ!! どうして再生しない!!」現実が受け入れられない、拒絶の声を上げる。
「私が食べると再生しないの。だって、再生した物は私が愛した人とは変わってしまうから。私が愛した瞬間、その時の人を食べないと意味が無い。血も全て。だから私の噛み後から出血は少量。ねえ、梨露。私に食べられて……。私の愛の深さを知って、私の中で。胃液の海で語って、あなたにしか語れない愛の言葉を」恍惚の表情で語る少女。
私は絶叫しながら逃げる。『桜 三月』の愛の深さに恐怖して。少女が持つ愛の海は全てを溶かす。その深海に落ちる前に、栄養にされる前に。
三日目
何処をどういう風に逃げたのか全く覚えていない。ただ、唐突に夜が終わり、私は逃げる事が出来た。汗で濡れた上着が気持ち悪く脱ぎたい。辺りを確認すると、最初に目覚めた場所の『月見廃墟地区』一室だった。急いで脱ごうとすると激痛で身体が止まってしまう。
桜 三月の事を思い出す。記憶が痛みを更に酷くし、左手の指は無くなっていた。
頭―― 部屋に鏡がないか急いで探す。隅に割れた鏡の一部があった、急いで取り、顔を映す。耳が無い――、髪が無い部分もある。
あの夜の恐怖、そして――私を喰った少女の目、いや――何処から視線を向け、身体を物色されている感じがする。脱ぎかけた上着を直す。移動した方がいい、嫌な予感しかない。
ただ、私が仕掛けた罠に影の人以外掛かった感覚は無い。なら、早く―― 立ち上がり、一歩踏み出した瞬間、室内にヌルリと何か忍び込んだ。窓の方を見る。立っていたのは桜 三月だった。笑みを浮かべて立つ少女の顔に絶望する。その姿が、まるで蛇が得物に食らいつく様な速度で迫って来る。一切変化しない、まるで絵の様な笑み。動くのは口元のみ。その中で輝く歯。青い光の中で移動するマーク。三日月の中の小さな腕と口が動いている。
どうして――!?
これ以上振り向いて時間を失いたくない。部屋から飛び出し、全力で走っていく。とにかくこの廃墟から出ないと。開けた場所で相手をした方が絶対に有利に戦えるはずだ。『変身能力』を使って迎え撃てばいい。相手は私を喰う事しか考えていないのなら、必ず接近して来る。そこを今度こそ、確実に殺せる攻撃を放てばいい。保険もある。『漂白』の力はまだ使っていない。アイツにだけ通用しない訳がない。そうだ自信を持て。
「その表情、素敵です」
足元から聞こえた声に驚愕する。見上げて来た桜 三月と目が合う。私だけ時間に取り残され、少女が口を開き、足に噛み付く姿を見せられる。
止めて! お願い!
右足の脹脛に噛み付かれた。肉は嚙み切られ、血が溢れるがすぐに止まる。血で汚した口元のまま足を擦り上がり、内太腿嚙み切られる。レザーパンツの下の白い肌が酸化した血で汚れる。血がコンクリートに落ちても罠も出来ない。桜 三月の前では私の能力は全て無効化されるのか――!? 考えてしまうと恐怖で呼吸が上手く出来なくなる。慌てて酸素を取り込もうと肺を膨らませた瞬間、時が動き出した。踏み出していた足の筋肉が減り、身体のバランスを崩し、転ぶ。
まともな思考が出来ない。とにかく逃げる逃げないと喰われる。喰われる、殺される。
「うわぁあああああああ!!」絶叫。両腕を刀に変身させ、床に突き立てる。そのまま乱暴に突き動かし、破壊。落下、着地。すぐさま刀を突き刺す。破壊、落下。視界が粉塵で遮られ、身体にコンクリート片が落ちて来る。
一階だ! 早く早く出入り口に向かわないと!
力が入らない右足を引きずりながら最速で歩く。
早く逃げないと――喰われる、全部喰われる。
「面白いね……『ダークムーン』が喜びそうだから手伝わせてくれないかな? まあ、勝手に手伝うけどね」金属が擦れる嫌な音を立てながら車椅子が向かって来る。
知っている声に恐怖が暴走する。両方から逃げる動きをしてしまい、その場で転倒。思考も身体も限界だった。残っている足が『下月上弦』の鎌で斬られる。変身させていた刀が元の腕に戻る。
もうだめだ―― でも、諦めたくない。まだ逃げ切れる可能性はあるはず。諦めるな諦めるな。
周囲を見渡し、両腕を再び変身させようとする。腕の力で此処から飛び出し、距離を作れれば何とかなる。
「本当に……素敵です。心、身体の全てを私の口内に」
囁かれた。『桜 三月』の恋愛が成就されてしまう。それは私の死でもあった。
最後の一片になるまで意識を持たされ、声を上げる器官を失っても細胞から絶叫させられる。
その声を『下月上弦』は嬉しそうに聞いていた。
この世界から『桜 三月』の胃に落ちた時、私は、『桜 三月』の物になった。
「とても楽しく見せて貰えた。ありがとう。ねぇ、お前は恋多き少女なのか?」
『下月上弦』の言葉対し、『桜 三月』は微笑み返し、踵を返した。
「愛は深いか……新たな恋愛をした時は立ち合いたいな。素敵に光景が見られるに違いない」車椅子を方向転換させ、出入り口に向かう。そのまま『下月上弦』の身体は消えた。