氷解黒花『罪人の写し絵』
一日目
過去を変える事が出来るのなら――
不可能な事を考え、現実から目を逸らした生き方をしている私を見たら幻滅するだろうか。殺してもらいたい―― あなた達が助けた命はこんなにも情けなく、価値が無いものだったと。
私は罪人。あの悲しい記憶を切り取り、心の中で見つめ続け、自ら死を選ぶことも出来ずに
生きている。死にたい。死にたい。何故あの時、私を助けたの――? 分からない。友達が、先生が、私だけを助けるために走った、庇った、逃がしてくれた。
視界がぼやける。咽の痛みと共に意識が薄れ、心の中で言葉が巡り続ける。
理由を教えて―― ――何故助けたの
皆が生きた方が絶対に良かった。助かった世界から私は逃げてばかりいた――
夢―― 目が覚めると自室のベッドの中に居た。身体を起こし、窓から差し込む青い光に思わず顔を反らしてしまう。夜? 月の光がこんな色をしているはずがない。ゆっくりと窓に近づきカーテンを開ける。外は青い光に照らされていた。私が住んでいる『水面市』と同じ形をしているが、何か違う――
何が起きたの?
あの強烈な睡魔の後に見た夢――
これは夢の続き?
ふらつく足取りでベッドに戻る。そのまま座り、しばらくぼんやりとしていると妙な気持ちが湧き上がってくる。『この世界は私の願いが叶う場所に違いない』願いを叶えるためには、どんな行動を取らなくてはいけないかが、頭の中で映像が流れる。
光を強く感じ、映像の内容を確信に変えた。先程とは違い、しっかりと足取りで部屋に置かれた姿見の前に立つ。青を基調とした制服。ブレザーにチェックスカート。セミロングの黒髪を手で流すと青い粒子が舞う。
咽には三日月が左右に並ぶタトゥーがあった。自然と笑みを浮かべてしまう。
頭に流れた『水面市』と『青月市』は表裏一体という言葉。
青月市一丁目『青月繁華街』近くに在るマンションに私は住んでいる。五階の一室。自室から出るといつもと同じように静かだった。親はまだ帰ってきていないようだ。
家を出て、まず『繁華街』に向かう。その最中に見た人々は、人影が立体化した様なモノだった。身体の中心には青い光があり、それが命の炎の様に見えた。強い光を持っているのは形が若い体型をしていた。老人の形をしているものは光が弱い。時折、強いもの居た。
止まることなく脳内に流れ込んでくる情報に、性格が変化していくのが分かる。そして、消し去りたい過去を変えられる。この『青月市』でなら可能だと。ただし、それには犠牲が必要。正確には言えば、生贄。『青月市』のエネルギー源となっている『ダークムーン』は血を好み、残酷な事を好む。別にそれに関しては構わない。私の願いは普通では叶うことはないから――
『繁華街』や『青月駅』などで情報を収集する。私の様な身体をしている存在にまだ会えていない。人影の様な存在が持つ青い光に触れると、その存在が持つ情報を見ることが出来ることが分かった。私と年齢が近い、もしくは少し年上と思われる影に触れ続けた事で分かった。どうやらこの影の様な存在は、『水面市』に居る本体と繋がっている。見える青い光が強ければ強いほどに生命エネルギーが多い。集めた情報の中で、ヤバい殺し屋がいた。『仮面を付けた男』その仮面には人間の目をコピーしたものを細かく貼り付けてある。その中にある目。あの事件で見た目と同じだった。私はそいつを探した。
しばらく移動を繰り返し、偶然殺し屋を見つけた。場所は『月見廃墟地区』。意思が無いように立つ姿は不気味でしかなかった。それが、過去の出来事と強く結びつき、観察している人物があの事件の犯人だと確信した。だから、話し掛けた。
「ねぇ、何を見ているの? 此処から見えるものは少ないはずよ。それとも、過去に殺した人の事を思い出しているの?」罪を気づかせる問いかけ。声は夜の闇に飲み込まれる。
沈黙。その状況に苛立ち、事件の詳細を話す。しかし、男は反応しない。
このままだと埒が明かない―― 男に向かって歩いて行こうとした時。
「存在が消えるのは怖くない。ただ、経験する事が生きる術なら、俺はどうしたらいい……?一つの事しか出来ない俺にとって、全てをアレに繋げるのは……」言い終わると同時に雰囲気が変わる。何事にも動じない強固な殺意を叩きつけて来た。後転跳躍と同時に、私との距離を詰めて来る。青い月と同じ光を持つ大きなナイフを構えていた。
咽に有るタトゥーに意識を向ける。そこから伸ばした青黒い光の帯を握り、迎え撃つ。
相手の攻撃は凄まじく、私は防戦一方だった。それも時折、身体の動かし方がぎこちなくなり、正確だった攻撃が急に雑になるから。
考える―― 私の様な素人ならすぐに殺せるはずなのに? それが出来ないのは何故だろう?
私達を照らす青い月の光が急に強くなった。目から感じた光がそのまま脳内まで加速し、暴れ回った後、目から放出される。あまりの激痛に絶叫。両目を手で覆う。感じたのは水気。慌てて手の平を見ると青い涙が流れていた。狂気が一気に沸騰。熱と共に走った激情により、全力で相手を殴る。吹き飛ばされた男を青黒い光の帯が追う。
このまま攻撃を続けて、アイツを殺す――
踏み出そうとした瞬間。勝手に鋭敏化した耳が、「『黒花』ッ!」と呼ぶ声を捕らえた。
その声の主には知っている。
姉の『月田みのり』。
私は、姉に殺されている。心が恐ろしい速度で血塗れ、腐食していく。抑えきれない恐怖と罪悪感で全身が痙攣し、意識がはっきりしなくなってくる。
このまま死ねたら―― 苦痛の中で縋れる僅かな希望。再度、願う。このまま――
不安定な精神状態、両足に力が入らなくなり、次の瞬間、全てを覆いつくす強烈な眠気によって意識を失った。
二日目
『青月繁華街』のラブホテルで目を覚ました。柔らかい布団に包まれていた。清潔な匂いがする布団にうつ伏せになり、匂いを吸い込む。不意に何か重要な事を忘れているような、そんな気がする。思い出そうとするが、全く浮かんで来ない。このまましばらく寝ていたいが、此処が『水面市』ではなく『青月市』である以上、情報収集を続けないといけない。
起き上がり、壁に設置されている鏡で身体を見る。眠気がゆっくり消えていく。汗をかいていたのでシャワーを浴びたいと思ったが、昨日の様に強烈な眠気で意識を失い、目を覚ますと移動させられている状態が何時起きるか分からない以上、行動出来る時に動かないと――
部屋を出て、行動を開始する。まず『月栄地区』『青月駅』と移動し、そのまま西へ向かい『月の刃公園』で休憩すると決めた。
昨夜同様に移動してきたが、収集は上手くいかない。私と同じ様な存在に出会えていない。それでも一つだけ収穫があった。辺りを歩いていた影の人に再度触れたことで分かったこと。
『水面市』と『青月市』では形は同じだが、本質が違う物が多く存在している。影の人の記憶と私が見て感じている事に違いがあること。この差異を何かに利用出来ないか――と考えながらベンチに座り、夜空を見上げる。
少し疲れた―― 息を吐き、背伸びをする。唐突に視界の端に現れた白い存在に対し、強烈な寒気を感じる。『仮面を付けた男』と同じ雰囲気。油断すれば死に直結する危険な状態だった。しかし、今の状況を幸運と考え、ベンチから転がる様にして離れ、急いで相手を探す。
白い存在は、私の姿を見て無表情だった。何も感じる事なく、何も強制しない、そんな奇妙な表情をしている。
目を逸らせない。逸らせない事に関しての恐怖もあったが、今の不安、この状況をどうやって打開するか、考えていた事が端から脱色されていく感覚。意味と色を失った考えの骨格は、白い粉となって積もっていく。
身体の中、心を漂白されていく。その恐怖を押さえながら、咽から青黒い光の帯を出し、先端で足を貫く。激痛で目をようやく逸らせた。でも、この痛みだとすぐに走るのは無理だ――
狙う箇所の選択を間違えた事を後悔しているところに、白い存在が近づいて来る。
手を伸ばせばすぐ届く距離まで近づかれた。私はとにかく相手の目を見ないようにと俯いたままでいる。足が回復すれば反撃出来ると考え、大人しくする。
「私の力が分かるみたいだな……となると、『漂白』するのに時間が掛かりそうだ。でも、私の力に気づいている存在に出会えたのは久しぶりだし。ねえ、もう力は使わないからこっちを向いてくれないか? 『青月市』に来てから間もないから色々と知りたい事があるんだ。情報共有をしないか?」ハスキー気味の声で言われる。
「そんな言葉を信じられる訳ないでしょ。情報共有したいと思うのなら相手に警戒心を抱かせることはしないのでは? 貴方が言っている事には矛盾が多い。だから私は信用しない」
「そうかそうか、素晴らしく正しい考えだな。でも、今の状況は私が有利な事に変わらない。それをどうにか出来るだけの手があるからの発言、と受け取っていいのかな?」侮蔑が混ざった声。
「間違っていません。貴方は自分の力に自信を持ち過ぎです」俯いた状態で、咽から伸ばしていた青黒い光の帯が地中で這い、一気に飛び出す。公園に居た影の人達を掴み、白い存在に向けて投げ飛ばす。衝撃が生まれる。これを利用して私はその場から逃げる。
背後から聞こえて来た声。「これは想像していなかったよ!! 『青月市』に呼ばれただけはあるな。私の名前は『白浜梨露』、覚えておいてくれ。次は会話から始めようじゃないか。自己紹介も終わったからな! 綺麗に『漂白』してやるよ!」
恐怖のあまり振り返ってしまう。視線の先に立っていたのは、純白のレザーハーフコート。首元の白いファーに長い金髪が落ちている。その下の素肌は怪しいほどに白い。下半身を包む純白のレザーパンツ。公園の土を踏みしめる靴も純白だった。
身に着けている物が全て白い化け物は、私に向かって笑っていた。
その後、『月見廃墟地区』で再び『仮面を付けた男』と遭遇し、戦いが始まった。
その時、『蒼』という名の女性と出会い、行動を共にする。その以降、目的である『仮面を付けた男』には遭遇出来なかった。
記憶が戻り、姉の存在、私という存在を明確に知る。
『下月上弦』は消え、姉『月田みのり』は『蒼』さんの、刀で死を迎えた。
本来なら私がするべき事を、『蒼』が手を汚すことで終えた。彼女の罪は、何か形で私が背負う。消えた命に少しでも価値があり、この世界で存在する事を許されたのなら、私の命は無下に捨てることは出来ない。必ず彼女のために使う。それを拒否されたとしても、『蒼』の為ならこの命は捨てる。
一つ不安がある。私の言葉には力がある。『他者への共感基準のコントロール』。それが働いて、私を守っているのでは――?
私の死によって力が消え、『蒼』が無意味な事をしていたと思わないだろうか―― 言葉を口にしないで生活するのは難しい。戦いになれば尚更だ。だから、どこまでが力が働いているのかが分からない。不安しかない。口にしている幸せの言葉。好きなモノが二つある世界が幸せ過ぎて怖くなりそう、という言葉には二つの意味が込められていた。
信じたい。ただ、それだけ――
今の幸せと、これからの二人で過ごしていける安心感。その温かさを、『蒼』から与えられる愛情を、抱き締められる心地良さに目を瞑る。